スマート駄目リーマンの忘備録

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真鍋淑郎氏のノーベル物理学賞受賞について雑感

真鍋淑郎氏は既に米国籍

 2021年10月、真鍋淑郎氏のノーベル物理学賞受賞が決定した。残念ながら氏は米国籍で、会見内容を察するに日本の封建的、閉鎖的な研究環境を嫌っての渡米ということのようだ。私は大学時代に理系学部の学部生として、日本のアカデミアの片りんを垣間見たが、氏がそうした決断をした理由には十分納得がいく点があった。

 

不遇な大学院生

 私は大学時代に物理学科に在籍していた。当時は2000年代初頭で、大学院重点化が進み、理工系学部の学生の半数以上が大学院に進学するのがトレンドとなっていた。

 そうした中、私は大学院進学を避けて就職を選んだ。何故、私は大学院進学を避けたのか?それは大学初年度まで話が遡る。

 大学の理系学部初年度の実験には大学院生が‘TAとして、1グループにつき1人配置されて、実験の指導をしてくれることになっていた。(TA制度 ティーチングアシスタント制度)

 そこで、ふと一つの疑問が生じたのだ。大学院生とは本来研究に邁進することが本分であり、学生の面倒を見るのはそうした本文から逸脱していないかと?私はそのことをTAに問うた。しかし、TAからは一応バイトとしてやっている。無報酬では無いので問題ないとの回答であった。本人たちはそれが当然と受け止めているようであった。

 それでもやはり私は釈然としなかった。そうした教育に携わる重要な仕事は、大学から実験指導員として正規に雇用された者が、本来行うべきことではないのか?そしてよくよくTAから話を聞いてみると、教授から頼まれて半強制的にやらされている者もいるようであった。

 また就職時に同期の大学院出身者に聞くと、研究室の掃除や引っ越しに、大学院生が駆り出されたりもしたそうだ。大学院生というお客様としてお金を払って大学院に在籍しているのに、教授の下働きをさせるなんて、なんとも理不尽ではないか。さらに教授の学会のプレゼン資料の作成補助、学部生の試験の採点など教授の雑用全般を大学院生が引き受けているようであった。

 

閉鎖的な日本の研究室

 日本で研究者を目指すとすれば、大学院に進学し、研究室に配属される訳だ。しかし教授をピラミッドの頂点とした研究室はなんとも閉鎖的だ。上記のように教授から雑用を頼まれてもなかなかNoとは言えない。教授の意見が間違っていても反論しにくい。反論した場合には研究室から追放される恐れもある。よって、独創的な研究テーマやアイデアを持つ学生ではなく、教授に忖度できる学生が重用&登用されやすくなる。そうして重用&登用された学生も助教授になれるまでは薄給に甘んじることになる。

 そして、私は教授を経験した人物から衝撃の一言を聞いてしまったのだ。大学院生は俺たちの手足として研究を手伝ってくれれば良い。おそらく大学院生を一流の研究者に育てるといった気持ちがないのだろう。

 もちろん全ての大学の研究室がそうだとは言わない。ただし、日本の大学の研究室の一般的な傾向には当てはまると思う。

 

論文では独創性よりも論理的な穴が無いことが評価される

 もちろん、重大な論理的欠陥があってはならない。しかし研究発表では独創性や研究の着眼点の評価よりも論理性の細かい粗探しが多く、論文内容のスケールがどうしても小さくなりがちである。よって学会では聞いていて、面白くない発表が多かった。

 

独創的で優秀な学生は海外へ

 そのような訳で、独創的で優秀な学生はワンチャン狙いで海外を目指す。日本人学生には独創性がないなどの意見が、お偉い教育者から聞こえるが、そもそも独創的な人物を抹殺する環境なのだから仕方がないのだ。

 または高い数理能力を活かして、外資系金融機関や外資コンサルで徹底的に稼ぎ倒す。そもそも大学院への進学を避けて就職してしまう。

 大学院を出た人物達に大学院に進学したメリットを尋ねたが、総じて論文作成を通じて文章能力が高まった、学会を通じてプレゼン能力が高まったという意見が多かった。しかしながら、そうした能力はまともな企業に就職して2年も経過すれば、誰でも身につく能力なのではないだろうかとの疑問が涌いてしまうのだった。

 

これからのモデルケース

 理系学部を一度卒業した後は3年ほど大手企業で働き、その間に学費を貯める。大手企業のライフプラン制度を用いて2年ほど籍を残したまま休職し、その間に海外の大学院に進学するのはどうだろうか?

 企業に就職して設計開発などを行えば、現代社会が直面している技術テーマもくっきりと見えてくる。また海外の大学院に進学すれば、インターンなどを通じてそのまま海外に就職できる道も見えてくる。語学力は嫌でも高まる。在学中に優秀な成果を残せば、奨学金を得られる可能性も見えてくる。

 少なくとも学部を経て日本の大学院に進学するよりは遥かに選択肢も多くなり、視座も高まるのではなないだろうか?