兵庫県へ向かう
朝方、バンコクから関西国際空港に無事に到着した僕は電車で兵庫県の某市に向かった。そこには私の父親のいとこの方の旦那さんが社長をやっている会社があった。震災で被災し、関西で再出発したい旨を説明すれば、雇ってもらえるんじゃないかという淡い期待を胸に列車でそこを目指した。
アポなし突撃
会社の最寄り駅へ到着し、その父親のいとこの方の家へ携帯電話で連絡するもつながらなかった。そこで、ノートにメモされていた住所を頼りにお家に突撃することにした。その方には10年前ほど前に祖母の葬式で会った以来だ。
表札を確認し、インターホンを押し、東日本大震災に被災しどうか助けて欲しいと早口でまくし立てた。そうするとガチャリと玄関が開いて、そのおばさんが出て来た。
とりあえず、中に案内されて、今までの経緯を話した。
10年の時の流れ
10年前に祖母の葬式で出会ったときは、恰幅が良くイケイケな印象であったが、10年後に再会したときは痩せこけて、首には手術の後が見られた。
そのおばさんはそこそこ高学歴な事もあり、被災してからの経緯を話した後は日本の国政談議に花が咲いた。
私としては、何とかおばさんの旦那の会社で雇って貰いたい一心であったが、そこについては何となくはぐらかされた。
別れ
とりあえず、今いる会社に戻って謝罪してこいと諭されて、戻ることにした。餞別として10万円を頂いた。
最寄り駅まで車で送ってくれるとのことで、それに甘えた。別れ際に早世した父親の事を訥々と語ってくれた。
社会の偽善
震災発生当時、日本のあらゆる会社のホームページのトップには震災で被災された方々へのお悔やみの文言が躍っていた。
しかし、身内であっても10万円を渡されて、追い返されるとは何たる世の中の非常かと、心底落胆したものだ。
お悔やみの文言なんていらねーから困窮した被災者を少しでも雇用しろよと言う恨み節が頭の中を駆け巡っていた。社会の偽善に痛く傷ついた。
六年後
転職エージェント経由で、当時の社長から面接したい旨の連絡が入った。しかし、一番困窮していた時に手を差し伸べてくれなかった非情は忘れがたく、断固として断った。