出発
ボンで一週間ほどホームステイをさせてもらった後はライプチヒに向かうことになる。スペイン対ウクライナ戦を見るためだ。私は英語しかしゃべれないが、ホストファミリーは英語が流暢で、コミュニケーションには全く困らなかった。
出発の日の朝にあなたは英語がきちんと喋れるから問題ないわよとホストファミリーに言われて自信を深めた。今まで日本では暮らし、外国人とほとんどコミュニケーションは取って来なかった。英語は机上の勉強のみに終始していた訳だが、実際に外国人とコミュニケーションをとることで、そうした勉強が生きたものに変化して行くことを強く実感した。
ライプチヒへ向かう
ボンから鉄道でライプチヒに向かったが、ライプチヒの到着手前の30分ほど前(旧東ドイツ圏にさしかかる)から、車窓に古めかしい建物を目にするようになった。おそらく旧東ドイツの共産主義の影響だろう。
一体旧東ドイツのライプチヒとは一体どんな都市なのかという期待と高揚感が胸の中で交錯してきた。駅舎は良い意味で昔の名残が残っており、昔ながらのヨーロッパらしさを感じ取れた。ベルリンの壁崩壊迄、西側諸国の影響を受けずに開発から取り残されたことが、観光面では結果的に良かったのだろう。
宿泊場所は八人部屋のドミトリー
ユースホステルにチェックインして、八人部屋のドミトリーに向かった。そこには既に先客がいた。お腹を下したフィンランド人、大会ボランティアのドイツ人、スペイン対ウクライナを観戦に来たスペイン人がいた。
スペイン人にWhere are you from?と聞かれたて、from Japanと返答するとOh ヤーパン、ヤーパンと叫ばれ、若干戸惑ってしまった。しばし考えるとどうやら南欧ではJaをヤと発音する癖が有るため、ジャパンをヤパンと発音するようだ。
お腹を下したフィンランド人は苦悶の表情を浮かべていた。正露丸を勧めるとthank youと言って、口に放り込んでくれた。
ライプチヒ観光
試合は翌日なので、街を観光することにした。駅の印象と同様に古き良きドイツ文化が、開発の波をすり抜けて、質実剛健なその存在感を静かに主張している印象を受けた。美しい市庁舎の中も散策できたので、思う存分見て回った。途中でウクライナ人の女の子がお互いの写真を撮り合おうと話しかけてくれた。
写真を撮影し終わった後、一緒にお茶でもと誘われたが、あっさりと断られてしまった。ただ、男女の掛け合いに国境は存在無いことを強く確認できたことは意義深かった。
スペイン対ウクライナ戦
試合前のゴール前のスペイン選手団のアップする様子を見て、思わず興奮を隠せなかった。本当に世界クラスの選手が集い来る試合に向けて、入念な準備を行っていた。
キックオフ後はスペインの圧倒的な優位で、試合が進んだ。(4ー0)。ウクライナのシェフチェンコも応援していたが、中盤からのパスが繋がらず、前線で孤立する場面が多かった。シェフチェンコのドリブルでの仕掛けが、あまり見れずにその点は少し残念であった。全体的にはスペインの良さが十二分に発揮された試合だったと思う。イケイケのトーレスが、躍動していた。