スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

転職を決断する時(3社目)

二社目を四か月で退職

 二社目の会社を辞めたので、会社の寮を出ることになりました。しかし、このままでは路頭に迷ってしまいます。

 実は二社目の会社に内定が決まった時に、内定をくれた別の会社がありました。急いで、内定をくれたもう一社の社長に電話をかけて、そこで働かせてくれないかと懇願しました。

 電話をした次の日に再度面接に呼ばれて、年明けからその会社で働かせて貰うことになりました。一度内定を辞退したにも関わらず、私を雇用してくれた社長には感謝しかありません。

 その会社は、消毒、消臭効果が高く、環境負荷の低い除菌水の生成装置の製造と販売を行っている会社でした。主なターゲットは病院、動物実験施設、介護施設、調理施設などでした。

在籍期間 一年三か月

 会社自体の居心地は悪くありませんでしたが、結果的に一年三か月で退職することになりました。その会社とは退職後10年経過した今でも仕事上の関係があり、そうした意味では長いご縁の会社です。

研究開発部に配属

 私はそこで、研究開発部の所属となりました。その部署では医療、介護、動物実験施設用の除菌水の効果を分析したり、除菌水生成装置を開発していたりしています。

当初は全く役に立てない

 研究開発部に配属されましたが、前職は電子部品の設計をしていたため、全く役に立てませんでした。このままだと、完全に殻潰しです。その為、まずは他部署で人手が足りない時に積極的にサポートに回りました。具体的にはお客様のサイトで、除菌水によって浄化された後の汚水を排出して、装置を清掃する作業や除菌水を噴霧する装置の部品の交換作業などのメンテ作業を手伝いしました。

自分が出来ることで会社に貢献できる事を模索する

 人手不足の部署の穴埋めの他にも自分が得意で、会社では出来ることは無いかを積極的に見つけました。具体的には会社の定例会議では議事録を書く人が居なかったので、私がそれを行うようになりました。漠然と議事録を書くのでは無く、議論の内容から会社の問題点をあぶり出せるように心がけました。

会社の問題点が見えてきた

 そうしていると会社の問題点が徐々に浮かび上がってきました。その会社は主に除菌水の生成装置、それの据え付け作業(配管工事、噴霧器設置作業)、定期メンテナンスに収益の柱にしてきました。

 しかしながら、こうした案件は一件当たりの案件金額は大きいですが、受注に波があります。このことが背景で、会社の収益も中々安定しませんでした。

 そこで、会社がサイドビジネスとして行っていた、除菌水を小分けにして一般販売している事業を強化する方法を考案しました。従来は小規模の病院や介護施設が、主なターゲットでしたが、ペットショップや動物病院並びにペットを飼っている家庭を更なるターゲットとしました。

 小分けした除菌水を直接に様々な用途先に家庭から法人まで幅広く販売し、そのボリュームを厚くすることで、リスクを分散しつつ収益フローを強化できる見込みが立ちました。

上層部の反対

 そうは言っても、私はまだ入社して数ヶ月、営業部長も、研究開発部長も聞く耳を持ってくれませんでした。しかし、何故か社長だけは私を応援してくれました。

 私は会社の地元の市を中心にインターネットで潜在顧客を洗い出し、そこに向けてテストマーケティングを行いました。特にペット関連は、会社が取り組んでおらず、またターゲットとして有望だったので、そこに向けて、サンプル品を持ち込んで、使用してもらうことにしました。

 除菌水をスプレーに詰めて、カタログを一緒に動物病院やペットショップに配って回りました。社有車は使用出来ず、全て自転車で一軒一軒回りました。自転車で行けない場所は電話でアポを取り、そこにサンプル品を送る地道な作業を繰り返しました。

予想通り好評

 テストマーケティングは予想通り好評で、大型ボトルを定期購入したいと申し出るペットショップも現れました。ペットの独特のにおいを消臭する除菌水は従来もありましたが、ペットの目や鼻などの粘膜に触れると炎症の恐れがあるなどの問題点がありました。その会社の除菌水は粘膜に触れても問題無いので、安心して使用できます。その点が非常に好評でした。

 また、ペットは少子高齢化の進行によって、飼育数が年々増えていて、これからの需要が多く見込める分野でした。(独居老人が飼育する需要が伸びている)

オリジナル商品の開発

 テストマーケティングの結果を受けて、ペット向けのオリジナル商品の開発部着手しました。会社から商品名を募り、パッケージやポップ資料は女性社員に頼みました。大型ボトルの定期購入に乗り出してくれたお店が、実際にオリジナル商品を店頭に置いてくれることになりました。

 自分が先頭に立って、会社の新事業を創出することが出来て、非常に満足することが出来ました。

研究開発部長との衝突

 こうして会社の新事業を打ち立てることに成功したわけですが、生成装置を開発した研究開発部長はそれを良く思っていませんでした。うちは生成装置を開発している会社なのだから、生成装置をメインに売るべきだと反発されました。

 社長が間に入って取り持ってくれましたが、ぎすぎすした空気は中々改善されず、徐々に居心地に悪さを感じるようになりました。

上らない待遇

 日本の昔ながらの風習が根強い中小企業だったので、年功序列であり、結果を出しても待遇が上がる訳ではありませんでした。給与は上がらなくても、裁量権を与えてくれて、自由にテストマーケティングをさせてくれるなどであれば、良かったのですが、自転車で拡販活動するにも限界が見えて来ました。(出来れば電車を使用して遠方まで行きたい)

転職を決断

 そこのまま会社にいても研究開発部長との衝突は避けられない事、新事業の土台をある程度構築して、会社に一定の貢献が出来た事、裁量権が広がりそうになかった事、(欲を言えばもう少し給料を上げて欲しかった)そうした事から転職を決断しました。

 その会社は土曜日は社内会議と勉強会という名目で出社だったのですが、せめて土曜出社が半日だったら、アルバイトを並行してやることで、会社を辞めずに済んだかもしれないと思うと無念でした。そもそも二社目を緊急退職した私を快く受け入れてくれたことに本当に感謝しかありませんし、それ以上の物を望むのはお門違いかもしれません。

会社に感謝しかない

 様々な要因で会社を去ることになりましたが、この会社には感謝しかありません。給与は低かったですが、私に自由に企画させてくれて、非常に充実した日々を送ることが出来ました。

 本当に大事なのは、会社の知名度や規模では無く、一緒に働く人だったり、自分らしくあれるかなのだということを体感出来て、非常に良い経験でした。

 どんな状況でも自分なりの努力と工夫で会社に貢献できる自信が付いたのは、この会社のおかげでした。

 また、当時70才を超えているにも関わらず、装置の据え付け現場に自ら赴く姿勢には尊敬の念を抱きました。通常の大手企業の社長ならば、現場に興味が無くふんぞり返っている人も多いことでしょう。

 そうした意味でも、辞めるのが惜しい会社でした。