真昼鈍行とは外回りの営業に疲れたサラリーマンが帰社するまでの時間稼ぎをするためにわざと鈍行に乗る行為である。
そのようなサラリーマンは日本の競争社会と雇用環境の理不尽さにほとほと疲れ果てている。そうして、やがて長期の旅に出る。その中の三分の一は社会復帰できず。旅先で沈没する。
8月10日朝 けたたましい民俗音楽の放送で目を覚ます。時刻は早朝4時。フエの一つ手前の駅に到着したようであった。
寝台列車は駅に到着する15分程前になると、民俗音楽の放送が流れるのであった。
フエまでまだ十分に時間的な余裕があった。寝台に横になりながらぼーっとする。
8時過ぎ、無事にフエへ到着。プラットフォームに降り立つ。欧米人旅行者が多く目についた。
駅の出口には多くの客引きが待ち構える。もううんざりだ。
プラットフォームでは地球の歩き方を持った日本人を見つけた。
少し心強くなった。が、素性がよく分からなかったのでその時は話し掛ける気にならず。
乗客が掃ければ客引きの波もやむだろうと考えてしばらく様子を伺うが、一行にその気配無し。
意を決して駅の出口を出る。とりあえず駅前のロータリーまでNOの一点張りで突っ切るしかない。
案の定、うるさい客引き。腕を掴まれそうになる。
しかし強い拒否の意思表示で、なんとか突っ切れた。
その横で先ほどの日本人が客引きと楽しく談笑しながら歩いているではないか。
彼は客引きの車に乗る気はさらさらない。
かと言って強く断っている訳ではなかった。
飄々と相手をいなすという形容が適切かは分からないが、とにかくそんな感じだった。
そんな彼に僕は強い興味を抱いた。そして僕は彼に話しかけた。
僕
「客引きしつこくないっすか?」
彼
「別にどうーってことないっす。友達みたいなもんすよ。街でまた見かければお互い挨拶もするし。今日はどこを見て回るんですか?ていうかなんで日本人だと分かった?(笑)」
僕
「フエの王宮をとりあえず見に行きます。地球の歩き方持ってるんだから日本人だって位分かりますよ。(笑)」
彼
「僕も王宮をこれから見に行くところ。とりあえず、王宮を一緒に回りませんか?」
僕
「ええ、いいですよ。」
それからお互いどういう身分で、どうやってここに辿り着き、これからどうするのかを王宮までの道すがら喋り歩いた。
彼は東京工業大学大学院出身で現在は大手複写機メーカーの研究者。
勤務形態は非常に緩く、毎日17時にあがれて、有給休暇も柔軟に取得出来るようだった。
先月も三連休と有給休暇を繋ぎ合わせて一週間ほど中国を観光したらしい。
来月はラオスを観光するとのこと。
羨ましい限りである。自分の会社の現状を話す気にはなれなかった。深夜まで残業させられ、残業代すら満足に貰えず、おまけに有給休暇を取得しようとしたら難癖をつけられる。
この不況時にこんなにも優雅に働いている奴がいるなんて。軽い衝撃を受けた。
が、彼はCOEに選定された世界最高速の集積回路を作るという国家プロジェクトを担う研究室を出た身なのだ。
比較するだけ野暮だ。
だが在学中の研究は非常にハードだったらしい。指導教官に詰られまくり、人格崩壊寸前に陥ったこと。疲労困憊で駅のホームで意識を失い、倒れたこと等を話してくれた。
そんなこんなで王宮に到着。門でお互いの写真を撮影しあい、中へ入る。
中へ入ってからも学生時代の思い出や苦労、部活動のこと、今までどこをどうやって旅してきたか。
とにかく色んなことを話した。
王宮の内部はだだっ広い。
ちょっと歩けば人っ子一人もいない。
歩くのに疲れたので、回廊に腰掛け、そしてミネラルウォーターを時より口にしながらさらに会話が弾んだ。
ちなみに年齢は俺の一つ下。年齢が近かったというのも話が弾んだ一因かもしれない。
話すのに飽きたら王宮の中を適当に散歩、その合間に写真撮影。
一時間半から二時間位王宮を見学しただろうか。
小雨がパラついてきたこともあり、王宮を後にする。
せっかくだから昼ご飯を一緒に食べましょうと彼が提案し一緒にフォーの食堂へ。
道すがらお互いのこれからの行程を話した。
俺はフエの町が落ち着いていたので、ここに一泊しようかなと考えていた。
彼はこれからバスを乗り継いでホイアンへ行くとのこと。
飯食ったら、お互いお別れだね。なんて話をしていた。この時は彼とこれから三日間行動を共にするなど夢にも思わなかった。
小雨が降りしきる中、肌に纏わり付く湿気と暑さに堪え、20分ほど歩きフォーの食堂へ到着。
正直食堂の衛生状況はみるも無惨だった。おまけに食堂の中を飼い犬が徘徊している始末。
ベトナムの地を踏んで初めての定食屋だ。
汚い椅子に彼と腰をおろす。
とりあえず麺を啜る身振りでフォーを食べたいことを伝える。
食事を待つ間、彼の次の目的地ホイアンについて話の花が咲いた。
僕
「ホイアンには行きたいと思ってました。でも今日はここに滞在しようと思ってて、そうなると日程的にきついので諦めようと思います。電車が通ってないのもねぇ。」
彼
「それは勿体ないよ。町全体が世界遺産に登録されているくらいですよ。行かなきゃ損ですよ。それにフエからは余り都合の良い時間に列車が走ってないからねぇ。」
僕
「とりあえず考えておきます。」
しばらくするとフォーが来た。まず一口食べる。上手いではないか。
肉も食べる。体の底から力が沸き上がる感じがした。そういえばベトナムに来てからまともに動物性タンパク質を食べていなかった。
とにかく上手い。腹を壊しても関係ねぇ。皿に山盛りにされた香草を麺の上にジャンジャンかける。
調子にのってコチュジャンもバンバンかける。
しかし、辛すぎた。辛いじゃなくていたい。
唇周りがヒリヒリする。
食べている一方、彼の提案を受け入れようか考えていた。別にホイアンに行きたくない訳ではなかった。
問題は単独行動をするか二人で行動するかである。
単独行動は淋しさもある反面、自分の判断や考えがぶれにくいという美点もある。二人だからベストな決断が出来るという訳ではない。単独であるからこそ、事がスムーズに運ぶこともたくさんある。
また単独である方が現地の人に溶け込みやすい。
迷いに迷ったすえ、とりあえずベトナム中部の大都市であるダナンまで一緒に南下するという結論に至る。
ダナンからはホーチミン行きのエアもあるので移動の選択肢が広がる。
とりあえずホーチミンまで南下するのが目標なので目標からは逸れてない。
そこから彼と一緒にニキロ程先のバスターミナルを目指す。
バスターミナルの手前でダナン行きのマイクロバスの客引きに捕まる。
60.000ドンで行けるらしい。日本円で300円くらい。
安さに引かれそれに乗ることにした。
バスの現状は前にも書いた通りだ。とにかく客をつもうとする。
当初は地面が剥き出しの悪路であったが、途中から舗装された道路に変わる。
相変わらず彼と談笑する。二時間ほど走っただろうか。ハイバル峠の下を日本のODAによって建設されたトンネルで通過。目的地ダナンは近い。
ちょうどトンネルをくぐっている時に隣に座る女の子がオレンジ味のキャンディーをくれた。
水を口に含んだ状態で食べるとオレンジ味のキャンディーが絶妙な酸味となりカラカラの喉を刺激してくれた。
笑顔が素敵なとてもかわいい少女だった。
しばらくバスで走ると交通量、建物の量が多くなる。ダナンに近づいたようであった。
なんか空気が汚れているっぽいなー。
ハノイの幻影を感じた。ここには滞在したくない。
そんなことを考えているとバスターミナルに到着。埃っぽい。バスの乗降口付近に客引きが待ち構える。
フエ駅での彼の立ち振る舞いを真似て客引きを軽くいなす。
別に強くNOと言わなくてもこちらが必要ないとの意思表示さえきちんとできれば、しつこく追ってこない。
実際にダナンに到着して、ここを一刻も早く離れたいという気持ちが強く沸いていたので、ホイアンに行くことにする。
チケット売り場でホイアン行きのバスがどれかを聞く。
ターミナルの左奥に鎮座する黄色いボロッちいバスとのこと。ちょうどバックで駐車場に入るところであった。
バックの時にアラート音がきらきら星なのが面白かった。
バスの発車まで45分くらいあるとのこと。とりあえずバスの近くで待つことにする。
待っていると客引きが自然とまとわり付いてくる。
彼は相変わらず、客引きと楽しそうに談笑。そして地球の歩き方に掲載されているベトナム料理の一覧を客引きに見せて、どの料理がお勧めか聞いていた。
やるなー。客引きを逆に自分の都合の良いように利用している奴は初めてだ。たいてい嵌められるか、それを警戒して邪険に扱うかのどちらかなのに。
そうこうしているうちにホイアン行きのバスに乗り込める時間が来た。
中が小便くさいのが気になった。
時間になっても相変わらず発車しないのはお約束の通りである。7から8割方埋まったところで発車。途中で道行く人に声をかけて乗せていくのもお約束の通りです。
途中からスペイン人の男二人組が乗ってきた。彼らはホイアンに行く前にその途中のビーチに立ち寄るようだ。バルセロナ出身の35歳。でも年齢よりもずっと若く見えた。バルセロナ出身らしく、スペインもバルセロナのように沿岸部に近い都市はは蒸し暑くて夏は大変だと話していた。
日本にもいつか行きたいから、どの季節に行くのがお勧めかを聞いてきたので、迷わず春と答えた。
桜がきれいだからさ。
バスは未舗装の悪路に突入。とにかくガッタンガッタン揺れまくる。Swinging, Swinging!
一時間ほどは走っただろうか? ホイアンに到着。
相変わらずバスの乗降口には客引きが群れる。しかし、ホイアンは世界遺産だからか、世界遺産のマークがプリントされているTシャツを着ているためちょっと信用できそうに見える。
とりあえず市街地はどこかだけ聞き、そこへ向かって歩き始めた。もう夕方だというのにまだ蒸し暑い。背中が汗でべっしょりだ。
相方の彼が安いホテルを見つけておいたので、市街地に入ってからは地図を見てそこを目指す。
出会って一日も経過していないのにもう立派なパートナーだ。お互いが助け合えてる。
暑いときは飲み物を分け合ったり、地図を調べあったり、小額の札がないときは代わりに二人分払ったり。
バスターミナルからの一直線に来た道を右に曲がり、市街地に入った時は思わず感嘆の吐息がもれた。町並みがとても美しい。いたるところに世界遺産の場所を指南する看板があるではないか!
町全体に世界遺産があふれているというのか?!
さすがに町全体が世界遺産に登録されていただけのことはある。チェコのプラハを訪れたときと同じくらい感動した。
そんな感動に浸りながらホテルを探していると、目の前に目標のユースホステルの看板が。
受付で値段を聞くと二人部屋なら一泊8ドルで宿泊出来るとのことだった。
それから部屋を案内されたが、バス、トイレつきでベットもきれいで言うことなしだった。
すぐにシャワーを浴びて街に繰り出した。本当に美しい町並みだった。
日本橋と呼ばれる橋などを軽く散策。写真をパシャパシャとりまくった。町全体が手抜かりがなかった。表通りはきれいだけど、裏通りはトタン屋根ってパターンが皆無。
とにかく建物の色使いが素晴らしかった。センスが良いというのか生粋といのか。建物を眺めるだけで十分楽しめる。
感動した。来て本当に良かった。また土産物屋も冷やかした。土産物屋で売られているもののセンスも良かった。絵やシルクのスカート、ブラウス、スーツ、バッグ。女の子が来たらきっと歩いている途中でずっと目移りしっぱなしになるだろう。特にスカートやブラウスは男の俺から見ても良いデザインだと感じた。
そんなこんなで街を散策していると腹が減り、相方と屋外レストランへと向かった。
まずはここまでの労をねぎらう意味でビールを注文し、二人で乾杯した。それから三種類の面料理を頼んだ。うん、うん。うまいね。うまいね。ベトナムの今までの行程でmaxの味。
レストランから町並みや道行く人を眺めるのも気持ちが良い。そして幾分か涼しくなった。
レストランでたらふく食った後は市場を軽く散策してホテルに戻った。市場は沖縄の国際通りの裏の市場に非常によく似ていた。とにかく迷路なのである。狭い路地の両側にぎっしりと店が並ぶ。
ホテルの受付で次の日のミーソン遺跡ツアーを申し込む。日本円で2000円ほどだった。
その後、またシャワーを浴びて、相方とサッカー談義をして就寝。彼は高校時代までバリバリのサッカー選手だったのだ。どうりで体力があるわけだ。俺よりも1.5倍の荷物を担ぎながら、終日散策していても全く音をあげなかった。
今日は素晴らしい人と街との出会いがあった。本当に素晴らしい一日だった。