スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

長い春休み(東日本大震災の記憶)シンガポール編

インド人街特有の香辛料の香りで目を覚ました。とりあえず情報収集とブランチを取りにオーチャードストリートに向かう。食堂でチキンライスをほおばりながら、売店で買ったNEWS WEEKに目を通す。海外メディアだが、読売新聞、NHKよりも内容が的確なことに驚く。福島第一原発の一号機と三号機の水素爆発で想定される原発の内部状況などが丁寧に報じられていた。インターネットカフェに立ち寄り、会社のシンガポール支店の場所を調べる。地下鉄駅から歩いて10分くらいの様だ。アポなしだがとりあえず、出向いてみよう。駅を降りて公園を通りすぎたビルの三階にシンガポール支店はあった。インターホンで、日本人社員で宮城事業所で被災し、念のため海外に避難した旨を伝えるとシンガポール支店長が迎えてくれた。怒られのかと思いきや緑茶でもてなされ宮城での被災の苦労を労ってくれた。東京本社に連絡させてほしいと頼むと国際電話を快く使用させてくれた。管理部の同期に連絡を取り、日本が落ち着くまで有給を取得する旨を伝える。シンガポール支店にも宮城の惨状の情報が続々入っているとのことだ。

災害派遣自衛隊は沿岸部に集中し、事業所のある内陸部の支援が手数になっているとのこと。特に物資不足が深刻で、マクドナルドのハンバーガーを挟むパンを一つだけ支給され、それを一家四人で分け合っているようだ。水道、ガス、電気などのライフラインの復旧にも程遠い。今はどこに住んでいるかと問われるとリトルインディアの安宿に宿泊していると回答した。あそこはあまり良くないから別のホテルに宿泊した方が良いと言われ、ネットを貸すからagodaで予約しなさいと言ってくれた。

昼食に誘ってくれ、車でレストランに向かう。シンガポールは華僑が移民を都合よく使い発展を謳歌しているとのことだった。

レストランでの食事を終えて、お別れすることになった。シンガポール支店長は良い人で、君にも色々考えがあるようだから、納得するまで休んで、やる気が戻ったら、また日本で頑張ってほしいという言葉をかけてくれた。

 とりあえず分かりましたと答えたが、会社を辞める腹は覆らなかった。Agodaで予約したホテルは日本円で一万円弱。金銭的に少し堪えた。その時、震災時に真っ先に連絡をくれた大学時代の友人がバンコクに駐在していることを思い出した。ネットカフェでmixiを立ち上げて、今、シンガポールにいること、このままシンガポールにいると金銭的に厳しい旨を伝えた。その後はネットで、日本の情報収集に勤しんだ。Youtubeで海外の専門家の見解を視聴したり、2チャンネルを見た。とにかく情報に飢えていた。

読売新聞は原発推し、朝日新聞は反原発というイデオロギーが、報道内容にも色濃く反映され、辟易していた。私が知りたいのはイデオロギーではなく真実なのだ。東京新聞は比較的公正中立な報道がなされていた。また家族ともメールで連絡を取った。戻ってこいとのことだが、戻る気などさらさらなかった。上司からの返事はまだ無かった。情報収集を終えるとくだらない動画などを見てネットカフェで夜まで時間をつぶし、宿に戻る。せっかくシンガポールに来たのだから観光も次いでにしておこうということで、次の日の市内バスツアーを申し込んだ。雨季から乾季の変わり目で、まだ雨が良く降っていた。町全体がジメっとしていた。汗が体にまとわりつく。シンガポールの私の印象は狭い地域にビルと人がごった返して非常に窮屈に感じた。税制優遇や積極的な移民政策などビジネスには持ってこいかもしれないが、ここに定住するのは勘弁だと思った。宿に戻り、シャワーを浴びた。高湿度で肌にまとわりついた汗を流してすっきりした。ベッドに寝ころびながら、明日以降の予定を考える。

とりあえず明日の市内ツアーを終えたら、明後日はマレー鉄道でクアラルンプールに向かおう。クアラルンプールなら、シンガポールより確実に物価が安いはずだ。マレー鉄道。沢木幸太郎の深夜特急の舞台にもなった鉄道だ。彼は富士銀行を辞めて、物書きしながら26歳の時にバスでユーラシア大陸を横断する旅に出た。彼はどんな気持ちで、マレー鉄道に乗っていたのだろうか?大沢たかお主演の深夜特急の映画では、ゴムプランテーションの中を快走するマレー達道とそこでの屈託のない現地人との交流が描かれていた。マレー達道の開放的な雰囲気に思いを馳せながら、いつの間にか眠りについた。