快適なベッドで思い切り羽を伸ばし、いつしか朝を迎えた。今日は日本対コロンビア戦が開催される日だ。私は観戦チケットを持っていなかったので、午前中クレムリン内部を散策して、15時にスポーツバーかレストランに向かい、テレビで試合観戦をする予定だ。その後はプーシキン美術館に寄って、夜行列車でカザンへ向かう。今日も慌ただしい一日だ。
朝の八時過ぎに地下鉄でクレムリンへ向かうと、入場券売り場は長蛇の列。クレムリンの他に武器庫への入場券が、大変人気なのだそうだ。骨が折れるが、並ぶことにした。列の隣に兵庫県高砂市在住で、旭硝子に勤務しているペルー人と仲良くなった。私は神戸市在住と分かり、お互い意気投合。連絡先を交換し、帰国後に一緒に飲もうと約束を交わした。一時間半ほど並び、何とか入場券をGET。列の横で、私の分もついでに買って欲しいとメキシコ人の女の子に頼まれる。すかさず、隣のアメリカ人が俺たちは一時間以上並んでやっと券を手に入れたんだから、お前らもちゃんと並べよとキレ散らかし、騒然とした雰囲気に。
苦労して入場券を手にした思いもあってか、内部に入場した感動は一塩だった。武器庫は入場するのに苦労するが、それだけの価値はあった。その他にもロシア正教の教会、大統領府など荘厳な建物が随所に居並ぶ。クレムリンをたっぷりと堪能し、時計に目をやると既に14時を過ぎていた。
いかん、いかん。日本対コロンビア戦に間に合わない。大画面テレビがあるレストランに向かう。広い道路を渡った向かいにイタリアレストランがあったので、そこでピザを食べながら観戦することにした。
店内は込み合っていたので、一人の私はアルゼンチン人の三人家族(50代の父親と30代の二人息子)と同席することにした。流石アルゼンチン人だけあって、彼らも皆サッカーフリークだった。
30代の息子の一人は貿易関係の仕事で日本に駐在していたこともあり、私が日本人だと分かるとまたしても簡単に意気投合してしまった。
50代の父親は本格的にサッカーに打ち込み、アルゼンチンのユース代表に選ばれた経歴の持ち主。信じられないが、あのマラドーナと一緒にユースでプレーしていた経験もあるとのことだ。意外と世の中は狭いのだ。
私のピザと彼らが母国アルゼンチンから持ってきたワインを仲良くシェア。ワインを片手に英語でサッカー談義。気が付くと日本対コロンビア戦がキックオフしていた。
前半の立ち上がりで、コロンビア選手のハンドで得たPKを香川が落ち着いて決めて先取点。しかし前半終了間際に川島のもったいないセーブで同点に追いつかれる。2006年ワールドカップの日本対ブラジル戦の悪夢が蘇る。アルゼンチン人の彼らは、サッカーを見る目が肥えていて、長谷部のポジショニングを絶賛。
後半も一進一退の攻防が続く中、後半約30分に大迫のヘディングゴール。まさかの展開にコロンビアが焦り出す。アルゼンチン人の彼らも「あいつら焦ってるぞ。落ち着いて守れば大丈夫」と声をかけてくれる。そして試合終了。正直ドローで勝ち点1が、取れれば大満足と考えていただけに、驚きと喜びの勝利だった。彼らと祝杯を挙げて、連絡先を交換してレストランを後にした。
そういえばサッカーワールドカップのアウェーで勝ち点3を取れたのは、もしかするとこれが初めての事かもしれない。
天気が下り坂の中、プーシキン美術館を目指した。17時過ぎに入場し、ルノアールやマチスの絵画を堪能した。その中の数点の絵画は日本のプーシキン美術館展で、目にしたものもあった。思わず懐かしさがこみ上げる。
日本で展示会を訪れたときは「ジャンヌサマリーの肖像」を大変気に入って、お土産にクリアファイルまで購入したのだった。
人で込み合う裏からつま先立ちで、苦労して見た記憶がある。ところがどうだろう。本場のプーシキン美術館には今、私以外ほとんど誰もいない。
しばし、「ジャンヌサマリーの肖像」の絵画の前で立ち止まり、じっくりと鑑賞する。その肖像画の微笑えんだ口元から、お帰りなさいという声が思わず漏れ聞こえてくるような気がした。
そんな感傷に浸ると19時近くになっていた。今日は20時過ぎの夜行列車でカザンに行かねばならない。後髪を引かれながら、美術館を後にした。
モスクワの中央駅にたどり着くとカザン行きの列車は既にホームに入線していた。パスポートと電子チケットを見せて、列車に乗り込む。四人乗りのコンパートメントの寝台に横たわりながら、次の目的地であるカザンへ思いを馳せる。モスクワの喫茶店で出会った日本人がカザンを既に旅していた。彼によるとカザンはイスラム教の影響が強く、世界遺産のカザン・クレムリンはエキゾチックで見応えがあるとのことだ。目的地への好奇心と日本が勝利した興奮で、なかなか眠りにつけなかったが、いつしか日中歩き回った疲労が勝り、眠りについた。