2002年日韓ワールドカップの無念
日韓共催ワールドカップではチケットが取れず、無念の自宅観戦でした。韓国の会場ではチケットの余りがありましたが、当時はパスポートを持っておらず、行くことが出来ませんでした。
戦いは2005年から
2002年の無念を胸に抱き、今度の2006年では何としてでも生観戦をしたいという強い思いを抱きました。2チャンネルのワールドカップスレッドでチケットの情報をこまめにチェックしました。2005年に一次抽選があったので、すかさず応募しました。しかしながら、残念ながら抽選は外れてしまいました。
2005年のゴールデンウィーク中に散発的にwebのチケットサイトで余り券の放出があることを2チャンネルの情報で掴みました。しかし、クレジットカード決済でした。まだ大学生で、クレジットカードを持っていなかった私は、2005年2月のワールドカップアジア最終予選日本対北朝鮮選で、席が隣同士で仲良くなった社会人の方に連絡し、クレジットカードを貸してもらうことを決意しました。しかし、時間は深夜二時でした。しかし、どうしてもあきらめきれず、迷惑を覚悟で電凸することにしました。
事情を説明すると納得してくれて、タクシーで私の家まで来てくれて、一緒にFIFAのサイトでチケットを取ってくれました。マジで人生の恩人でした。社会人になって様々な上司に遭遇しましたが、この人を超える人に出会ったことはありません。
なんとスペインのチームの試合を準決勝目で見れるチケットを入手出来ました。(スペインが途中で負けたら、スペインに勝ったチームを追いかける)パソコンを操作する手が震えていたことを今でも覚えています。
ルフトハンザドイツ航空の手配
とりあえず、2006年の一月にルフトハンザドイツ航空の成田→フランクフルトの往復チケットを手配しました。といらえず、航空券さえ手配できれば、宿は何とかなるだろうと思っていました。
就職活動は五月までに終わらせる
ドイツワールドカップの開催は六月です。2006年に大学四年だった私は、就職活動を五月までには終わらせる必要がありました。とにかく気合を入れて就活を行い、四月末までに最終面接に三社漕ぎつけました。そして、三社のうちの一社から内定をいただくことが出来ました。
宿の手配
就活が終了したら、宿の手配を始めました。ボンの日本人会の計らいで、ボンに一週間ほどホームステイ出来ることになり、大変助かりました。その他は試合会場付近のユースホステルを適当におさえました。お金がなかったので、ユースホステルの八人部屋のドミトリーです。日本円に換算すると一泊二千円から三千円ほどのお値段です。ドミトリーに宿泊すること自体初めてだったので、非常に不安でした。
出発前夜
家を出るまで、何度もパスポートと観戦チケットを確認しました。その後、成田空港の近くの友達の家に向かい、一泊させていただきました。
飛行機の出発当日は成田駅まで友達のお母さんが送ってくれました。その友達には大学の定期試験の過去問を沢山融通してあげていたおかげで、その友達のお母さんが私に偉く感謝してくれていました。前日も寿司をご馳走してくれて、出発まで気持ちよく過ごすことが出来ました。