スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

長い春休み(東日本大震災の記憶)ペナン島編

「バタワース、バタワース」明け方にペナン島への起点となるバタワース駅の到着を知らせる車掌の声。ミネラルウォーターを飲み干し下車準備に取り掛かる。寝台列車だが、十分眠ることが出来た。特に疲れは感じない。バタワース駅で下車すると階段でフェリー乗り場に上がる。小銭を払って、迷路のように区切られた柵で待つ。朝日が眩しい。しばらくするとペナン島からのフェリーがやってくる。自転車、スクーターを携えた通勤客風の乗客達。彼らの降車と入れ替わりで、フェリーに乗り込む。フェリーと言っても特段座るところも無く、通勤電車の船版といったところ。

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 ペナン島の玄関口であるジョージタウンに到着するとそのエキゾチックな雰囲気に魅了された。芝生の公園から眺める白いセントジョージ教会と青空とのコントラストが非常に美しい。ハーモニーストリートにはヒンズー、仏教、キリストなどの様々な寺院が共存していた。途中でにわか雨が降ってきたが、お構いなしにずぶ濡れになりながら散歩を続けた。しばらく歩くとチャイナタウン風の商店街に出くわし、そこでナイキのスカイブルーのTシャツを購入した。このTシャツは肌になじみ、放浪中非常に重宝した。

 昨日の駅で買ったオレオとコーヒーで軽く朝食を済ませ、さらに町を散策する。まだ午前10時なのでバスでペナン国立公園に向かう。森林と海のコントラストが美しい。木の間を展望して移動できるようなところで一人の日本人女性と出会った。北海道出身で早稲田大学を卒業し、番組制作会社で四年働いていたとの事だ。会社を今年の二月で辞めて、世界を周遊中とのことだ。せっかくなのでテレビ業界のことについて色々と質問をさせてもらった。2000年代からテレビがつまらなくなったのは何故かという問いに対しては、番組制作サイドとしては面白い企画を沢山考えているが、PTAからのクレームなどの縛りで、なかなか思うような表現が出来なくなっているとのことだ。また、テレビ局の社員と違い番組制作会社の労働条件は悪く、深夜までのサビ残も常態化していたそうだ。原発事故の日本の報道(新聞、テレビ)が紆余曲折している様を客観的に認識していた。その時点で、テレビや新聞の古いメディアの限界を感じ始めていた。今回、彼女からテレビでのがんじがらめの表現の制約を聞き、益々テレビの時代は終わるだろうと確信した。彼女によると思い通りの表現をしたい人たちはインターネット業界に活路を見出しているとのことだ。

 彼女と散歩をしながら、しばしの雑談を楽しんだ。宿の地域も同じところだったので、公園の散歩を終えた後に一緒にバスで帰ることになった。先ほどの晴れの天気から一転して曇天に様変わり。雨が降ってきそうなので、急いで宿に向かうことにする。15時過ぎに宿近くのバス停に到着。雨が降り出していた。別れ際一緒に17時くらいに少し早い夕飯を食べる約束をした。私は宿にチェックインをして雨で少し濡れた体をシャワーで温めた。濡れた服をどうしようと思案していると宿に洗濯してもらえるサービスがあることを思い出した。クアラルンプールから溜まった服をまとめてお願いする。五から六着くらい依頼して、日本円で300円くらいだったはずだ。

 17時に待ち合わせ場所に行くが、彼女が来ない。30分ほど経過してやっと現れた。雨は相変わらず止む気配はない。彼女はiphoneを持っていて、近くのwifi電波を拾ってメールのチェックをしていた。2011年時点で、マレーシアなどの東南アジアでwifiが自由に使用できており、日本の電波寡占による自由化の遅れに危機感を抱いた。

 少し早い夕飯を済ませた後にネットカフェに立ち寄る。mixiのメールをチェックするとバンコクの友人から返事が届いていた。バンコクの彼のマンションに居候させてくれるとのことだったので、お世話になることにした。ペナン島の居心地が良く、このまましばらく滞在したかったが明後日にバタワースからマレー鉄道でバンコクを目指す予定を立てた。