翌朝はホテルのチェックアウト後に近くのマクドナルドに立ち寄って朝食を食べた。足袋の疲れがたまっているようで、口内炎が出来てしまい、オレンジジュースがしみて痛かった。庭のテラス席のがあるおしゃれな店であったのが、印象的であった。カリーニングラード行きの列車に乗るために駅に向かった。出発は40分後だが既に列車はホームに入線していた。
列車に乗り込もうと跨線橋に登るが、列車が入線しているホームに下る階段は閉鎖されていた。おやおや困った。ホームに目をこらすと地下通路から人がホームに向かうのが見える。もう一度駅舎にもどり、地下通路でホームに向かう。ホームの下まで辿り着くが、ホームへ向かう階段が見当たらない。しばらく辺りを見渡すと荷物検査とパスポート確認をする出国審査場からホームに向かうようだ。私もそこへ向かう列に並び、審査を経てホームに辿り着いた。危ない、危ない。ホームに辿り着けずに電車に乗れなければ、今日のクロアチア対ナイジェリア戦を見れない所だった。
列車に乗り込むと安堵して駅で買ったミネラルウォーターを飲み干す。しかし安堵もつかの間、リトアニアとロシアの国境審査を無事に抜けられるか不安が襲う。列車が出発して1~2時間経過した時であっただろうか。国境の駅に辿り着き、列車の中で入国審査が始まった。麻薬探知犬も乗り込み緊張が走る。私の番になるとロシアでの予定や目的を根掘り葉掘り聞かれた。パスポートが偽装されていないかルーペで入念に調べられる。パスポートの写真も撮影される。椅子の下に怪しいものが無いかも調べられる。とにかくこんなに緊張した入国審査は初めてだ。これが東側諸国なのか。何とか無事に審査が終わったが、疲労困憊だ。景色に目を配る余裕も無く、いつの間にかカリーニングラードに到着。ロシア国内の列車は時差はあっても、駅の時計はモスクワ時間。実際の時計との違いに困惑したが、時差の計算ミスによる間違いを防止するためには非常に合理的な仕組みであると感じた。
まだお昼くらいで、夜のキックオフまでまだ時間がある。とりあえず予約した宿へタクシーで向かう。しかし宿は駅からものすごく遠く、夜の試合が終わった後に無事に帰れるか自信が無い。宿のカウンターでキャンセル手続きを行い、試合終了後は空港で夜を明かすことに決めた。しかし宿主は英語が分からず、会話が成立しない。カウンターのPCでグーグルる翻訳を使い、こちらの意図を理解してもらった。タクシーを再度呼び、駅まで引き返す。
駅前では試合前だが、両国サポーターの応援で盛り上がりを見せていた。駅で時間をつぶししていたが、サポーターの熱気に押されて、少し早いが試合会場に向かうことにした。会場へは無料のバスが走っていた。FAN IDというワールドカップ試合感染者のIDカードを見せて乗り込んだ。
キックオフまでまだ二時間くらいあったが、周辺は盛り上がりを見せていた。ベンチに座っている人にどこから来たのか話しかけるとフィリピンからのアメリカ移民で、アメリカでは看護師をしているとのことであった。海外移住に興味があったので、どういう手段で移住しているのか質問すると看護師という技能移住の枠で移住したそうだ。自分がエンジニアだと伝えると、それならすぐにカテゴリーAの枠で移住が出来るよと応じてくれた。
隣の親子も楽し気。やっぱりワールドカップはお祭りだ。セキュリティチェックを行ってスタジアムに入るとピッチが夕日に照らされて美しい。紆余曲折を経ながら、何とかここに辿り着いた。疲労感と安堵が同時にこみあげてくるのを感じながら、冷たいコーラを飲み干す。
日が暮れて間もなくキックオフ、キックオフの前に簡単なセレモニーがありピッチ一杯に国旗が拡げられ、両国の出場を讃えあう。それが美しく、大きな感動を感じた。ここまで来た苦労を労ってくれているようだ。
試合はクロアチアのモドリッチとナイジェリアのモーゼスが攻撃を組み立て、激しい攻防を繰り広げていた。それにしてもモドリッチのアウトサイドの正確なロングパスには驚かされた。あんなに正確にアウトサイドをコントロール出来る選手を見たのは初めて。モーゼスのチャンス時は隣のナイジェリア人の雄たけびが響き渡った。そのたび毎に気を取られてしまった。試合は下記の画像を見てもらうので十分だろう。とにかく見ごたえがある試合だった。交通の便が悪いカリーニングラードじゃなかったら、チケット取れなかっただろうな。
試合が終わると空港行きのバスに乗り込み、待合室で夜を明かす。クロアチアサポーターの一団は皆、深夜に空港を飛び立っていった。
朝を迎えると空港の喫茶店で食事を済ませ、モスクワ行きの飛行機を待つ。セキュリティチェックを済ませて、空港の売店をプラプラしていると元プロサッカー選手の都並 敏史さんに遭遇。わー話しかけてみたい。左足を骨折しながらも、1994年アメリカワールドカップアジア最終予選に帯同し、精神面からメンバーを鼓舞してくれた。
遠目で都並さんを見ていると都並さんから私に歩み寄ってきてくれた。昨日の試合の感想など他愛のないことを話した。最後にノートにサインを書いてもらった。挨拶をして別れた後の後ろ姿を見て、生き様の凄みを感じた。やはりまだ左足の古傷が痛むのか、左足を庇う歩き方をしていた。ここまでボロボロになるまで、サッカーに打ち込んできたのか。
サインの筆跡はとても力強く、まっすぐな生き方がヒシヒシと伝わって来た。そして自分の生き方を振り返ると都並さんのようにまっすぐ一つの事に取り組んできたのか突き付けられる。それからというもの都並さんのサインをしばらく見ることが、怖くて出来なくなってしまったのだ。