真昼鈍行とは外回りの営業に疲れたサラリーマンが帰社するまでの時間稼ぎをするためにわざと鈍行に乗る行為である。
そのようなサラリーマンは日本の競争社会と雇用環境の理不尽さにほとほと疲れ果てている。そうして、やがて長期の旅に出る。その中の三分の一は社会復帰できず。旅先で沈没する。
民族音楽のけたたましい音で目が覚める。
向かいの二人組は荷造りを済ませていた。
SAGON?
Yeah
サイゴン(ホーチミン)は近い。
急いで荷造りを済ませ、デッキへと向かう。
まだ外は闇。時間も早朝ともまだ呼べない四時だ。
間もなく列車はサイゴン駅に滑り込んだ。ホームなどなく、草地へそのまま降りる。
改札の手前で女の子二人組とその従兄弟の三人の写真を撮影。
最後にGOOD LUCK!
という言葉を交わす。三人はその後タクシーに乗り込んだ。連絡先は交換したが、多分これから出会うことはないだろうな。
それにしてもGOOD LUCK!
っていう言葉。良い言葉だなぁ。その響きには旅中での幸運を祈るだけでなく、それが終わった長い人生の幸運をも祈るニュアンスを感じずにはいられない。
少なくても俺は、旅が終わっても楽しく、充実した人生を送って欲しいという願いを込めてその言葉を放つ。
広い地球の中で、ベトナムと日本という慣習も文化も違う者同士が同じ列車でほんの一時交錯した。
そしてそれはまたすぐに離れる。
でも君達と話せて嬉しかったよ。そしてこれからも元気でね。多分これでお別れで、これからあなたに何かあっても、俺は相談にのることも助けてやることも出来ない。唯一出来ることといったら貴方の幸せを祈ることくらいだ。
ほんの少し感慨に耽る。
時間は午前四時だというのに、空気は暑く、じっとりしていた。
ベンチで地球の歩き方をパラパラめくり、今日はどこに行こうか思案する。
一時間ほど経過しただろうか?
闇が白みを帯びて来る。夜明けは近い。
市の中心街まで歩くことにする。
営業を始める屋台もちらほら見受けられた。荷物を運送するスクーター、通勤姿の人達。
皆、勤勉だなぁ。
そういえばベトナムでは純粋な物乞いの人達をあまり目にすることはなかった。
ヨーロッパの方が記憶に残ってるなぁ。
まだ発展途上で民衆の中では貧富の差がそれほどない。皆が横並びに貧しい。だけど教育水準はそれなりに高い。とりあえず頑張れば今よりは、良くなるんじゃないか。多少なりともそんな希望が皆にあるのかも。
逆にヨーロッパみたいな先進国は社会がある程度成熟しきってて、勝ち負けも歴然としてる。また階層が固定しているので大逆転は厳しい。
そういった国だと物乞いの人達の目は完全に諦め切っているというか。
もう駄目だ。いくら頑張っても追いつけないみたいな。先進国、発展途上国という二項対立で簡単に説明出来るものではないが。
あとベトナムは中国沿岸部のすぐ隣だから、香港、上海の経済発展を結構間近に感じられているっていうのもあるのかな。
近くに参考とすべきお手本があるというか。
とりあえず中心街へと歩を進める。すっかり夜が明けた。途中で腹がいたくなりホテルでトイレを失敬。
ホテル涼しいー!
このままホテルにいたい位だ。
ホテルを過ぎた位から、自分の目的地への道と今歩いた道がズレていることに気が付く。
左折をしてメインストリートに出よう。
細い歩道をテクテク歩く。車道はスクーターの嵐。
と、その時。歩道でスクーターとすれ違い。リュックの紐がバイクに絡まり引きずられバランスを崩す。
スクーターですれ違ったオッサンは直ぐさまブレーキをかけたが、一歩間違えば怪我する所であった。
危ない、危ない。
お腹がすいたので、歩道沿いの屋台に寄る。銭湯の流しに置いてあるような椅子に腰掛け、隣のおじさんが食っているフォーを指差し、これと同じ奴をくれというジェスチャーをしたが、お粥のようなものが出てきた。
プリンみたいなでかい肉の固まりが異様だった。内臓かな?うまいのかまずいのか分からんが、とりあえずごちそうさま。
建設中の道路を摺り抜ける。やはり車道はバイクの嵐。暑い、暑い。
そこにお洒落なパン屋が。ベトナムの汚さに慣れ始めた自分にとって小綺麗なパン屋は新鮮だった。
ショーウインドーのパンに目を引かれ。気がつけば、お店の中へ。
エビアンとクロワッサンを注文し店内で食べる。
冷房が効いていて気持ち良い。地球の歩き方を見て、改めて何処に行こうか考える。
とりあえず官邸みたいなのが近くにあるから、そこに行くか!
官邸に面する通りは非常に広く、歩道もまた広かった。しかしスクーターが!
おいおい、車道が広いんだから、車道を走れや。
しばらく歩くと門らしきものが。あそこから入ればいいんだな。手荷物検査を受けて中へ。やたらツアーの観光客が多いな。
ここらへんになると日本人もチラホラ見かける。
確かに立派だが特に印象には残らず。
次はベトナム戦争博物館を訪れた。戦時中の写真よりもむしろ、戦後の枯れ葉剤やナパーム弾による後遺症に苦しめられている民衆の写真が痛々しかったなぁ。
そういった人達の多くは農村部に住んでおり、今でも苦しめられている人達がたくさんいて、自分はベトナムの暗の部分を全く目にしてなかったんだと痛感した。
結局、ツアーではなく一人で旅をして、ツアーにはない自由や、現地の人達との交流を堪能したといったって、その国の深い部分に実は入り込めていた訳じゃなかったんだなぁ。
そんなこと言ったら、日本だってそうだ。
自分が所属している会社、学んだ学校、そうしたものは所詮日本社会の一部でしかない。学生時代に日本をかなり旅をしてきたが、それはあくまで空間的な移動を行っただけであって、その土地の風土、歴史を知り、そこに住む様々な人らの立場を完全に理解した訳ではない。
今住んでいる町も名所と言われている場所には一通り行ってみた。近所に住む人達とも仲良くなった。
でも本当にその町を理解するには時間がかかるだろう。
友達が述べていた言葉で印象に残った言葉がある。
ただ漠然と旅をして写真を撮影していただけでは、インターネットで風景の写真を眺めているのと大差ないと。
広島を旅するときにただなんとなく平和記念館を訪れるだけじゃなくて、自分でアポをとって原爆症に苦しむ人と話したら、広島の理解の深度が変わっていただろう。
旅の終盤になって今更ながらそんなことを考える。
なんだかちょっと重たくなってしまった。
そして少し暗い気持ちになってしまった。
調度昼位になってお腹がすいたのでこ洒落たフォーのレストランに行く。
店内では日本人が関西弁の大きな声で何やら日本での世間話。
日本の現実に引き戻されそう。春巻を食べながら、心の中で必死に格闘。駄目だ。ここにいては駄目だ。
そそくさと店を後にする。その後は小洒落た教会や郵便局を見学。
フランス文化と上手い具合に調和がとれてんな。
両方とも赤煉瓦造りなんだけど、赤色が淡くて太陽の強い光りを柔らかく吸収していて、色の調和が上手く取れているというか。
赤色がもう少しきついと、色と色のぶつかり合いになってしまったんじゃないかな。
そこからスイーツのお店へゆっくりと歩を進める。
まだ若干腹もすいている。スイーツの店の先には薄汚いフォーのお店が。
出されたフォーにカボス汁をかけて、ぼーっと正面の道路を眺めながら麺をすする。
隣で食っている奴も、前に腰掛けている奴も同じくぼーっとしながら道を眺めている。
やっぱり暑いから皆、思考停止になっちゃうんだろうか。
ぼろい店内とは不釣り合いな液晶テレビ。そのテレビではNBAかNFLかメジャーリーグの試合が映されていた。
見ている奴皆無。ていうか偏見かもしれないけどそもそも一般市民はルール分かるのか?
そんな疑念を思考の1%で抱きながらやはりぼーっと道を眺めていたのだった。
暑く、そしてフォーの塩気で喉が渇いた。隣のスイーツのお店に行こう。
スムージーを二杯飲みながら、残りの数時間何をして過ごそうか考える。
会社の同期が夏に結婚したので、プレゼントとして渡すシルクの織物の店を物色することにする。
それにしても涼しい。しかも水にはライムをいれてくれる気の使いよう。
ライムのほんのりとした酸味が喉を一層潤してくれる。
快適過ぎて腰が上がらない。しかし気力を振り絞って立つ。悪い、大袈裟だった。
先程の郵便局当たりまで戻り、シルクの織物店をプラプラ回る。
迷いに迷って結婚する友人にはテーブルクロスをプレゼントすることにする。
ついでに友達へのお土産として、ハンカチも買うことにした。
それくらい買っても3000円もしなかったからねぇ。
JAPAN MONEYに感謝。
それからデパートをチラチラ見て回ると三時くらい。デパートの入口付近には手足を失った物乞いの人がいた。恐らくベトナム戦争の犠牲者だろう。
本当に旅の最後の最後でベトナム戦争の爪痕を目にすることが出来た。俺が産まれる前に形式的には終わったはずであるが被害を受けたそれぞれの個人からの視点から見たら決して終わってはいない。
有りがちな感想、もしかすると普遍的な事実だからこそ、皆が抱くのと同じ感想を抱いたのかもしれない。
疲れた。ハノイからホーチミンまで電車で南下して、あちこち歩き回って。流石に疲れが出て来た。
飛行機の出発は深夜だが、もう空港に行くことにしよう。でもタクシーには乗りたくない。
ハノイでの嫌な出来事を思い出す。
152番のバスならば、空港に行けるようだ。
バスターミナルまでを昼下がりの茹だるような暑さが抜けない空気の中を歩く。
152番のバスを視認する。念のため
to the airport?
と確認。飛行場までの料金はハノイで払った金額が嘘のように思えた。
まぁぼられたから嘘なんだけど。
日本円で100円もしなかった。
バスの車窓から市街地のスタジアムが目に入る。
ホーチミンといえど、ちょっと中心地を離れると道路の状況は良くないなぁ。
そんな事を考えているとシルバーの近代的な建物が目に飛び込んで来た。
立派な空港だ。
どうやら日本のODAで建設された空港のようだ。
未整備な道路と立派な空港とのコントラスト。
ベトナムの一般的な民衆で飛行機に乗るような人なんて1000人中10人いるんだろうか?
ODAやるなら空港より先に道路の整備や上下水道の整備が先なんじゃ?
そんな正論を一介のサラリーマンが吐いた所で何かが変わるわけでは無い。
そんなことは、そのODAに携わった当事者だって抱いていたであろう。
しかし、国や商社やゼネコンの権益といった一個人を越えた大きな何かによって突き動かされた結果な訳で。
それと対峙した時に俺のちっぽけな道徳や倫理は余りにも無力過ぎる。
仮にそのプロジェクトに営利団体の一員として携わったとき、それでも俺は自分の倫理を貫けるのか?
最近こう考えるようになった。富の繁栄や栄華は見えないところで何かを搾取しない限り絶対に維持は出来ないものであると。
地球に存在している資源は有限でその中のパイを国同士のパワーバランスで分け合ってるんだ。
だから何なんだ?いやだからこそせめて自分が置かれている状況や与えられた環境に感謝しなさいと最近自分に言い聞かしてるかな。もちろん不平、不満はあるけど。
飛行機が出発するまでKAISHAという名の休暇を楽しむ日本人サラリーマンを皮肉っているようなレストランでココナッツミルク味のフォーとぜんざいもどきを食べ、土産物屋を冷やかし、衛星放送から垂れ流されるサッカープレミアリーグを見て時間を潰す。
そうしているうちに飛行機の出発時間を迎える。
空港内のAnounceでカランポー、カランポーという言葉が耳に入る。
電光掲示板を見るとクアラルンプール行のAirAsia便が出発するようだ。
そろそろ俺が乗る0時過ぎの成田行の便の出発も迫る。ガラス張りの待合ロビーから外に目をやる。雨だ。飛行機揺れるだろうな。
そして飛行機に乗り込む。右前の席には小さな女の子を連れたベトナム人の家族連れ。なんだか女の子は落ち着かない様子。日本へ何をしに行くのだろう?
深夜なので搭乗が済むとすぐに電気が消され、雨が降るまさに漆黒の闇の中を日本目指して離陸した。
闇での離陸は飛ぶというリアリティを奪いさり、椅子を備えた箱が音を出して傾いているみたいだ。
案の定がたんと揺れた。