スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

雇用を守る一方に存在する闇

美しい響き

 「雇用を守る」とは何とも美しい響きである。企業の社会的使命感を感じさせる。

 

守る対極にあるもの

 雇用を守る一方で、守るためのコストや犠牲が発生する。

 

中高年の雇用を守った結果(1995年~2004年)

 「雇用を守る」という美辞麗句の元、戦力として微妙な中高年の雇用も守った。しかし、この時に新卒で就職活動をした若者の非正規雇用が増大した。

 さらに、正社員としての職にありつけた若者も同期入社の絶対数が少なく、上から降ってくる仕事をこなすことに多大な苦労を要した。

 

くだらない仕事ごっこ

 私が新卒で入社した某大手企業は、新卒採用の総合職のリストラはしないという暗黙の慣例があった。そのため、本社の営業部門ではマジで使えないおっさんが、リストラされずに多く生息していた。私の会社の商材は1ロット最低1000pcs単位であった。そういう世界の中で、たった1つの引き合いの為にワザワザ技術部門に電話をかけてくるトンデモオジサンがいた。本当に仕事が無いのだろう。

 また、一度生産終了した製品を再度納品するようにお客様からごねられて、うまく対処出来ずに、泣きついてくるおっさん。しかも大した金額じゃない。

 こうしたことは会社の利益を考えて断るべき案件なのだ。しかし、こうしたおっさん達は、それを断ることで、自分の仕事を失ってしまうことが怖いのだ。自分で新たな仕事を開拓するスキルも気概も無いのだ。会社にぶら下がるために仕事をしているフリを必死でする。

 こうして、使えないおっさんの仕事してますごっこに巻き込まれ、技術部門の若手はサービス残業してまでそれに対処する。その一方で、そうしたおっさん達は悠々と定時退社。

 

まとめ

 守るという言葉の一方には必ず、守られない者達、犠牲になる人達が居ることを忘れてはならない。 

 就職氷河期では、中高年の雇用を守った結果、若者が犠牲になった。そして当時の若者はもう四十代。普通の時代なら得られたかもしれない結婚のチャンスを失った人も多いだろう。さらに守ることで、守られる人たちの自助努力の機会を奪う恐れも存在する。守ることは残酷さも孕んでいるのだ。