スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

2014ブラジルワールドカップの旅(日本対コートジボアール戦)

試合は夜

 日本での放映時間の都合などの都合もあってか、キックオフは夜の10時でした。治安が激悪のレシフェで夜の移動とあって、戦々恐々としていました。しかし、同じホテルや周辺のホテルに日本人サポーターが多く宿泊していたので、その人達の流れに付いて行けば、そこまで危険な印象はありませんでした。

 地下鉄の駅では既にお祭り騒ぎで、既にお酒をたらふく飲んで、出来上がっている方たちも多くいました。

ゴール裏の席へ

 入場時の身分チェックに時間を要しているのか、スタジアムの入り口は長蛇の列でした。

 席はコートジボアール側のゴール裏でしたが、日本人サポーター同士が沢山いて心強かったです。時折、シャワーのような雨が断続的に降り注ぎ、観戦するのは結構きつい状態でした。

 日本人選手たちがピッチに現れて、アップを開始しました。席はゴール裏から程近く、選手の緊張した表情もくっきり伺えました。

キックオフ

 日本から見た地球の裏側の最果ての異国で聞く「君が代」は非常に感慨深かったです。

 香川選手と本田選手が攻撃の中心ですが、途中出場の切り札で、是非、柿谷選手も見てみたいと期待に胸が高まりました。

逆転負けの悪夢

 試合は前半のセットプレーのリスタートから、本田選手の左足がさく裂。後で映像を見返しましたが、軽くバランスを崩しがちでしたが、上手に利き足の左前にトラップし、ここしかないというコースを見事に射貫きました。コートジボアールの猛攻にも耐えて、前半を何とか1-0で折り返しました。

 しかし本田選手のスーパーゴールで先制するも、後半は逆転を許し、2-1での敗戦となりました。攻撃の名手香川選手も、日本代表ではディフェンスを頑張らないと厳しいと感じました。(左サイドをかなり狙われていました。)

 ある程度ディフェンス力の高いブンデスリーグならば、攻撃に専念で来ますが、当時の日本代表は攻撃の選手も世界の強豪相手では守備力も要求されると感じました。

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失意の帰路

 時折降る雨を凌ぐためにカッパを着ての観戦でしたが、湿度が高くカッパの下は蒸し風呂状態。それに輪をかけて、逆転負け。しかも試合終了は午前0時過ぎ。とんでもなく後味の悪い中での帰路でした。

 深夜という事もあり、ホテルに戻ることは諦めて、とりあえずホテルから車で15分くらいの空港まで地下鉄で戻り、そこで一夜を明かしました。同じような考えの日本人サポーターは数多くいて、空港のコンコースやロビーは日本人サポータだらけでした。

 皆さん、前日までの日本からの長旅と、失意の逆転負けということで、一様に疲れた表情でした。空港の売店はそこそこ営業していて、軽食を購入出来たのは唯一の救いでした。

 マスコミなどの一部の取材クルーの方達は空港からの深夜便の飛行機で、慌ただしく次の取材先に向かっていました。

  

飲み会と出世

日本では飲みニュケーションが出世の鍵?!

 コロナ禍が明けて、リモートから出社に切りける企業も多くなってきました。そうなると付随するのが、上司やお客様との一杯。これについては昔から賛否両論があります。

・賛成

 飲み会も仕事のコミュニケーションの一つ。積極的に参加するべきだ。

・反対

 飲み会に付き合えるかどうかで、出世が左右されるなんて不公正だ。純粋に仕事の成果で判断されるべきだ。

仕事の特性に左右される

 飲み会の重要度を紋切型に結論付けることは不可能で、次の項目に記載するように、仕事の特性に大きく左右されると考えられます。

飲み会の重要性が低い仕事

歩合営業、システム開発、予備校講師など、成果が明確な仕事

 極論を言うと、成果さえ上げていれば、飲み会に付き合わなくても、大きな不利にはならないでしょう。

高度専門職(国家資格職)

 医師、看護師、電気主任技術者一級建築士などの国家資格による参入障壁が存在する高度専門職も、今の職場でクビになっても、転職先が沢山あるので困らないでしょう。

飲み会の重要性が高い仕事

一般事務、人事などの間接部門などで成果が曖昧な仕事

 こうした仕事は個人の成果が可視化されにくく、仕事内容以外の要素が評価を大きく左右することが多いです。特に人事は部署の垣根を越えて、他部署の上司との飲み会に参加することで、現場の実情や本音を引き出せるアドバンテージもあるでしょう。

 一般事務の仕事は志望する人が多い反面、仕事の差別性が付きにくいので、雇用主に気に入られておく必要があるので、なるべく参加しておいた方が良いでしょう。

ルート営業職

 同じ営業でもお客さんとの関係性を良好に維持することが目的の営業は飲み会に積極的に参加した方が良いでしょう。

自分の能力に自信が無い人は参加

 正直、自分の能力に自信が無く、転職先がすぐに見つからない人は、仕事の種類に関係なく、無理してでも飲み会に付き合った方が良いでしょう。

まとめ

 仕事の本質はあくまでも、実際の業務での出来不出来なので、飲み会が比較的重要な仕事であっても業務をおろそかにして良い訳ではもちろんありません。

 飲み会のウェイトが実際の業務よりも重い仕事ってそもそも不要な仕事のような気がします。

 自身の仕事の特性と自信の能力を勘案して、最適なバランスを見出してもらいたいと思います。私は、行きたくない飲み会に無理して参加して、それで出世しても嬉しいと感じない感性の持ち主なんですよね。これを読んだあたたはどうですか?

 

仕事で成果を出しても認められない時

仕事で頑張って成果を出した

 同期の仲間と比べたら遅くまで残業している。自分が設計した機種が無事にリリースされた。

 設計検証会議でも、上長からの鋭い突っ込みを見事に跳ね返した。

→だけど、査定はCか良くてもB

同期の中で頑張っているのに何故評価されないの?

 努力の方向性が間違っていないのに評価されない。これはしばしば散見されますね。

それでは何故評価されないのかパターン別に解説して行きます。

所属している組織が相対的にハイレベル

 日本のメーカを挙げると、同じ会社でも設計開発部という会社の今後の命運を握る中核部門から、~推進室といった何をやっているのかよく分からない間接部門まで、部署は多岐に渡ります。

 当然ですが、設計開発部門、特に会社の主力商品を扱う設計開発部門には同期の中でもトップ層の人材が配置されます。

 基本的に査定は所属部署の中での相対評価で決まるので、母集団のレベルが上だとその中で更に頑張って上位に行く必要があります。仮にあなたが同期の中でトップ層で、花形の設計開発部門に配属されたとしても、その中で下位層であれば、査定は当然低くなります。

上司と自分の専門性がずれている

 これもアルアルなのですが、技術部門のトップがソフトウェア出身でその人が一括で、ソフト、機構設計、電気制御の人材を評価する場合、どうしてもソフトの人材の評価が甘くなりがちです。

 そりゃー自分の出身部門なのですから、部門独自の苦労などを実体験してきた訳です。話も一番通じやすいです。本人は平等に評価しているつもりですが、どうしても出身部門の人材の評価を甘くしがちです。私は機構設計担当でしたが、ソフト出身の上長から度々設計内容のエッセンスをマニュアルというドキュメントに落とし込んで体系化しろと言われてきました。しかしながら、ソフトの社員はマニュアル以前に設計書を書いていなくても全くお咎めなし。

 それでも技術系の中での分野違いなら、まだマシです。悲惨なのは中小企業で、社長が全社員を評価する場合です。例えばその社長が営業出身ならば、技術的な難題を社員が頑張って克服しても、その困難さを理解することはほぼ不可能です。それよりも先月1000万円の商談を成約させた営業マンの方が評価は高くなりがちです。逆に社長が技術畑出身だと、営業なんてただの販売員。売ってきて当たり前という評価になりがちです。

見えない身分制度の存在

 大企業の子会社で、大企業の出向組と子会社採用組みが同じ環境で仕事をしている場合などでは、当然ながら大企業からの出向組が幅を利かせがちになります。

 申し訳ないですが、子会社の社員がどんなに頑張っても焼け石に水です。

yasuyan.net

上司があなたを嫌っている

 やはり評価する人は人間なので、どうしても感情が介入してきます。上司からのイベントの誘いを断ったり、上司とテニスをしたときに自分が上司に勝ってしまったり。

 正直、器の小さい上司はその程度の事でも、部下の事をやっかむんですよ。自分に従順な大人しい部下が欲しいんです。こういう状況では設計レビューでも、部下に対してしょうもない揚げ足取りばかりしますので、部下は疲弊して行くだけです。当然ながら、評価もされません。

まとめ(評価は半分運ゲー

 このように会社での評価というものは、半分は運や人との相性に左右されます。自分の開発した製品が、市場で不具合を起こさずにきちんと機能して、お客様から評価されていれば、評価が低くても気にすることはありません。むしろ社内評価を気にするあまり、製品開発を疎かにする方が危険です。

 4~5年頑張ってみて、自分自身が納得できない場合には最低限の仕事だけして、趣味や副業で生きがいを見出すなり、転職してフレッシュな人間関係で再起を図ることをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

優秀な人材が欲しいという矛盾

優秀な人材が欲しい

 経営者や管理職ならば誰しもが抱く感情だと思います。しかしながら、彼らのインタビュー記事を読むと、優秀な人材を全く採用できないとのことだそうです。

本当に優秀な人材がいないのか?

 ちなみに旧帝大早慶の学生数は4万人弱です。学歴=優秀かはさておき、仕事においても優秀なポテンシャルを持つ人材がそれだけの人数で存在しています。優秀な人材は本当にいないのでしょうか?

優秀な人材に巡り合えない理由

 申し訳ないですが、優秀な人材に巡り合えないのは会社サイドに非があるかもしれません。

会社の知名度が無い

 リクルートなどにお金を払って、自社をPRする必要があります。広告費をケチっているのだから、優秀な人材が来ないのは当然です。

待遇が悪い

 旧帝、早慶の新卒学生や大手企業出身の転職希望者は知名度が有って、待遇の良い企業に持って行かれます。

 そうなれば、そうした待遇の良い企業よりも良い待遇を提示しないと見向きもされないのは当然です。

都合が良すぎる

 優秀な人材は、自分の頭で考え、それを発信する力があります。ということは、上の人の意見や指示が間違っていたら、当然それに対して反論することもあります。

 しかしながら、優秀な人材が欲しいという経営者や管理職は、往々にして、自分の意見に反論されることを嫌がり、多少無能でも自分に従順な人材を本音では好みます。

 彼らが欲しいのは自分の意見には反論しないが、画期的なアイデアとその成果を自分に授けてくれる、都合が良い部下なんです。どんなに部下に実力があっても、部下を引き上げるなんて絶対にしません。

 しかし、そんな都合の良い人材は存在するでしょうか?百歩譲って、仮に存在するとしても、知名度も待遇も微妙な会社に入社してくれるでしょうか?

まとめ

 経営者や管理職のインタビュー記事で、優秀な人材が昔と比べて減ったという意見を目にすることも度々あると思います。しかし、それをまともに捉える必要は無いと思います。

 優秀な人材に巡り合えないのは、そもそもその経営者、管理職、並びにその会社に問題があることがほとんどです。

 マッキンゼーなどのように本当に優秀な人材を採用したいと考えているならば、世界中の大学にリクルーターを派遣して、破格の待遇を提示します。さらに実力のある人間には年齢や社歴に関係なく、ドンドン出世させます。

 つまり、優秀な人材を採用できている会社というのは、そうなるための努力を行っているのです。

 

 

 

大企業と社員と住宅ローン

住宅ローンを組んだ後にまさかの転勤辞令!!!!

 これ、結構頻繁に耳にしませんか?せっかく住宅ローンを組んだのに、転勤の辞令が出て、ローンを組んだのにそこに住めない状況。泣く泣くお父さんだけが単身赴任なんてこともザラですよね。

配属説明会の後に地元の地銀の支店長が登場

 私は新卒でとある東証一部上場のメーカーに入社しました。一ヶ月の全体研修の後に、地方の事業所に配属となりました。

 そこの地方事業所に配属される同期と人事からの配属説明会を受けた後、会社のメインバンクの一角である有力地銀の支店長が、いきなり登場しました。

 そうするといきなり、口座開設用紙を一斉に配布されて、人事立ち合いの下で有無を言わせぬ形で、その地銀の口座開設申請書類を記入させられました。

 そしてなんと、その口座がメインの給与振り込み口座になると・・・。まだ社会を知らない青二才だった自分は会社からの指示の下で、言われた通りに手続きを行いました。しかし、今振り返ると分かります。これは限りなく黒に近いグレーであると。

会社から給与口座の指定は出来ない

 本来であれば、従業員の給与口座について会社から指定は出来ません。強制力は無く、あくまでもお願いベースが原則です。

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口座開設を行ったメインバンクで住宅ローンを組む社員

 こうして、見えない圧力で口座開設を強要された社員は入社三~五年次以降に結婚しだす同期も居て、そんな同期はメインバンクで住宅ローンを契約しちゃいます。当然ローンの与信は所属している大企業です。そして、ローンを組んだとの情報はその会社も把握出来ちゃいます。

簡単に退職できない悲劇

 そうなると大企業の正社員と言う与信でローンを組んだ以上、簡単には転職出来ません。銀行は確実にローン収入をGet出来ます。そして、会社としてもローンを抱えている以上理不尽な辞令でも退職しないだろうという目算が立てやすくなります。

 本当にひどい場合には会社員を精神的にひどく追い込みます。(会社を辞めたい。だけど辞めたらローンが返済出来ない。どうしよう?!)

会社とメインバンクはグルだった

 その会社に融資しているメインバンクとしては、融資の資金が社員の給与振り込み口座として事実上還流してくるので、融資リスクを低減出来ます。

 そして、毎年何人くらいが新規のローンを組んでくれるかの皮算用も比較的容易に出来ます。(確率5%なら、新入社員が今年は200人だから10人位はローンを組んでくれるだろう。)

 メインバンクだけがおいしい汁をすすれるだけでなく、ローンと言う十字架で会社は自社の社員を縛り付けることが出来ます。

やたら車を買わそうとする先輩

 私が在籍していた当時は住宅では無くても、車を買わせようとする先輩社員が多くいました。こんな田舎だと車が無いと厳しいぞと。私は家にも車にも興味が無かったので、本当にウザかったです。

 とにかく、会社は社員に何かしらの十字架を背負わせるように腐心していたキライがありました。

1990年代までの理想的なロールモデル

 とはいえ、大企業の正社員ならば、結婚、終身雇用、持ち家が当たり前に手に入った1990年代までは非常に理想的なロールモデルであったのかもしれません。

 社員としても定期昇給と終身雇用で約束されているので、ローンをきちんと返済出来る目算が明確に立てられました。ローンさえ返済すれば、その家は一応自分の資産となります。

 しかし、現代は定期昇給、終身雇用という前提が崩壊しかけており、ローンを確実に返済できる見通しが立てにくいです。

まとめ

 住宅ローンには企業と銀行が社員を搾取するトラップを内包しています。(未だに奥さんなどの家族から持ち家が欲しいと懇願されるかもしれません。)

 また、ここ十年の金融緩和で低金利の恩恵を受けて来ましたが、ここでガツンと金利が上がってくると変動金利では月々の返済がとたんに苦しくなっていくでしょう。

不透明な時代なので、無理せずに賃貸にしておいた方が良いかもしれません。

 

 

 

カメラを作る側と使う側

2000年代の20代での海外旅行

 私は20代の頃、東証一部上場のメーカーに勤務していました。ちょうどその時に海外一人旅にはまっていて、会社のお盆休みや正月休みには10日ほど海外旅行に行っていました。そこで、いつの頃か以下のような印象を抱くようになりました。

日本人 

 残業して、必死にスマホカメラに必要なレンズ、CMOSセンサー、カメラアクチュエーターを作って、i Phoneのカメラモジュールをハードで支えています。

 当然、一週間ほどの休暇で鮨詰めの飛行機でバタバタと主要観光地を回って、また鮨詰めの飛行機で帰って行きます。 

北米人

 長期休暇を満喫し、i Phoneのカメラを使って旅を楽しんでいます。彼らはi Phoneアプリケーションプラットフォームをがっちり抑えて、寺銭が常に流入するシステムを確立しています。

 

日本人って損じゃね?

 上記を分かりやすく例えると、一生懸命徹夜でグランド整備している日本人とそのグランドでサッカーを楽しむ北米人。さらに、徹夜仕事でふらふらなのに、スタンドで北米人のサッカーを応援しちゃうくらいお人よし。

 

多額のODA事業

 それだけでなく、日本人が休みもせずにあくせく働いて納めた税金が多額に海外投資されたり、貸し付けられたりしています。

www.jca.apc.org

 

真実は残酷である

 上記の事は私が多感な20代に海外を旅して知った冷酷な現実です。欲望に忠実な人間ならば、カメラを一生懸命作ったんだから、そのカメラを使って旅行を満喫したいと思うでしょう。

日本企業がブラック化しやすい理由

 日本政府が自国民に対して、その税金を有効に還元したり、投資をしません。それを削って、海外にジャンジャンお金を流しています。当然それを支える日本企業はブラック化しやすくなります。

 おそらく、アメリカのような強力な軍事力、外交力を有していれば、貸した金にそれなりの利子を付けて、その利子によってもう少し余裕のある暮らしが出来るんじゃないかと思います。

EEZにミサイルを撃ち込まれてもほとんどスルー

 これだけ頑張って労働して、税金納めて海外にお金を流しているのに日本以外の国が積極的に非難の声を上げることは少ないです。そもそも、それがニュースとしてきちんと取り上げられていないので、その事実を知らない外国人がほとんどです。

まとめ

 日本社会がちょっと頭が弱くても、真面目で従順な人材を評価するにはおそらく上記の理由があるのでしょう。

 小賢しくて、日本や日本人の真実に気が付き真面目にせっせと働いて税金を納めてくれない人が増えると困るんです。

 

 

 

 

2014ブラジルワールドカップの旅(レシフェ観光)

市内周遊ツアーへ申し込み

 日本から総計20時間以上の長旅を経て、ようやく辿り着いたレシフェ当然の帰結ではありますが、飛行機のシートに長時間座っていたために、腰が重たくなりました。ホテルの部屋のベッドに寝て休んでいましたが、ベッドのクッションが柔らかすぎて、余計に腰が重たくなりました。

 せっかく来たのに寝ているだけではもったいないと思い腰を起こして、レシフェ市内の一日観光ツアーに申し込みました。

 ホテルのフロントで申し込みを行い、翌朝にホテルの玄関で待っていると乗り合いのバンが迎えに来てくれました。

ポルトガルとオランダ文化の融合

 元来ポルトガルの植民地でしたが、オランダの侵略を受けて、街の光景はその影響を今でも色濃く残しておりました。

 レシフェは港町と言う事もあり、沿岸部に観光スポットが点在しておりました。下の写真はブラジル彫刻公園のモニュメントです。

ユダヤ教

 オランダ統治時代にユダヤ人が在住していた貴重な記録の様です。

オリンダ歴史地区

 カラフルにペイントされたヨーロッパテイストの建物で、やはり南米に来たんだと実感しました。赤道近くの常夏の都市なので、太陽の日差しが明るく、それにカラフルな建物が映えました。

 歴史を感じさせるブラジルバロック形式の重厚な教会が丘などに点在し、そこからの眺めも非常に素晴らしかったです。町の名前の由来は、ポルトガル語で"Ó, linda!"(日本語では、"なんと、美しい!"を意味する)とのことですが、その名称に恥じない素敵な景色を堪能できました。

 どこまでも続く美しい海岸線に思わず息を飲みました。

 ちょうど夕刻と言うこともあり、夕日に照らされる教会の白壁が得も言われぬ神々しさを放っていました。

 美しい海岸線を背景にすると一層映えますね。

帰路

 帰りの車の中で、隣り合わせた方が日系人の方で、40年以上も前に日本からの移民船でブラジルに移住したとのことでした。物腰は落ち着いていて、柔和な型でありましたが、日本から地球の裏の国に移住した勇気やフロンティアスピリットを醸し出し、強い芯を感じる方でした。

 やはり移住してから新天地を仕事を始めるのは大変だったそうですが、大変な事も過ぎてしまえばあっという間だと感慨深く述べられておりました。