スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

ロシアワールドカップ観戦記(シベリア鉄道後編)

 クラスノヤルスクから母親とその小さい娘さんが乗ってきた。娘さんはまだ4~5歳というところ。娘さんはすぐに車窓に飽きてしまいノートPCのDVDでアニメ鑑賞に興じ始めた。バックスバーニーの昔のアニメで、思わず既視感を感じてしまった。途中の駅で、貨物列車に戦車が何台も積み込まれている様子に思わず圧倒されてしまった。モスクワやエカテリンブルクなどのヨーロッパ圏のロシアと違い極東ロシアには旧ソ連の重苦しい雰囲気が色濃く感じられた。

 やはり戦闘兵器が手を伸ばす所にすぐ存在する部分に日本との大きな相違を感じた。エカテリンブルクでもサッカーの代表選手が乗り込むバスには自動小銃を持った兵士が随行していた。バスの扉が開くと、自動小銃のセーフティーレバーが解除され、その音を聞くと思わず緊張感が走る。

 親子連れは中国語の製品名の雑貨やティッシュなどを携行していた。彼女達と同じ駅から乗車した客も見渡すと同様に中国語の製品名の雑貨や飲み物を保有していた。近年高まった中国との強い経済的な結びつきを感じ取れた。極東ロシアに差し掛かってから、ロシアの多面性を感じ取れるようになった。

 先日と同じく、とにかく緑色のタイガが延々と車窓に続く、暇なときは親子ずれと一緒にアニメを見たりして時間をつぶした。

 一晩経過したところで、列車は順調にイルクーツクへ差し掛かる。その親子連れはイルクーツクで降車するとのことだ。母親が座席の下に格納したスーツケースを取り出す。スーツケースが満杯で、座席の下で引っ掛かる。私も手伝って、力任せにスーツケースを引っ張り出した。母親は私より10歳ほど若いが、母親であることの責任感や自負といった力強さをを感じた。

 駅に差し掛かると引き抜いた大きなスーツケースを私が代わりにホームまで運んであげた。ホームには彼女の母親が迎えに来ていた。迎えに来ていた祖母が、中腰になり小さな孫と抱擁を交わす。私は母親とお別れの挨拶を交わした。

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до свидания (さようなら)

 そして、列車は次の大きな目的地であるウランウデに向かって走りだす。列車から望む先ほどの親子を目で追った。ウランウデはバイカル湖沿岸警備隊に従事する軍人の目的地である。彼の国籍はロシアだが、人種はモンゴル系で日本人に顔つきが良く似ている。日本の任侠や侍に興味があるらしかった。ロシアでも日本のコンテンツが一定の認知度を有しているようだ。

 列車は半日から一日走ったであろうか。そんな彼ともいよいよお別れである。列車がウランウデのホームに停車した。ホームへ降りて彼とお別れの挨拶を交わした。そして最後に記念撮影をした。そしてすぐに出迎えた家族の群れに吸い込まれていった。シベリア鉄道の非日常から日常へ彼が吸い込まれていく、彼の姿を目で追い、寂しさが込み上げてきた。

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記念撮影

  数時間後、列車はチタに差し掛かった。ここから私の乗る客車は切り離されて、中国の国境の町である満州里を目指す。切り離された客車は2~3両ほどだっただろうか。急に心細さを感じた。切り離された客車は中国との国境の駅に向けて南下を始めた。

 ザバイカルスク駅に差し掛かるとこれから国境検問が始まり、しばらく列車は停車する。列車のトイレはその間使用出来ない。このようなアナウンスが流れた。列車で知り合ったペルー人医師と一緒に国境の駅で降車し、入境審査を待つことになった。

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国境駅の待合室

駅の喫茶店でパンを食べ、コーヒーをゆっくりと飲んだ。売店もあったので、残り二日分の食料と水を買いそろえた。

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国境駅の売店

 しばらくすると国境審査の案内が為された。ロシア人でも中国人でもない私達二人は自動小銃を携えた、いかつい軍人と英語を話す審査官に別室へ来るように案内された。

まずはペルー人医師から、パスポートとビザのチェックが始まった。ロシアワールドカップ期間中はFANIDがビザの代わりになり、自由にロシア国内を観光出来るはずだが、それが極東ロシアまで周知されているか怪しかった。ペルー人医師はビザについての説明を補足し、審査が無事に終了した。

 問題は私であった。パスポートとIDの確認が終わると、英語を話す審査官から、ロシア入国時から現在までの行動履歴が分かる資料を全て提示して、それを説明しろと言われた。若干、頭が混乱するが、紙にプリントアウトされたホテルの予約の控えと、飛行機と列車のe-ticketの紙の控え、サッカーの観戦チケットを時系列に並べ、現在までの行動履歴を詳細に説明した。これで開放されると思いきや、身長計の前に立たされて写真撮影までされた。これでは、私は犯罪者ではないか。審査官の英語もパーフェクトではなく、不信感が一層つのる。(もちろんペルー人医師はそのようなことは一切要求されていない。)

  それだけではない、指紋の採取までさせられた。しかも親指だけではない。上腕部全体の型を取られた。ペルー人の彼はただならぬ気配を感じたのか、自分は審査を終えたから列車に戻って良いかと審査官に申し出て、列車に戻ってしまった。別室には私一人だけだ。孤独感がこみ上げる。背後には自動小銃を構えた兵士。審査官に怒りがこみあげてくるが、ここで絶対に感情的になってはならない。落ち着けと自分に言い聞かす。サッカーの試合は面白かったなど、コミュニケーションの合間にサッカーの試合のことを織り交ぜて、審査官の警戒心を緩和する試みを積極的に行った。

 それと並行し、国境検問を通過出来ずに、どこかへ連行された時の最悪のシナリオにどう立ち向かうか考え始めた。ここから最も近い日本領事館はハバロフスクだ。なんとか連絡が取れても、ここにたどり着くまでに二日はかかるだろう。そもそも連絡の機会を与えてもらえるのか?収容所には英語を話す者はいるのだろうか?賄賂を要求された時は、財布にあるロシアルーブルを全部払おう。お金はペルー人医師に借りよう。そう心に決めた。

 終始いぶかしげな審査官であったが、私に疑うべき点が無いため、紙の旅程資料などを差し出せば、国境の通過を許可するとの回答してくれた。おとなしく、旅程の控えを提出し、私は何とか列車に乗り込むことが出来た。なんとか最悪のシナリオは回避できたが、気が付くと体中から汗が噴き出ていた。学生時代から英語を勉強してきたが、私にとって英語を勉強してきた意義は、おそらくこの国境の検問を突破するためにあったと言っても良い。もし中途半端な英語で、旅程や旅行の目的を説明できなかったら、収容所に連行されていたかもしれないところだった。

 審査場を出て、走って列車を目指すと乗り込む口からペルー人医師が顔を覗かせて、私を待ってくれていた。彼はすぐにコーヒーを用意し、私の苦労をねぎらってくれた。そして、審査官の態度に怒りをにじませた。

’It was uncomfortable'「不愉快だ。」

その言葉が、私の怒りと不信感を全て代弁してくれた。モスクワは経済発展を遂げ、自由主義経済の恩恵も受けて、半分西ヨーロッパのような感覚だ。しかし、極東ロシアは旧ソビエト連邦の感覚を持って対峙した方が良い。

 しばらくすると列車は中国国境に向けて、動き出した。三両編成の客車は、ステップの草原地帯をゆっくりと走った。中ロ国境が明確に分かる壁はなく、ステップの草原が両国の緩衝地帯のような役割を担っていた。道路はなく、列車しか移動手段が無いので、それで十分なのだろう。

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緩衝地帯

 2時間くらい乗ったところで、中国の国境駅である満州里駅に到着。中国への国境検問は非常にスムーズに進んだ。女性審査官の英語が分かりやすく、コミュニケーションの問題も一切ない。ロシア側の国境審査とは打って変わって非常に拍子抜けした。

南下したため、日の入りが早くなったせいもあり外は暗くなり始めていた。私が乗るシベリア鉄道の客車は中国国内の客車と連結した後の深夜に発車するとのことだ。

 駅の土産物屋を一瞥し、ホームに降り立つとペルー人医師が香港人と中華料理弁当の晩餐会を開いていた。彼が列車で知り合ったマカオ人と台湾人が、駅の柵伝手に弁当の出前を頼んだとのことだ。お前も来いと手招きされて、弁当を頂くことに。入境審査を済ませてしまっているために、駅の外に出れず、まともな夕食を諦めていた自分にはとっては正に渡りに船。ほぼ三週間ぶりにアジア飯。大変おいしかった。

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即席晩さん会

 その後はスマホワンセグで、日本対ポーランドの試合を皆でビール片手に観戦した。一緒に夕食を共にした彼らは、日本を必死に応援してくれた。

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頑張れニッポン

 ラスト10分の時間稼ぎのパス回しでは、カットされないか冷や冷やしたが、何とか1-0でしのぎ、勝ち点と得失点差でセネガルに並んだが、警告カードの枚数が少ない日本が決勝トーナメント進出の切符を手にした。

 ここまでが、ロシアワールドカップシベリア鉄道の記録である。満州里から北京までの中国国内の移動と北京から日本への帰還は次の最終章に譲ることとする。

 

 P.S  中ロの陸路での国境越えは、可能な限り回避することを推奨する。大使館が近くに無く、いざというときに頼りに出来る公共機関もない。また現地の機関の職員の英語力も怪しく、コミュニケーションの祖語も生じやすい。

 

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