スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

東日本大震災

長い春休み(東日本大震災からの逃亡 親戚の家へ突撃編)

兵庫県へ向かう 朝方、バンコクから関西国際空港に無事に到着した僕は電車で兵庫県の某市に向かった。そこには私の父親のいとこの方の旦那さんが社長をやっている会社があった。震災で被災し、関西で再出発したい旨を説明すれば、雇ってもらえるんじゃないか…

長い春休み(東日本大震災からの逃亡 帰還)

岡山で再出発を決意 バンコクの友人宅に戻り、情報収集をしたところ、岡山は災害が少なく、暮らしやすいようであった。また岡山では大学のOB会の活動が活発なようであったのも、心強く感じた。 とりあえず、関西国際空港行きの航空券を手配し、岡山でまずは…

長い春休み(東日本大震災からの逃亡 スコータイ編)

バンコク→スコータイ チェンマイから一度バンコクに戻り、バンコクから鉄道でピッサヌローク駅を目指した。そこで、トゥクトゥクを捕まえて、最寄りのバスターミナルへ。そのバスターミナルからスコータイを目指した。 スコータイはアユタヤと違って、鉄道で…

長い春休み(東日本大震災からの逃亡 チェンマイ編)

(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); ウボンラーチャターニー→バンコク→チェンマイ ウボンラーチャターニーからバンコクに戻り、バンコクの友人の家で洗濯をしてチェンマイに向かった。流石に度々友人の家にお世話になるのは気が引けたので…

長い春休み(東日本大震災からの逃亡)ウボンラーチャターニー

(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 一路ウボンラーチャターニーへ ホテルの近くのネットカフェで調査するとラオスのパクセーから国境を越えてウボンラーチャターニーへ向かい、そこからタイのバンコクへ向かうことが出来ると判明した。 国…

長い春休み(東日本大震災からの逃亡)パクセー

ルアンパバーンからパクセーへ ラオス北部のルアンパバーンから南部の都市パクセーを目指す。バスは寝台のVIPバスを選択した。 このようなVIPバスと言われるものは通路沿いに2段ベッド式の寝台が設置されており、完全に横になりながら移動できる。 ビエンチ…

長い春休み(東日本大震災の記憶) ルアンパバーン クアンシーの滝

昨日予約したツアーで、クアンシーの滝へ向かった。複数人の旅行者がが乗りあう場に揺られること小一時間。 白色がっかたエメラルドグリーンの池の美しさに思わず息を飲んだ。 池を見て回っていると何とビエンチャン市内の屋台で遭遇したニュー―ハーフの方と…

長い春休み(東日本大震災の記憶)ルアンパバーン滞在編

あくる朝、托鉢を見るために、五時前に起床した。托鉢とは仏教の修行の一つであり、僧侶が鉢を持って市街地を練り歩き施しを受けて回ることである。五時半に町中に出るとオレンジの僧衣をまとった僧侶が列をなして、練り歩いていた。 まだ明け方の淡い空の色…

長い春休み(東日本大震災の記憶)ビエンチャン→ルアンパバーン

夜が明けて、軽い朝食を済ませて荷物をまとめる。トゥクトゥクで郊外の長距離バスターミナルを目指す。そこで、ルアンパバーンまでのチケットを手に入れた。水に濡れたらすぐにふやけそうなペラペラなチケットを握りしめて、VIPバスへ。 しかし、VIPバスとは…

長い春休み(東日本大震災の記憶)ラオス入国編

夜にバンコクを立つ夜行列車に乗り込み、ラオスとの国境の町ノンカーイを目指す。友人宅へ居候していた時は、ソファーに寝ていたせいでどうも腰が重たかった。寝台列車で揺れるとは言え、フラットに背中を伸ばして寝れるのは非常に快適であった。あまりにも…

長い春休み(東日本大震災の記憶)アユタヤと林真理子とワタシ

キャバクラで酒を浴びて、友人の家のソファーでバタンキューとなる。気が付いたら朝の九時を迎えていた。友人は早朝のワゴンの送迎で、職場に向かったようだ。キッチンの食材を好きに食べて良いということだったので、軽い朝食を済ませる。 なんとなく、ただ…

長い春休み(東日本大震災の記憶)バンコクでの再会編

目覚めるとタイのうっそうとした田園地帯が車窓に広がっていた。朝の八時くらいだったろうか。バンコクへの到着まで4時間から5時間ほどある。昼過ぎにバンコクのフアランポーン駅に到着し、携帯電話へ連絡をいれるとバンコクの友人にメールしてある。駅で買…

長い春休み(東日本大震災の記憶)タイへの誘い編

次の日の出発までの一日は宿の周辺でダラダラと過ごした。宿代と食事代を併せても一日1000円ほどで済む。おまけに数百円上乗せすれば洗濯もしてもらえる。もっとここにいたい。ペナン島の居心地の良さに後ろ髪を引かれる。あくる日は昼前にバタワースを出発…

長い春休み(東日本大震災の記憶)ペナン島編

「バタワース、バタワース」明け方にペナン島への起点となるバタワース駅の到着を知らせる車掌の声。ミネラルウォーターを飲み干し下車準備に取り掛かる。寝台列車だが、十分眠ることが出来た。特に疲れは感じない。バタワース駅で下車すると階段でフェリー…

長い春休み(東日本大震災の記憶)甘苦い抹茶アイス編

今日はマレー鉄道の夜行寝台列車でバタワースに行き、そこからフェリーでペナン島に行く。10時くらいまでのんびりとして、宿をチェックアウトする。この宿も窓無しだったが、窓が無い宿は精神的にきつい。日照時間の少なさと自殺率について相関が一定程度認…

長い春休み(東日本大震災の記憶)クアラルンプール編

目覚めると、生ぬるいシャワーを浴びてツインタワーを目指す。ツインタワー付近のカフェでパンケーキの朝食をとる。マレーシアではシンガポールと比較して、物価が1/3~1/2程度になったので、少し贅沢な食事でもへっちゃらだった。シンガポールでのひもじさ…

長い春休み(東日本大震災の記憶)シンガポール脱出編

軽い朝食を済ませ、地下鉄でマレー鉄道シンガポール駅に向かう。駅舎に入り込む前に軽食と飲み物を買い込んだ。駅舎は旧植民地時代の面影を残す荘厳なたたずまい。規模は大きくないが、心が少し圧倒された。シンガポール駅から一時間弱でマレーシアとの国境…

長い春休み(東日本大震災の記憶)煩悩編

リトルインディアの宿をチェックアウトし、バスツアーの集合場所に向かう。シンガポールへ観光に来た様々な国の人たちをバスに乗り込む。バスはガーデンズ・バイ・ザ・ベイやマーラインオンなどを巡る。バスが通行する道路を見下ろす高層ビル群に経済都市と…

長い春休み(東日本大震災の記憶)シンガポール編

インド人街特有の香辛料の香りで目を覚ました。とりあえず情報収集とブランチを取りにオーチャードストリートに向かう。食堂でチキンライスをほおばりながら、売店で買ったNEWS WEEKに目を通す。海外メディアだが、読売新聞、NHKよりも内容が的確なことに驚…

長い春休み(東日本大震災の記憶)日本脱出編

翌朝福岡空港に向かう。コンビニで会社指定の地銀にある貯金を国際キャッシュカードに移し替えた。ANAのチケットカウンターでシンガポール航空のチケットを購入。片道八万円くらいだったと思う。入国審査を終えて、出発ロビーに向かうと異様な数の外国人。や…

長い春休み(東日本大震災の記憶)関東脱出編

目が覚めて、ネットニュースを眺める。 宮城県、福島県沿岸部の行方不明者の捜索が思うように進まないようだ。 そして福島原発の状況も思わしくないようだ。 ネットで海外ニュースも覗くと、日本国内の報道以上に福島原発の状況か悪いようだ。 東京の在外公…

長い春休み(東日本大震災の記憶)宮城脱出編

夜が明けた。脱出決行の時が来た。外は晴れ。防寒具を着込み、、マウンテンバイクに跨る。とりあえず47号線に出て、その道でとにかく西に行こう。途中で国道四号線を渡る。四号線では大渋滞。ガソリンスタンドを目指して、そこがボトルネックになっているよ…

長い春休み(東日本大震災の記憶)震災翌日編

翌日は朝7時くらいに目が覚めた。食料の買い出しに行かなくては。昨日断念したスーパーマーケットにドラムバックを抱えて向かう。八時前なのにスーパーはすごい行列。店内に入ることは出来ず、店の前に長机が置いてあり、そこに食料や日用品を無作為に並べて…

長い春休み(東日本大震災の記憶) 震災発生当日編

東日本大震災発生から10年 今年は2021年という2011年の東日本大震災から節目の10年となります。私は当時宮城県に赴任しており、被災者という立場を瞬間的に経験しました。 2020年からのコロナ禍で、節目の10年にも関わらず東日本大震災の記憶が風化しつつあ…