スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

長い春休み(東日本大震災の記憶)シンガポール脱出編

軽い朝食を済ませ、地下鉄でマレー鉄道シンガポール駅に向かう。駅舎に入り込む前に軽食と飲み物を買い込んだ。駅舎は旧植民地時代の面影を残す荘厳なたたずまい。規模は大きくないが、心が少し圧倒された。シンガポール駅から一時間弱でマレーシアとの国境に到達。国境の駅のホームで出入国審査を行う。電車に乗りしばらくするとジョホールバルに差し掛かり、ビル群が垣間見れる。ジョホールバルは国際都市としての注目度が上がり、高層マンション、インターナショナルスクールの建設ラッシュとのことだ。シンガポールのような清潔さは感じなかったが、曇り空の中で佇むビル群に隆々しさを感じた。そこからしばらくするとゴムプランテーションなどの農園が、車窓に広がる。窓を少し開けて、外の風を感じながら、駅で購入したevianを飲む。東南アジアの開放的な空気を感じた。それと同時に自分の中にあったくすんだ瘡蓋に覆われた心が徐々に温かく、開放されていくのを感じた。僕はそこそこ高学歴と呼ばれる大学を出て、そこそこ大きな会社に入った。しかし、そうした世間でいう安定的な道を今回捨てることになった。会社に戻っても出世の道は絶たれている。半ばバックレるような辞め方で会社を去ることになる。そうしたことに理解を示してくれるまともな会社は日本では数少ないだろう。

世間や親はもったいないと思うかもしれない。そうしたことに背く不安感、背徳感は未だ心に内在している。会社で働いている時は常に自由を渇望していた。組織から出て一人ぼっちになり、今自分は本当に自由の真っただ中にいる。その自由の広大さに当惑を抱くこともある。プールの1レーンを他人と共用することの窮屈さを嫌い、広いところで泳ぎたい。それでは誰もいないだだっ広い海外線で自由に好きなだけ泳いでいいと言われたらどうだろうか?制約のない自由に自分が直面したときに、その自由は自分にとって持て余すほどで当惑もした。もしかすると自分が働いていた時に渇望した自由は甘えだったかもしれない。自由に泳ぎたいと言っても、安全な監視員がいるプールで、泳ぎたかっただけなのだ。自分が渇望していた自由はセーフティーネットのある自由で真の自由ではなかったのだ。真の自由は誰もいないだだっ広い海なのだ。それはある種残酷な側面を有している。激しい波が打ち寄せる、おぼれても誰も助けてくれない。魚は自分で釣らなくてはならない。

陽光に映える緑の眩しさが、そうした真の自由に対する当惑を徐々に小さくし、新しい世界への好奇心を掻き立てた。ふと気が付くとジョホールバルでは厚い雲が覆っていたが、徐々に雲は晴れてきた。自由は残酷な側面もあるが、やっぱり僕は自由が一番好きなんだ。今日どこへ行くのか、明日どこに行くのか、それを全部自分で決めたい。会社や世間に決められたくない。(あの会社では、お昼の食堂でカレーにサラダとデザートを付けようとしたら、上司にグダグダ注文してねーで定食食えよと理不尽に切れられたな。)

 日本で、硬直化された価値観の中で生きて行くから苦しいのだ。嫌ならば、別のところに逃げればいい。小学生でも分かる簡単な答えであるが、その答えを行動に移せる大人は数少ない。それは自由の残酷な側面を本能的に認識するようになるからだろう。

 様々な内面の葛藤に疲れ、思わず眠りに落ちる。目を覚ますと列車は薄暗い中の都市を疾走していた。もうすぐクアラルンプールだ。まもなくすると列車はクアラルンプールの近代的な駅舎に滑り込んだ。駅の屋台でミーゴーレンというマレーシア風焼きそばを掻き込む。駅から乗り合いタクシーで窓の無い安宿に向かう。遠くからこだまするコーラン、女性が付けるビジャーフというイスラム風スカーフなどからイスラム文化の国であることを実感する。

安宿のシャワーは貯水式の簡易シャワーでお湯がぬるかったが、シンガポールのリトルインディアの宿の3~4割ほどでリーズナブルな値段であった。

明日はクアラルンプールの観光名所であるツインタワーに行こう。移動時間が長く、自分と自由の関係性を内省することが多い一日だった。