スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

長い春休み(東日本大震災の記憶)日本脱出編

翌朝福岡空港に向かう。コンビニで会社指定の地銀にある貯金を国際キャッシュカードに移し替えた。ANAのチケットカウンターでシンガポール航空のチケットを購入。片道八万円くらいだったと思う。入国審査を終えて、出発ロビーに向かうと異様な数の外国人。やはり日本国外避難命令が出ているのか?

シンガポール航空のエコノミークラスに乗り込むと身長が2mほどの大柄なスウェーデン人男性が乗っていた。エコノミークラスの座席に窮屈そうに乗っている彼が少し気の毒だった。八時間ほど飛行機に揺られているとマラッカ海峡上空に差し掛かる。シンガポールチャンギ国際空港はアジアのハブ空港で、混雑しているようでマラッカ海峡上空を何度も旋回し着陸許可を待っていた。窓からマラッカ海峡を見下ろすと沢山の貨物船やタンカーが、隊を成していた。物流のボトルネックマラッカ海峡を肌で実感した瞬間であった。チャンギ空港に降り立つが、空港の規模が大きく地下鉄乗り場を探すのに難儀した。シンガポールは物価が高いので、中国人街やインド人街の安宿に宿泊しようと考えていた。リトルインディア駅が目に留まったので、そこに宿泊することにした。

窓無しの安宿であったが、日本円で4~5千円しただろうか。値段の割に宿の快適さは今一つ。窓の無さが、心理的な圧迫感となった。テレビをつけると東日本大震災の特集が報道されていた。そこには医学博士が招聘されて、福島原発放射能漏れによる人体への影響度の想定などを説明していた。日本のニュースでは報じられないシリアスな内容に面食らった。枝野官房長官の「直ちに影響はない」というお茶を濁した発言とは対極だった。そりゃ当たり前でしょ。放射性物質の影響なんて、急性被爆じゃない限り年単位で徐々に影響が出るものなのだから。どう見ても後々の責任追及を見据えた逃げ口上にしか見えなかった。福島県宮城県津波被害の映像に目を覆いたくなった。津波から必死に逃げようと走っていて、最終的に津波に飲み込まれてしまった車のドライバーに悲哀を感じえなかった。福島原発の三号機の水素爆発も衝撃を禁じえなかった。このままでは日本は終わってしまうかもしれない。自分の日本人としてのアイデンティティが足元からガラガラと崩れる感覚に陥った。

 宮城県の会社の事業所を脱出した自分は、上司や仲間からどのように思われているだろうか?彼らからしたら私は裏切り者だ。会社に戻るまいと心に決めて脱出したが、もう絶対戻ることは出来ないと思うと今後の自分の社会人としてのキャリアにも一抹の不安を感じた。ただ私は今までの人生で、自分の信念に正直に生きてきた。その私が戻らないと決めた以上、やはり会社と私の縁はそれまでの物だったのだと思った。新入社員として右も左も分からず、右往左往している自分に対して、先輩社員や上司は非常に冷たかった。きちんと事前申請して有給休暇を取得したのに、有給休暇の朝に電話をかけてきて会社に来いとキレかかってくる上司。私のミスをあげつらって過剰に責め立てる先輩。毎月50時間以上も支払われない残業代。リーマンショック後の労働者の同意無き給与カット。年増婆ばかりの職場。まずい食堂。三年目まで二人部屋の寮。(今は四年目で一人部屋)浮いた色恋話は年増婆のお茶のネタで、噂が一斉に広まる閉鎖的なコミュニティ。会社近くのイオンでは必ず会社の誰かと遭遇。そっとしてくれたらいいのに大声で名前を呼ばれる始末。正直良い思い出が何一つ無く、早く辞めたいと思っていたのだ。そんな会社の為に福島原発事故放射能汚染被害や余震被害のリスクを冒してまで、復旧作業に身をささげる気持ちは持てなかった。そう考えると自分のやっていることは裏切り行為では無い。使い切れない有給が60日ほどあるのだ。自分は長い有給休暇に入っただけなのだ。むしろ会社は明らかに違法行為を犯してきている。社員に裏切られるのは当然だ。自分はささやかな抵抗をしているだけだ。自分の決断は間違いないのだと言い聞かせて眠りにつく。自分の会社の支店がシンガポールにあるので、とりあえずそこから日本の本社に連絡をしよう。