スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

九ヶ月の中学受験

小学校での違和感

 物心ついた頃から、世の中のニュースや技術に好奇心が強い子供だったと思います。プラネタリウムに行ったり、図鑑を読んだり、電車を眺めたりするのが好きでした。

 しかし、小学校の友達の話題はアニメやゲームばかりで、話していてもあまり面白くないと思っていました。

 自分を同じ興味を持った友達がいたら、どんなに面白いだろう。その頃は、まだ私立中学という存在も知りませんでした。

 

小6になって初めて私立中学の存在を知る

 小6から地元の進学塾に入塾しました。私が入塾したコースは公立中学に進学するコースでした。入塾したばかりの時は、授業が速く感じ、付いて行くのが精一杯でした。

 出来ない問題を復習する事を習慣にしたら、次第に授業に付いて行くことが出来ました。入塾して一か月後の四月に月例テストでは成績上位者一覧に名前が掲載されました。

 

進学コースが物足りなくなる

 次第になんとなく、公立中学進学コースが物足りないと思うようになってきました。その塾には進学コースとは別に中学受験コースというものがあり、そちらに入ってみたいと親と塾にお願いしました。

 そこで中学受験の存在を知り、レベルの高い中学に進学できれば、自分と同じように好奇心の強い人たちと友達になれるかもしれない。そう考えると胸がワクワクしてきました。

中学受験するには手遅れ

 残念なことに小6の5月では中学受験を目指すには遅すぎるということで、塾の多くの先生から反対されました。通常であれば、そこで話はお終いです。しかしながら、何故か中学受験コースに移れることになりました。

 コース変更の前に中学受験コースを担当している先生と面談をしました。

 その先生から、授業に付いて行くのは、おそらく無理だろう、帰りも遅い。それでもやってみるかと聞かれて、「はい」と答えました。

 

算数の週例テストが0点

 こうして、中学受験コースの下のクラスの算数の授業に参加することになりました。授業では比の計算や三角形の相似を取り扱っていました。正直チンプンカンプンで全く分かりませんでした。その授業内での週例テストの点数は0点でした。

 漫画ドラえもんのび太が0点を取ったのを馬鹿にしていましたが、この時ばかりはのび太に同情しました。60分の試験時間中、全く何も分からずに過ごすことがどれだけ苦痛か知ることが出来ました。

 正直、こんな難しい問題を解ける中学受験コースの友達は天才なのではと思ったほどでした。

 とんでもない所に自分は来てしまった。受験ってこんなに大変なんだと思い知りました。

授業の無い火曜日に自主的に塾に通う

 このままじゃ非常にまずい。とりあえず授業で分からなかった部分を授業の無い日に解決しようと思いました。

 授業の無い火曜日に塾に行き、手が空いている先生に分からない部分を質問して、少しずつ疑問点を解決して行きました。

 私の担任でも無い先生が親切に教えて下さり、感謝しかありません。

 

友達に小5のテキストを貰う

 私は小6の5月からの入塾で、小5の内容が完全に抜けている状態でした。それを埋めなければなりません。その為、塾の友達に小5のテキストをもらいました。一部無くしていたので、先生にお願いして、足りないテキストをいただいて、授業と同時並行で、小5のテキストを自主的に勉強しました。

 

授業が次第に分かるようになる

 このような努力の甲斐もあり、授業が分かるようになってきました。算数の週例テストでも0点は回避出来るようになりました。

 

下のクラスでトップに

 中学受験コースに入ってから一か月間、自主的に頑張ってきました。しかし、たったの一か月です。皆は小4から塾に通っています。(遅くても小5)とてもじゃないですが、まだまだ追いつけない。皆との差にため息が出るばかりです。

 ちょうどその塾の月例公開テストがありました。良く分からないながらも、頑張って取り組んだところ何と下のクラスで一番になってしまいました。

 

 

夏合宿で上のクラスに

 夏合宿では、普段の授業で上のクラスにいる友達と一緒のクラスになりました。しかし、不幸だったのは部屋割りは下のクラスの子たちと一緒だったのです。

(正式に通常授業で上のクラスに上がったわけではない)

 その為、同じ部屋の友達に無視されたり、仲間外れにされたりといったイジメを受けてしまいました。

 上のクラスの人たちの平和な環境が心底うらやましいと感じました。そして、この環境から抜け出るためには通常授業で上のクラスに登るしか道が残されていないのでした。(早く合宿が終わらないか指折り数えていました。)

 このことがきっかけで、子供心に下の階層から這い上がるには勉強を頑張らなくてはいけないと気が付くことが出来ました。(多くの人は高校生以降に気が付くのだと思います。)

 実際の社会は本当に残酷で、競争から落ちこぼれると、きつい労働しか残されていません。

 

夏休み明けのテストで上のクラスに

 夏期講習中は算数の先生にしつこく質問しました。私の質問に最後まで付き合ってもらい、感謝しかありません。

 このような夏休みの頑張りのおかげだったのか、何とか上のクラスに上がることが出来ました。

 休み明けの最初の授業で下のクラスに向かうと張り紙がされており、私は上のクラスに上がることが告知されていました。

 私が上のクラスに上がる代わりに上のクラスから落ちた人もいて、その人の名前も告知されていました。

 私は上のクラスの教室に入った後に、下のクラスに降格する人が告知を見て、上のクラスの教室から引き返して行く残念そうな後ろ姿が今でも目に焼き付いています。

 

桐朋中に行きたい

 上のクラスに上がれたこともあり、東大合格者ランキングのtop10にも入ったことがある桐朋に行きたいと思うようになりました。

 しかし国語の記述問題が独特で、非常に苦戦しました。国語は2~3年のスパンで、腰を落ち着けて準備しないと間に合わないと思いました。

 四谷大塚の合不合判定テストでも合格可能性は40%ほどで、12月の最後に何とか50%から60%のラインに乗せることが出来ました。

 

正月特訓

 正月特訓では桐朋中を目指すコースに入れてもらい、国立教室の授業に通いました。周囲は桐朋を目指す子たちばかりで非常に刺激になりました。桐朋中に合格できれば、こういう子達と一緒に勉強できるのかと思うと心が弾みました。

 

城西川越中学、桐朋中学、立教中学、成城中学を受験

城西川越中学

 直前の模試で合格可能性70%であったにも関わらず、不合格。算数の序盤で分からない問題に出くわしてパニックになってしまいました。

桐朋中学

 城西川越中学の不合格のショックを引きずりながらも、全力で頑張りました。国語の記述も何とか書けたと思います。しかしながら、頑張りも虚しく不合格でした。

 

立教中学

 桐朋中の手ごたえが微妙な中、臨みました。正直出来たのか、出来なかったのか分かりませんでした。結果は補欠でした。合格まであと数点だったということですね。桐朋中学と立教中学は丁度同じくらいの難易度であったので、あと少しの所まで来ていたのかもしれません。

 

成城中学

 ここは過去問演習でも合格最低点を一度も切ったことが無く、余裕の合格でした。面接で、今日はどのようにして学校を訪れたか聞かれましたが、正直馬鹿にされているのかと思ってしまいました。

 

塾の先生の方が小学校の先生よりも面白かった

 中学受験の勉強を通じて感じたのですが、塾の先生の授業の方が、小学校の先生の授業よりも遥かに面白かったのです。

 失礼を承知で言えば、塾の先生の方が優秀だと思いました。塾の先生のおかげで、勉強の楽しさに目覚めることが出来ました。

まとめ

 私が育った地元は中学受験が一般的ではありませんでした。中学受験をする子もほとんど周囲におらず、情報不足であったのは否めません。

 自分にもう少し知識があって、あと半年、欲を言ったら後一年早く受験勉強を開始出来ていれば、間に合っていたかもしれないと思うと非常に無念でした。

 また、夏合宿でいじめられた経験も、社会の厳しさを知る上で大変貴重なものでした。

 そして初めて試験で0点を取ったことも、出来ない子の気持ちを知ることが出来たという意味で非常に貴重な物でした。

 結果は残念な物でしたが、初めて自分の意志で人生の選択を行い、そのための努力が出来たという意味で、たった九ヶ月でしたが、中学受験は非常に貴重な経験となりました。