スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

転職を決断する時(2社目)

在籍期間四か月

 この会社か四か月で退職しました。会社の契約が明らかに違法で、私にはほとんど非は無かったと思います。

入社のきっかけ

 前職で東日本大震災に直撃し、岡山県に避難することになりました。そこで避難者として岡山県の支援を受けることになりました。岡山県の就職支援課から私の前職の経歴がマッチする会社ということで、紹介を受けて、面接の後、内定となりました。

いきなりベトナム駐在の宣告

 内定時の契約では岡山県の本社勤務で設計業務を行う事になっていました。しかし、入社三日前にいきなり電話で、人事からベトナムに三年間駐在して欲しいとの宣告を受けました。会社の寮に住むつもりだったので、現在の住まいの契約は解除したばかりの後での宣告に非常に動揺しました。住む場所が無いので、とりあえず会社の言いなりになるしかありませんでした。

二週間の研修

 入社後に二週間ほど製品知識を学ぶ研修を行いました。しかもその会社の子会社のベトナム工場への出向とうことで、本社にいたのは入社の当日だけでした。その後、本社人事に子会社に連れていかれて、そこで二週間の研修を受けるように言われました。本社の寮に荷物だけおいて、子会社の寮にはベトナムに行くための身支度を持参することになりました。正直何が何だか分かりませんでした。

ベトナムへ強制連行

 その後に子会社の社長にベトナムへ連行されました。ビザが切れる三か月の間、ベトナムの工場でアメリカの某通信機器メーカー(GAFA)との工場営業をやるように言われました。滞在するホテルの部屋には窓が無く、精神衛生上、良くない物でした。

毎朝六時起き

 工場は市街地からバスで1時間ほどの場所にあるため、8時の始業に間に合うためには7時前にはホテルを出発しなくてはいけません。そのため、6時には起床している必要があります。起床後はホテルのバイキングで、マズい朝飯とベトナムコーヒーをとります。工場への道は大半が未舗装で、バスで全く眠ることが出来ません。

会議の通訳をやらされる

 取引相手のアメリカの通信機器メーカーは工場監査に厳しく、毎日朝の会議で、歩留まりや生産数の報告会議を開催していました。私はそこの通訳をやらされることになりました。正直誰もやりたがらない仕事です。取引相手の会社の環太平洋部門の責任者(シンガポール人や香港人)が話し相手だったので、英語の訛りがひどく、当初は全く聞き取れません。強いプレッシャーを感じながら、何とかメモをとり、工場に情報展開を行っていました。

 そもそも日本で設計の仕事をやるために入社したのに、子会社のベトナム工場に出向させられて、工場の営業をやることに強い疑問と会社への憤りを感じてしまいました。本社の人事部に抗議のメールをしても、梨のつぶて。人間不信が大いに募りました。

 

工程監査対応

 工程監査の時は製造現場に取引先と同行しますが、現場はクリーンルームなので、防塵服を着なくてはいけませんでした。しかしながら、この服は着ていると汗が体にまとわりつき、息苦しいもので、本当に苦痛でした。

 しかも、取引先は工程の素人のクセにやたら、こちらのやり方に疑問を呈したり、口出ししたりと、精神的にも心底疲れ果ててしまいました。

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工場のマズい昼食

 昼食は工場のマズい食堂の飯しか選択肢は無く、いつも食べるのが苦痛でした。日本人駐在員の一部は日本からカップラーメンを持ち込み、それでしのいでいました。

楽しくない飲み会

 日本食料理屋で、同じ日本人駐在員の飲み会に度々付き合わされました。しかし、日本人向けマッサージ屋や現地の風俗店の話ばかりで、本当にうんざりしました。本当に苦痛で、早く帰りたかったです。

インフルエンザに罹患

 精神的にも肉体的にも消耗し、とうとうインフルエンザに罹患してしまいました。しかし、ギリギリの人数で回しているため、代わりの人員がおらず、無理しながら出社をしていました。会社から帰ると、しばらくベッドに倒れこむ日々が続きました。

同僚が心筋梗塞で突然死

 やはり、精神的、肉体的に困憊していたのは私だけでは無かったようでした。同僚が朝、シャワーを浴びている時に心筋梗塞の発作に襲われて、帰らぬ人になってしまったのです。

転職を決意

 正直、会社のやり方、就業環境、業務内容の全てに不満があったので、三か月が経過して日本に帰国したら、絶対に辞めてやると決意しました。それと共に前職で曲がりなりにも頑張ったのに、こんなクソみたいな転職しか出来ない事に大きな虚しさを覚えたのでした。

 さらにこんな会社を優良企業として紹介してくる社会を知らないクズ公務員にも大きな怒りを感じました。

最終日

 夜七時に送迎バスに乗り込み、バスから次第に遠ざかっていく工場を見て、大きな安堵感をかんじたのでした。(やっと日本に帰れる)

 震災で避難し、再起を図ろうとしている労働者をだまして、搾取する会社に対して改めて怒りが湧くと同時に悲しみも湧き上がってきました。

 また、震災直後に様々な会社が、被災者とその家族に対してお悔やみ申し上げますという旨を会社のホームページに記載していましたが、そんなの嘘ぱちだと、いぶかるようになってしまいました。

 これはつまり社会の本音と建て前というやつで、表面的には同情しておきながら、被災者を臨時で雇う気なんてサラサラ無いんだろうと思うに至りました。

(おそらく実際はその通り)

帰国後

 会社を辞めて、寮を出て行くことになったら、住むあてはありませんでした。しかし、とにかく、今すぐに辞めさせてくれと人事に直談判しました。人事からは、退職は認めないの一点張りでした。流石にブチ切れて、大声を張り上げて、やっとの思いで退職が認められました。

労働基準法違反

 そもそも契約と全く違う仕事内容と勤務地で働かせるという明らかな労働基準法違反でした。今だったら、弁護士を会社に連れて行って、こちらがもっと有利になるような退職交渉が出来たと思います。

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入社試験の嫌な予感

 実は入社試験の時に嫌な予感がしていました。何となく会社の正門をくぐると気持ちが重くなるなどの言いようのない気分ののザワツキがありました。確かに、年収などは悪くなかったし、県の就職課も太鼓判を押していましたが、自分の直観を信じるべきだったと後悔しました。

まとめ

 私は良く分からないまま、なし崩し的に入社してしまいましたが、雇用条件と実際の勤務条件に齟齬がある場合にはきっぱりと入社を辞退する勇気も大切です。自分の大事な職業人生を決して棒に振らないで欲しいと思います。

 また、会社が明らかに悪い場合には弁護士を同席させて、交渉することをお勧めします。