スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

湘南戦の思い出

湘南戦とは何か?→県立浦和と県立湘南の定期交流行事

 はい、早速注意点ですが、湘南ベルマーレの試合ではありません。県立浦和高校OBにとって湘南戦とは毎年五月に開催される神奈川県立湘南高校との交流行事を指します。

開催地

 毎年浦和高校湘南高校が交代で開催します。例えば高校一年の時に浦和高校で開催された場合は、高校二年で湘南高校、高校三年で浦和高校の開催となります。

何をするの?

 運動部では同じ部活同士の交流試合をします。サッカー部、ラグビー部、野球部、バスケ部はガチの試合を行いました。テニス部、バトミントン部、柔道部などは団体戦、陸上部、水泳部などはリレーをしたり、記録会を行ったりしてました。

 文科系の部活では活動発表や情報交換などをしておりました。軽音楽同好会はライブなどを行ったり、自分たちの日頃の活動発表の場となっておりました。

 また、部活の垣根を超えた男子同士での騎馬戦なども開催されておりました。

浦和高校は男子校、湘南高校は共学

 これは非常にバランスが悪く、湘南高校の対抗戦では女子選手は試合が組めない事態になります。そのため、湘南高校の女子は浦和高校との対戦では応援に回ることが多い印象で、湘南高校の女子生徒が心底楽しめたかというと疑問が残ります。

 浦和高校は男子校なので、どうしても湘南高校の女子生徒に目が行ってしまいます。そして、男子校であることに軽い絶望感を感じざるを得ないのでした。もちろん浦和高校の生徒は浦和高校が男子校であることに納得して受験し、入学したわけです。しかし、女子生徒の黄色い声援やチアリーダーの存在を目の当たりにし、自分の選択は果たして間違っていなかったのかという雑念や迷いが生じてしまうのです。

 私自身、野球部の応援をしていたはずなのに、向かい側の湘南高校チアリーダーに目を奪われてしまいました。共学いいな、うらやましいなという思いがつのりました。

 このような背景から、部活動の対抗戦を主体に置いた交流では男子校同士、もしくは共学同士にするべきだったかと思います。

 はたまた思い切って、男子校と女子校の組み合わせでフィーリングカップル大会にしてしまった方が良かったかもしれないですね。

湘南の女子生徒をナンパ

 高校三年時、同じクラスので席が前後隣だったI君は、ロン毛の金髪で、通学時の電車の中で他校の女子からラブレターを貰うほどモテモテでした。湘南戦当日、湘南高校で可愛いギャルで鳴らしていたマ〇ちゃんをナンパすることに成功しました。さらに携帯電話の連絡先も交換したようでした。

 こういった浦和高校の生徒が湘南高校の女子生徒をナンパすることが、毎年常習化してたようでした。この事実は湘南高校の男子生徒からの大きな不興を買っており、これが数年後の定期交流戦の廃止へのトリガーの一つであったように思います。(湘南高校OB複数名に確認)

卒業後の意外なつながり

 正直、定期交流戦を行うメリットが見出しにくい現実はありましたが、卒業後に意外と何人かの湘南高校卒業生と繋がりを持ち、それが自分の人生に大きなスパイスとなっていました。そこで、私が高校卒業後に出会った湘南高校のOB、OGを何人か匿名で紹介いたします。

・国際シンクタンクに勤務しているSさん

 この方には大学時代の就職活動でお世話になりました。SNSのグリーでひょんなことから繋がって、その後やり取りを重ねるうちに湘南高校卒業生であることが判明しました。私が浦和高校の卒業生であると伝えると非常に親近感を持って下さり、お仕事の事や進路相談のお話の為に、実際に会っていただけることになりました。

 年齢は私の10歳上の女性の方で、時々テレビで国際政治情勢などについてコメントをされる方でした。そんなすごい方が、過去の定期交流戦を行った相手校の卒業生の若造に実際に会って話していただけることに非常に驚愕しました。

 話の内容は非常に高度でありながら、話し声はちびまる子ちゃんのまるちゃんに似ており、そのギャップが印象的でした。

 確か、銀座で待ち合わせて、カフェの個室を予約していただいて、色々とお話を聞かせていただけました。165cmくらいのすらっとしたスタイルで、パンツスーツを見事に着こなし、話を終えるとダッシュで職場に戻って行きました。お会いしたのは11月位だったのですが、パンツスーツにダウンを着こなして、急いで職場に戻っていく後ろ姿にカッコよさを感じました。

・医学部生のS君

 彼とは大学在学中の山形県の合宿免許で出会いました。色んな大学の出身者で集まって、大学トークで盛り上がっていましたが、出身高校にも話が及んだ時にS君は湘南高校出身であることが判明しました。

 年齢は私の一個下だったので、定期交流戦の時にどこかで遭遇していたはずでした。全校生徒参加型イベントの大玉転がしで話は大盛り上がりしました。

 しかしマ〇ちゃんのナンパの話をしたら、滅茶苦茶に顔をゆがめて、正直浦和高校ウザいんだよねっと開口一番吐き捨てたのが印象的でした。やはりマ〇ちゃんは湘南高校でも人気の女子だったようでした。浦高生がうちの高校の女の子に話しかけるのマジで止めて欲しかったと非常に迷惑そうな顔をしていました。

早稲田大学理工学部のT君(現在は政府系金融機関に勤務)

 彼とはノルウェーの旅行の時に現地で知り合いました。年齢は私の七個下です。フィヨルド公園のバス乗り場で、Are you Japanese?と話しかけたら、Japaneseと回答してくれて、フィヨルド公園から市街地まで一緒のバスで帰りました。大学が早稲田で高校はどこかと尋ねたら、湘南高校と回答し、そこから大盛り上がり。

 残念ながら彼の在学中は湘南高校との定期交流戦は廃止になった後だったのでした。しかしながら、昔浦和高校交流戦をしていたことは先輩から語り継がれていたことと、部活単位での交流戦は行われていたようで、浦和高校の事に親近感を感じていてくれたようでした。

 市街地に帰った後で食事をおごって上げようとしましたが、クレジットカードが使用出来ずに、彼に金を払わせるという失態を犯しましたが、日本帰国後には何回か食事をご馳走したり、彼の就職活動の相談に乗ったりしました。また、私が読み終えた小難しい本を貰ってくれて、それを律儀に読んでくれたりと、向学心が旺盛でした。

 大学院は京都大学大学院に進学し、鴨川の河川敷のサッカーに誘ってくれたりして、非常に楽しい思い出を作らせて頂きました。

 卒業後は政府系金融機関に就職し、現在は大分出世したようで、アメリカへ社費留学しているようです。私を遥かに飛び越えて行ってくれたそんな彼の活躍が微笑ましく、そして誇らしく感じます。  

 

○彼と出会ったノルウェー旅行

https://yasuyan.net/entry/2022/02/13/191206

 

・三浦瑠麗氏

 現在旦那様の逮捕で世間をにぎわせている国際政治学者ですが、この方とは直接面識はありません。しかしながら、年齢は私の一個上なので、おそらく二回は対抗戦で同じ場所に居合わせた筈です。

 正直、彼女の選民思想的なスタンスからの発言や論拠の薄い意見を男性的な断定口調で言い切ることで論拠の弱さをカモフラージュするテクニックなどコメンテーター及び国際政治学者として首をかしげたくなる事も多いです。彼女の本を読んでみましたが、内容は殆ど頭に残っていません。

 嫁と一緒に情報番組を見ていると、三浦氏の発言のターンで嫁はいつもチャンネルを変えます。女性からの支持はいまいちかもしれません。

 しかしながら、湘南高校出身という事実を知ると、何となく親近感を感じるようになってしまいました。

学歴は大事かもしれない

 私自身は、どこで学ぶかよりも何をどれだけ学ぶかを重視しています。しかしながら、卒業後にひょんなきっかけで、意外なつながりが構築され、人間関係が大きく広がったのは、こうした学歴が要因だったことは否めません。

 国際シンクタンクに勤務していたSさんだって、私が浦和高校の卒業生じゃなかったらおそらく会わなかったと後日述べてくれました。

 はっきり言って、浦和高校湘南高校の対抗戦は一年の内でたったの一日の中の八時間、三年間でも24時間しかありません。

 それでも卒業後の長い人生で、24時間以上の濃密な時間を湘南高校卒業生と過ごせた。そして、これからも新たな出会いを通じて、過ごせるかもしれない可能性を頂けたことに感謝しかありません。

 ワザワザ電車に乗って遠出して、相手校まで行くのが面倒だ、自分の学校の女子生徒に手を出されたくない。その気持ちは高校生であれば、非常に分かります。

 しかし、その面倒くささや煩わしさが、卒業後大きな糧となり得ます。是非、県立浦和高校と県立湘南高校との定期交流戦の再開をOBとして願って止みません。

 

 

 

 

 

 

 

使えないオッサン営業社員Sさん

本社のオッサン営業社員のSさん

 10年以上前に新卒で勤務していた会社にSさんという役職の無いオッサン社員がいました。その方は本社の代理店営業担当で、週に一度ほど、技術部に電話の問い合わせをしてきます。

しかし、その引き合いの数量がまさかの一個といった衝撃の案件ばかりを毎回引っ張ってきました。単価は数百円なので、一つ売ったところで採算がとれません。今、この瞬間に電話で話している時間の人件費で数百円の単価を上回り赤字になってしまいます。

 数百円の部品ならば、最低1ロット1000個は売らないと採算が取れません。

 さらにタチの悪いことに久々に1000個単位の引き合いを引っ張ってきたと思ったら、生産終了品の再生産依頼。

 本当に面倒な引き合いしかとって来れず、設計に話をつないだらすぐにしれっとトンずら。設計に無理な引き合いをお願いしている罪悪感もありませんでした。よって、納期をギリギリまで後ろに引っ張って少しでも設計を助けようという気概も0でした。

 

非効率な営業慣行

 なぜ、そんな非効率な事を日本企業は行っていたのでしょうか?当時は代理店や顧客ごとに営業部員を配置していました。いくら数量が少なくとも、営業マンは過去に付き合いのあった担当顧客や代理店を無下には出来ませんでした。

 さらにエスカレートすると一度生産終了した製品でも、顧客から無理を言われて、設計部に無理やり再生産をねじ込まれることが何度もありました。

 一度生産を終了したので、図面も破棄されている場合も多く、そうした場合は類似製品過去の手書きの図面などから推定して、設計者がCADで図面を描き直さなくてはなりませんでした。

 営業マンは売り上げを向上させることが仕事の筈なのですが、実態は担当顧客の御用聞きに終始していました。よって、新規市場も全く開拓できませんでした。

 

設計はサービス残業

 量産品の手配や設計検証だけでも多忙なのに、生産終了品の再生産まで対応するには夜中まで残業するしかありません。その残業も大抵はサービス残業でした。その反面、生産終了品の再生産の無茶な要求をねじ込んだ営業のオッサンは悠々と定時退社。

 そんなしょうもない引き合いを取って来るのではなく、ロット10K以上の量産品の引き合いを取って来いよと心の中で叫んだものでした。

 

担当営業のオッサンがいない方が会社の為になる

 正直、オッサン社員のメンツの為に無駄な残業をしていた訳です。そのオッサンがいなくなってくれれば、自分は早く帰れます。なんだろうオッサンの雇用を守るために若手の設計部員は人柱になっていたんだと思うと涙が止まらないです。

 

営業マンそれぞれが売り上げ達成目標を持つべき

 前述の営業方式では、数量の少ない取引にも営業マンを貼り付けなくてはならず、非常に効率が悪いです。そこで、営業マンは担当顧客を固定せずに売り上げ目標を持たせ、それを達成するならば、どんな製品を売っても良いというシステムを導入すべきだと感じました。

そうなれば必然的に数量が多く流れている量産品を販売するでしょう。目標の売り上げ目標を達成できなければリストラすれば良いのです。

 

まとめ

 日本企業特有の縦割りの弊害もあり、頑張っても報われなかったですね。仕事が増えるだけで給料は変わらなければ、そりゃやる気無くなりますよね。

 日本だとリストラ=悪というイメージが根強いですが、企業は営利団体なので儲からない余計なお荷物社員は会社からいなくなるべきなんですよ。

 このエピソードは新卒で入社した企業で東証一部のグローバル企業(日経平均にも採用)だったんですが、そんな会社がこんな体たらくじゃ、そりゃ日本も沈みますよね。

 リーマンショック後の事業再編で、事業部の名前を適当に変えて改革のアリバイ作りだけやっただけなのには本当にがっくり来ましたね。

 現場の派遣社員はリストラしましたが、本社の営業のオッサン社員は正社員という事でリーマンショックの後も余計な仕事だけ増やしてヌクヌク働いていた姿には本当に怒りを感じました。

 

 

2019シチリア島の旅 ナポリ→パレルモ(フェリー)

フェリー乗船(ナポリパレルモ線)

予約 

・日本語対応予約

https://www.aferry.com/ja-jp/

・直接予約

 上記のサイトは高いので、英語が分かる人は下記のフェリーか一社で直接予約することをお勧めします。

https://www.gnv.it/en/ferry-offers/sicily/apertura-prenotazioni-2023-sicilia

 私は念のため電子チケットの控えをプリントアウトして行きました。

港までの行き方

 地下鉄L1の Universita駅(フェデリコ2世ナポリ大学の最寄り駅)で下車して15~20分ほど歩いた記憶があります。

 地下鉄の駅の改札でポルテ(イタリア語で港の意味)と聞いて、どこの地下鉄出口から登るのが最も近いか教えてもらいました。

・地下鉄路線図

https://www.anm.it/images/stories/anm_mappa_web_2021__5.pdf

 

google mapの行き方

www.google.co.jp


乗船手続き

 電子チケットを持って、フェリー受付窓口に行き、乗船手続きをします。それぞれのフェリー会社の窓口で必ず乗船手続きを行うようご注意下さい。パスポートも勿論必要です。

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 出発の1時間~30分までに乗船改札をしてフェリーに乗り込みます。改札でかなり待たされて、疲れた記憶があります。フェリー内の駐車場の横の柵の通路から、乗船します。フェリー会社の乗船手続き窓口で指示された時間を守って下さい。出発の何分前から乗船できるかはフェリー会社によって異なります。

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船内

 改札を受けて、階段とエスカレーターを登るとホテルのように豪華な船内に驚きました。

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 バイキング形式のビュッフェで夕食を取り、安く済ませることも可能ですが、非常に込んでいたので、奮発してレストランに行くことにしました。

 日本円で1万円以上したと思いますが、せっかくの思い出だったので、奮発して良かったです。

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 前日の夜に出発して、朝に到着します。朝日が非常にきれいでした。

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 朝食がまだだったので、下のビルの一階のカフェで簡単な朝食を取りました。(今も営業しているかどうか注意して下さい。)

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 港の周囲はあんまり治安が良さそうな雰囲気では無かったので、フェリーを降りて特に用事が無い人はすぐにバスで市街地に行った方が良いでしょう。

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107バスでパレルモ中央駅へ

 港の前の通りに107線のバス停があり、それに乗ると約15分でパレルモ中央駅まで行けます。googleで調べるとN5に乗るのが推奨されたりしますが、港から若干歩くので、多少待っても107で行くのがおすすめです。とりあえずどこに行ったら良いか分からない方はパレルモ中央駅を目指しましょう。

www.google.co.jp

パラティーナ礼拝堂

 比較的朝の早い時間(午前八時過ぎ)から入場可能なアラブ・ノルマン様式のパラティーナ礼拝堂を訪れました。人が少なくて、落ち着いてゆっくりと見学することが出来ました。パレルモ中央駅から歩いて15~20分ほどの場所にあります。

 

www.cappellapalatinapalermo.it

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 アラブ文化とキリスト教の絶妙な折衷が何とも美しいです。

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まとめ

 シチリア島へは、フェリーの他に飛行機や電車でも訪れることが可能ですが、ゆったりフェリーの旅も乙な物です。

 夜にフェリーのベッドに寝ている時の揺れ心地が非常に良く、遊園地の乗り物に乗っている夢を見ました。

 

 

2019イタリア マテーラの旅

マテーラとは

 ユネスコ世界遺産に登録されている洞窟住居群の事です。トルコのカッパドキアとは若干趣が異なりました。

ja.wikipedia.org

行き→バーリ国際空港からの直通バス

 バーリ中央駅からバーリ国際空港に向かい、そこからバーリ行きの直通バスに乗って向かいました。

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 帰りは列車ですが、バスの方が楽ちんな印象でした。バスターミナルの目の前が空港なので、バスが来るまでは空港内でゆっくりと待っていられることが一番のメリットですね。

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バスターミルから広場へ

 バスターミナルから10分弱歩くとマテーラの町の入り口の広場に到着します。ここには飲食店を始めとするお店が集中しています。

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街を周遊

 モノトーンの岩を掘り出して、住居にしているので、道に迷いやすいです。

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 青空とのコントラストが印象的です。青い空にクリーム色の壁が美しく映えますね。教会もさりげなく存在しています。

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レストラン

 観光地だからと言って特別高いわけでは無く、普通に量も十分でおいしかったです。Theイタリアというピザやパスタ料理よりもギリシャ料理に近い地中海料理がメインな印象でした。

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 街歩きに疲れたらカフェで缶ジュースを買って一服。

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洞窟ホテル

 どこも似たような色の家なので、google mapなどで探すのがお勧めです。

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帰り→電車の乗り継ぎ

 マテーラの地下にある駅で列車に乗り、途中で乗り継いでバーリマで帰ります。駅は観光地から離れているので、きちんと時間を調べてから乗車することをお勧めします。

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 車内は清潔でした。

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まとめ

 二泊三日の滞在でしたが、時間が許せば一週間くらい滞在したくなる街でした。イタリアの都市部よりも治安は良好でしたし、長旅に疲れてのんびり骨休めしたい人には是非ともお勧めしたいです。

 

 

2018 ポロブドゥール遺跡の旅

突然の思い付き

 2018年当時はプラント設備の設計の仕事をしていました。かなり忙しい日々を送っていたのですが、四月末から五月初旬のゴールデンウィークで一週間ほど休暇がとれそうでした。

 せっかくなのでどこか旅行に行こうと思い立ちました。候補に挙がったのは中国の黄山インドネシアのポロブドゥール遺跡、黄山ゴールデンウィーク中にあいにくの雨の予報だったので、インドネシアのポロブドゥール遺跡に決定しました。

キャセイパシフィック航空

 出発の二日前にskyscanerで航空券を検索し、キャセイパシフィック航空の香港経由で行くことにしました。


香港でのトランジット時間が短かったので、観光は次の機会にお預けとなりました。

スカルノ・ハッタ国際空港→市内中心部でボラれた

 飛行機は明け方に到着しました。市内へのバス乗り場がどこかも分からず、そもそも早朝にバスが運行しているかも分からなかったので、タクシーで市内中心部に向かうことにしました。

 しかしながら、日本円換算で4000円ほど請求されて、間違った選択をしてしまったと心底後悔しました。

 実は空港からモノレールと地下鉄で市内中心部に向かう方法もあるのですが、安く行きたい方はこちらがお勧めです。

www.indonesialove.com

ジャカルタジョグジャカルタは鉄道でアクセス

 ジャカルタジョグジャカルタの間にはオランダ植民地時代に敷設された鉄道があります。スカルノ・ハッタ国際空港で飛行機を乗り換えて、そのままジョグジャカルタに向かう方法もあったのですが、乗り鉄の私は敢えて鉄道を選びました。

 ホームでは既に沢山の旅人が列車の到着を待っていました。しばらく待っていると重厚感のあるディーゼル機関車に繋がれた客車が続々と入線してきました。

 市街地をしばらく走るとのどかな田園風景が一面に開けて来ました。

夕方にジョグジャカルタの駅に到着

 ホテルを予約せずに来たのですが、駅前にホテルがあったので、飛び込みで入ったら、一泊数千円のリーズナブルな値段で宿泊できました。

 長旅で疲れていたので、外には出歩かずホテル内のレストランで焼きそばみたいなものを食べました。

ホテルで観光ハイヤーを手配

 これは結果的に大正解でした。ホテルのコンシェルジェにポロブドゥ―ル遺跡やその周辺の観光地を巡る周遊ツアーが無いか尋ねたら、一日6000円ほどで、ホテルの運転手がハイヤーを運転して、遺跡や観光地を自由に廻れるよう取り計らってくれました。

ホテルからハイヤーで直行

遺跡周遊

 遺跡にはATMや売店も多いので、非常に便利でした。

遺跡の近くのATM

 エジプトのピラミッドとカンボジアアンコールワットを足しで2で割った印象でした。石に彫られたレリーフも原型を留めていました。


 ストゥーパも間近で見ると大迫力でした。

 それぞれの階層に回廊が一周張り巡らされており、グルグルを回って、彫刻やレリーフを楽しむのがお勧めです。

 遠目から見た全景も迫力ありますね。もう私の陳腐な言葉など不要ですね。

帰路

 ネットで帰りの列車を予約して、駅でIDを打ち込んだら切符が発券出来るような仕組みだったと思います。

 

 駅から空港まではデナリ社の乗り合いバスで向かいました。

まとめ

 インドネシアに行くならば是非立ち寄って欲しい観光遺跡です。カンボジアアンコールワットも壮大ですが、ポロブドゥールのように自由に登って遺跡の上を散策することは難しいです。

 遺跡の壮大さを体感したい人には是非とも訪れて欲しい観光スポットです。

 

 

ヤバい営業(システム屋)

プログラムを書いたことが無い

 時々、受託開発でプログラムを書いたことも無い、プログラムを全く知らない営業さんからお仕事を頂くことがあります。エクセルマクロすら使ったことも無い人も多いです。

そもそもプログラムやシステムに興味が無い

 私がシステム屋の営業ならば、自分の知らないことを開発者に依頼する場合には最低限の知識を習得した上で開発者に依頼します。

 しかし、そうした事を自分で全く勉強しようともしないで、営業をやり続けている人が結構存在します。ちょっと信じられないですね。

開発者からの質問も上の空

 特に零細企業のシステム屋だと開発はアルバイトや業務委託に丸投げなんてもこともザラにあります。

 開発者が仕様について質問するも、このような意識の低い営業は何を質問されているかが、そもそも理解できず、質問内容のメモをとって、それを発注元に投げるだけ。

 システムを稼働させるために、ここの仕様を詰める必要があるから、お客様に確認しましょうと熱意を持って伝えても、暖簾に腕押し状態。

正社員だよね?!

 そもそも営業などの役職に関係なく、正社員なんだからアルバイトや委託先に責任を持って指示しなくちゃいけません。

 営業だから分かりませんと開き直る。請負先やアルバイトさんに指示を請うことに申し訳なさとか何も感じないのでしょうか?!

 しかもZOOM会議で、ZOOMの画面共有すら出来ませんでした。

(マジで大丈夫か?!)

取り扱っている商品に関心を持とう

 やっぱり営業ならば自社の商品や技術に関心を持ち、最低限の勉強はしてもらいたいですよね。さらにシステム屋の営業ならば基本的なIT機器の使い方には習熟しておく必要がありますね。(ZOOMの画面共有が出来ないとかマジ論外)

そもそも何故システム屋に入った?!

 これ、メーカーの事務員さんにも言えるんですけど、そもそもなんでその会社に入ったのっていう。

 扱っている製品とかサービスなんてどうでもよくて、とりあえずオフィスワークで専門知識も必要とされない楽そうな事務や営業を選んだのかなって、正直勘ぐりたくなりますね。

 それと同時にそんな甘い覚悟ならば、会社辞めたらって言いたいです。申し訳ないんですけど、自分が直接営業窓口の仕事も行って、仕様考えて、コード書いた方が速いなって思うんです。営業の存在が足かせなんです。

まとめ

 メーカーやシステム屋の営業窓口とか事務員さんの一部に製品やサービスに対する知識が著しく欠けており、そうした人の存在は開発者の役に立たないばかりか往々にして足かせになってしまいます。

 真面目にやらないと将来的にリストラされちゃいますよ。

 

 

 

 

高学歴の費用対効果

一流大学→一流企業→終身雇用→潤沢な退職金

 世間で一流大学に進む経済的な意義と言われたら、間違いなく上のルートが想起されるでしょう。

 1990年代までならば、塾、予備校、家庭教師などに教育課金しても上記のモデルコースに乗っかれば、十分に課金を回収することは可能だったと思います。

バブル崩壊→ITバブル崩壊リーマンショック東日本大震災→新型コロナ禍

 リーマンショックによる一流企業での超絶なリストラ、東日本大震災によって絶対潰れないと言われた電力会社の経営危機、新型コロナ禍で、JRなどの公共交通機関の収益低迷。

 安定だと言われたルートが少しずつ細くなってきています。当然ルートの幅が狭くなれば、一流大学を卒業してもそのルートからあぶれる人たちが大勢出てくるわけです。

 リーマンショックまでは、電力会社、鉄道会社はまだ安泰だと言われていましたし、実際そうだったと思います。安牌就職先の最後の砦として、人気を博していました。しかしながら、震災と新型コロナ禍で、その最後の砦もあっけなく崩壊しました。

高学歴であることの意味とは?!

 以上の事から、安定的なルートに乗るためのツールとしての高学歴の役割は大幅に薄れたと言って良いでしょう。

 新卒市場では学歴による足切りがあるので、新卒で大手に入社するための乗車券の足しに若干役立つかどうかと言ったところでしょうか?

 しかし、就職氷河期リーマンショックの翌年、東日本大震災の翌年は旧帝国大、早慶でもエントリーでガンガン切られました。

高度に思考したり、調査をするための訓練を積む

 難関大学に入学する意味は、これに尽きると思います。難関大学には能力が優れた学友が大勢いるので、そうした学友と議論を深めたり、大学の難しい課題に取り組むために文献を調査したりする過程で、思考訓練を行うことが可能です。そうした課題に取り組んだ結果を発表する場でプレゼン能力も養われます。

 こうした能力を学生時代に醸成した後に社会に出ると、難しい課題に直面した際にも自分自身で能動的に課題解決に取り組むことが出来ます。また、会議で議論を行う際にも周囲の人を説得して巻き込むことも上手に出来るようになります。

普通のサラリーマンをやっていたら豊かにはなれない

 このような高度な思考訓練を積んだのだから、サラリーマンとして成功出来るじゃないかという意見がありますが、今の時代ではどんなに大手に勤務していても普通のサラリーマンを漫然とこなしているだけじゃ豊かになれません。

 東大、早慶を卒業して一流企業に勤務して、毎月のローンの返済に汲々としながら、都心の高給マンションに住んでいると、なんか同じマンションで茶髪のヤンキー風の青年が高級車を乗り回して、美女を侍らす光景に遭遇することもあります。

 しかも時間にも余裕がありそうです。会社のタスクに追われている人達から醸し出される悲壮感は全く感じません。さらに許せないことに横に歩いている美女は自分の奥さんよりも数段可愛いい。

 「自分たちは一生懸命に勉強して、一流大学に入学して、一流企業に入社して、やっとこさ手に入れた高級マンションの生活。それを飄々とやってのける茶髪のヤンキー風の青年がいる。しかも彼女も可愛い。こんな矛盾ってあるかよ。なんであいつらは、自分達より学が無いのに自分達と同等の生活もしくは同等以上の生活を手に入れたのだと。」

 高学歴の優等生は訝ることでしょう。

成功するにはリスクを取るしかない

 その茶髪のヤンキー風の青年は、ラーメン屋を開業して一発当てたり、スロットの駆け引きや分析を株やFXに応用して一発当てたり、webシステム会社を立ち上げて大きな受注を当てたり、成功のプロセスは様々です。

 しかし、ただ一点共通していることがあります。彼らは起業や投資というリスクを取ったんですよ。横に侍らせている美女も渋谷でナンパしてGet。これもリスクテイクのなせる業。

リスクを取るか社会的な成功を諦めるか

 残念がらな高学歴優等生は、せっかく高度に思考する能力を持ちながらも、リスクを取ることが出来ずに、サラリーマン生活のラットレースから抜け出せずにいるんです。

 毎月のローンの返済と子供の塾代でアップアップです。当事者たちはそれほど幸福感を感じていないのではないでしょうか?

 じゃーこの苦しい状況から高学歴優等生が抜け出すにはどうしたら良いでしょうか?

①何らかのリスクを取って投資をしてFireするか、起業して一発当てるか、フリーランスプログラマーで実力でのし上がる

②都会の高級マンションの生活を諦めて、郊外の安い市営住宅に引っ越して、蓄財のスピードを上げて、プチFiresする。

 

リスクも取れない & 今の生活も捨てられないジレンマ

 高学歴優等生と言うのは幼少期の頃から親や先生の言う事を素直に聞いてきた人たちが多いです。リスクを取るというのはそうした親や先生の言う事とある意味で真逆を意味します。そして、失敗したらどうでしょうか?最悪今の生活を捨てることになります。そうなると中々リスクを取ることが出来ません。

 成功を諦めて、競争から降りるというのも受験競争で勝ち抜いてきた当事者たちにとっては受け入れがたい。

 すなわち、こんな状況じゃ駄目だ。正直苦しいと思いつつも現状維持に陥ってしまうのが現実だと思います。

まとめ

 豊かな暮らしがしたい、社会的な成功を手に入れたい、こうした動機で一流大学に進学しても、昔と違ってそれが報われるか不透明です。

 そうであるならば、勉強が好きで、知的好奇心を満たしたい、レベルの高い仲間に囲まれて知的な研鑽を積みたいという目的意識で、一流大学を目指すことをお勧めします。

 勉強が嫌いな自分に鞭打って、無理して勉強している人は自分が時間を忘れてのめり込めることを見つけて、それをマネタイズしてお金を稼げないか検討してみるのも一手です。

 ただし、一流大学を卒業しておくとグローバルな事業を手掛けている一流企業に入社出来る可能性は高く、そうした環境でグローバルな感覚を磨きたいのであれば、とりぜず一流大学を目指すのもありだと思います。

 あくまでも将来的なビジョンを持った上で、勉強することをお勧めします。