真昼鈍行とは外回りの営業に疲れたサラリーマンが帰社するまでの時間稼ぎをするためにわざと鈍行に乗る行為である。
そのようなサラリーマンは日本の競争社会と雇用環境の理不尽さにほとほと疲れ果てている。そうして、やがて長期の旅に出る。その中の三分の一は社会復帰できず。旅先で沈没する。
ホイアンを後にする日がとうとうやってきた。9時くらいのダナン行きのバスに乗る予定なので、それに合わせて身支度を整える。
昨日お風呂で選択したシャツと靴下、そしてタオルがすっかり乾いている。旅には下着、服、タオルなどは2着、多くて3着しか持参しない。だから必然的に旅先で洗濯することになる。
生乾きの洗濯物をリュックにつめるのは若干気分が良くないものだ。今日は幸先が良いスタートが切れたかな?
身支度がある程度整ったところで、食堂へ。俺は相変わらずパンケーキ。今日はメルトチョコをかけて少し贅沢。
1Fの食堂から眺める外の景色がまぶしい。陽光がきらめいている。俺たちが食事をしている間にも玄関から多くの旅人が次の目的地を目ざし、入口を後にしていく。
それにしても欧米人の荷物はすごいな。背中に背負うリュックの大きさも半端ないが、さらにその7割くらいの大きさのリュックを前にも背負う。そんなにたくさん彼らは何を持っていくのだろうか?何はともあれ、楽しくて安全な旅を送っておくれ。
相変わらず、俺たちはだらだらと8時過ぎまで朝食を取っていた。
部屋に戻り、身支度の最終確認。相方は今日、一気にホーチミンまで南下して次の日の朝に広州に向かうとのことだった。
広州については全く事前情報を持っておらず、エアの出発時間も朝の6時ということで、これからの旅程に対して若干面倒くさげ。あーとうとう今日が訪れてしまったか。そんな残念そうな感情が表情から見て取れる。
貴重品を忘れていないか念入りにチェック。8時半くらいに部屋を後にする。
ホテルの受付で預けてあったパスポートを受け取り、支払いを済ませる。受付の子に俺たちは何度もThank youとお礼を言った。彼女達のもてなしは最高だった。色々なことに気を使ってくれていた。ホイアンで楽しめたことの半分は彼女達のもてなしと笑顔だったんじゃなかろうか?
最後に餞別なのかは分からないが俺たちに1本ずつmineral waterをくれた。
これで本当のさよならだ。
バスターミナルに向かって俺たちは歩を進める。まだ八時半過ぎだが、もう暑い。背中をびっしょりにしながら、バスターミナルに向かう。その途中で葬式の参列に遭遇。霊柩車には華やかな装飾がなされ、まるで結婚式で新たな門出を祝うかのようだった。湿っぽさや暗さを全く感じなかった。
死=終わりではなく、死=新たな世界への旅立ちという観念をベトナムの人々は抱いているのだろうか?ヒンズー教、もしくは仏教の輪廻転生が根付いているのだろうか?
輪廻転生であれば、死は終わりではなく、始まりなわけで。
でも日本のお寺の葬式って仏教に則って行われるのになぜか寂しげだ。
バスターミナルでは黄色いバスが待ち構えていた。俺たちはやはり最後尾の席に腰を下ろす。今度は小便臭くなかった。
しばらくすると花を携えたおばちゃんが乗ってくる。何の用事だろうか?
自転車をガイドが担ぎこみ、それに乗っていた少年と少女もバスに乗り込む。
自転車のタイヤが俺たちの膝にあたってるんですけど(笑)
出発する直前にフランス人のカップルが乗り込む。初めて彼らを見た時、男性の目も髪も黒く東洋人かと思った。でも顔立ちをつぶさに観測すると。若干角ばっていて、彫りが深い。
彼はホイアンでスーツを買ったようだった。彼もスーツだけでなく心の中のお土産もきっとたくさん携えているはずだろう。
8割方席が埋まったところでバスは出発。さようなら、ホイアン。昨日の夜感じたような寂しさはあまり感じなかった。
ダナンの街中までは未舗装の道路が続く、ガッタ、ガッタ揺れまくる。俺たちの今の目的地はとりあえずダナン駅だ。なんとか駅の近くで下ろしてもらおうと交渉することにした。
しかし、ガイドは英語を解さない。
俺たちは地球の歩き方のベトナムの日常語一覧から、必死に駅という単語を探す。
ベトナム語で駅はga(ガー)というものらしかった。ガイドにgaというと何とか分かってくれたようだった。
隣に座っていたフランス人のカップルも駅に行くのかと英語で俺たちに確認する。Yeahと答えると彼らは安心したようだった。
30分くらい進むと路面がアスファルトになる。そして大きな川を渡った。ダナン市外に入ったようだ。
市街地を進み、ある地点にたどりついた時にガイドは俺たちに目配せをした。どうやらここで下車すると駅に近いようであった。最後にga?と聞き、Yesとの返答。
フランス人カップルも俺たちに続く。
特に英語が公用語ではないアジアを旅していると当然のことながら、現地住民の大半は英語を解釈出来ない。英語の初等教育が普及していないようで簡単な単語すら理解できない。
だから、欧米人と一緒にいると日本人はアジア人であるはずだが、日本人の旅人なら英語をそれなりに理解できるので、彼らから頼りにされることがある。なんだか不思議な気分だ。
下車する際にガイドは駅までの道筋を指で示してくれた。Thanks!
バスの通った道なりを少し進み、右に曲がると駅(ga)が見えた。
到着したのは11時前くらいだったろうか?13時の列車には十分間に合う時刻だった。
とりあえず、窓口で寝台車を確保し、その後に一緒に食べることにした。
駅前には旧ソ連のペレストロイカの旗が風ではためいていた。旧社会主義の名残か?
まだ窓口は若干混雑。でも並んでいればすぐに乗車券は買えそうだった。しかし、俺たちのもくろみは淡くも崩れ去る。
窓口は3つあった。俺たちは間中の窓口に並んでいた。しかし、そこに人がどんどん割り込んでくる。俺たちがNo!We are waitingと言ってもお構いなし。
しかも一番先頭の奴が窓口の販売員にしつこく何かを交渉しているようで、なかなかどかない。そしてその横で割り込みを虎視眈々と狙っている奴らが、先頭の奴らが交渉を終えるとすかさず割り込んでくる。
こりゃー大変なことになったぞ。バトルだ。次は割り込みさせないぞ。今度は割り込みを制し、およそ20分後にしてやっと販売員にご対面。
と、思いきや。販売員は俺たちの番になると窓口から離れてしまったではないか。
相方は堪忍袋の緒が切れたのだろうか?
思わず、
「おい。ふざけんな!」の声。
やれやれ。
彼が落ち着いたところを見計らい。
一番右端の窓口と、左端の窓口に二人で手分けして並ぼうと提案した。
俺は左端に並ぶことに。何とか12時前には券を手に入れたいな。
俺の前にはチケット代理店の奴が乗車券の束をぺらぺら指でめくりながら、販売員と交渉中。長くなりそうだ。悪い予感がした。
先ほど間中の窓口で販売業務をしていた奴は電話で何かを話したり、裏手に回ったり。
でもそれほど、忙しそうに見えなかった。頼むよ。勘弁してよ。
前に並んでいる奴は相変わらず販売員と交渉中。いつになったら終わることやら。
途方にくれそうになる。
しかし、そこに一寸の光陰が差し込む。裏手で雑務をこなしていた姉ちゃんが間中の窓口に!!!!
俺は後ろの奴に俺たちはずっと待っているんだ。間中の窓口で券を買わせてくれと懇願した。後ろの紳士風の奴は俺たちの英語を分かってくれた。そもそも、割り込みなどしなさそうな人だったが。その間に相方が何とか窓口の先頭に滑り込む。
ついに販売員とご対面だ。目的地と日程を予め紙に記入してあるので、それを販売員に見せるだけ。
こういうものは紙に書くとお互いの理解がすっきりするね。
ひとまずほっとした。当初は13時までに無事に切符が購入できるか不安だったが、何とかGET.
まだ12時前じゃないか。とりあえず飯を食べよう。というわけで、駅前のフォー屋さんへ。
もう、店の外構え、店の中のすさまじい惨状も気にならなくなった。うまけりゃいいんだ。
英語メニューが渡されるが、よく分からないのでnoodleとだけ言って、豚肉の入っている麺を注文。
俺はコーラを頼み、相方はビールを頼み、乾杯で切符売り場での苦労をねぎらう。
乾杯!!
先に相方が頼んだものが運ばれる。う、うまそう。一口スープをもらうが、疲れた体に塩分が染み渡る。
相方は二口くらい食べたところで、思い出したとばかりに食事を写真に収める。
俺は店の女性店員やおじさん、おばさんを写真に収めようとする。女性達は写真を撮影されるのが恥ずかしいのか、顔を手で隠して拒む。
ちょっとかわいかった。
でも皆笑顔。
そうしていると俺が頼んだものも到着。焼きそばみたいなものだった。
油麺というのか。焼きそばにゴマ油や、オリーブオイルをかけたような黄色い麺だった。
ベトナムはスープnoodleだけではないのだね。
とまどいつつもそれなりにおいしかったので完食。
街中をぶらつくには中途半端な時間だったのでおとなしく駅へもどる。駅前のペレストロイカの旗が妙に目に焼きつく。
駅の売店で列車で食べるビスケットを購入。またのどが渇いたので、REDBULLを購入。
汗だくだくの体にRED BULLの甘みが染み入る。
疲れた時にはやっぱり甘いものだねー。いそいそと待合室へ。待合室のベンチに腰掛ける、一応空調がかかっているらしく、暑さによる不快感はなかった。
相方とお互いの仕事のことをポツリ、ポツリと話す。話は今年の賞与の額になり、相方の額に愕然とする。俺のもらっている額の2倍だよ。
最後のお別れはやっぱりブルーか。
今まで深夜までのサービス残業が当たり前だと半ば諦めていた。しかし、それじゃ駄目なんだ。なんとかしなきゃいけないんだと考えるようになった。
しばらくすると俺たちの二列前の椅子に日本人らしきバックパッカーが腰を下ろす。ビニール傘をリュックの横にくくりつけているアジア人は90%日本人である。奴の背中は背でヒびっしょりだ。きっと街中を歩いて駅に辿り着いたのだろう。
彼は何を考えて、何を感じてベトナムの地を歩いているのだろうか?
そんな彼の内面に関心を抱いた。
もうすぐ13時、ベトナム語のアナウンスの後に英語でホーチミン駅の列車がまもなく入線してくるようだ。
相方とは車両が別なのだ。もしかしたら、ベトナムでは会えないかもしれない。最後にさよならを言ってそれぞれ別の車両に乗り込んだ。
ニャチャンまでは8時間ほどある。ゆっくり本を読むのもよし、寝台でねっころがるのもよし。とにかく次の目的地に向けて充電だ。
そんなことを考えながら寝台に腰掛ける。俺の向いには25歳前後のベトナム人の女性が座っていた。
とりあえず、Helloと挨拶。その後に思いもかけぬ言葉が。
‘’ Do you have something to eat?’ May I buy your food?’’
俺は????だった。初対面の人にいきなり食べ物はあるのかを聞いて、無いなら自分があなたの分を買ってきてあげようかだなんて?
スーパーな親切心に度肝を抜かれた。
一瞬その親切心に甘えようとしたが、
‘’ I have a cookies. OK. No problem.’’ とさらりと断った。
彼女
‘’ Where will you go?’’
俺
‘’ Nha Thang.’’
彼女
‘’ I also go there.’’
英語が非常に堪能なベトナム人だ。今回のベトナム旅行では現地民となかなか英語でコミュニケーションがとれず、非常に悩ましかったのだ。
英語でコミュニケーションが取れることに軽く安堵する。
俺
‘’ Why do you speak English well ?’’(何故そんなに英語ができるの?)
彼女
‘’ I was a English teacher.’’(英語の教師をしていたからよ。)
なるほどね。
俺
‘’ What do you do now? ‘’ (今は何をしているの?)
彼女
‘’ I am instructor of a hotel. ‘’ (ホテルのインストラクター)
????????
ホテルのインストラクターとは何ぞや?
彼女
‘’ Do you have a reservation of a hotel. ?’’ (ホテルの予約はしているの?)
俺
‘’ No.’’
彼女
‘’ I have a friend who manages a hotel. It is cheap. May I ask her to reserve a room for you?’’
(ホテルの経営をしている友達がいるけど、あなたの部屋を予約してくれるように頼んであげようか?)
なんて親切なんだろう。でも親切すぎて少し怖いわ。
とりあえず保留だな。
俺
‘’ Oh, that’s good. But can I consider. ? I will tell you a conclusion later..’’
(うん、いいけど。少し考えさせてくれ。あとで結論を伝えるよ。)
彼女
‘’ OK. ‘’
そんな会話がひと段落すると彼女は英語の分厚いペーパーバックをおもむろに広げる。
その本の重厚な外観。分厚さがかつて彼女は英語の教師をしていたことを如実に物語っているように感じた。
俺はmineral water の水を手に滴らせ、顔を洗おうとする。
‘彼女
‘’ Please go to the lavatory.’’
俺
‘’ Sorry. ‘’
全く不覚だった。電車が汚いんだから、ちょっと位水をこぼしても平気だろって考えが甘かった。
旅の恥は掻き捨ての典型じゃないか。実はダナンからホイアンに行く際のバスの中でも同じようなことして相方に怒られたな。
「これが日本だったら、あんた死ねって絶対言われますよ。っていうか俺の膝に水がかかってるし.。ふざけんな(笑)」
洗面台で顔を洗い、しばらくボーっと車窓を眺める。熱帯雨林と、稲の緑が目に優しい。
この緑を毎日眺めながら生活すれば、皆、視力が良くなるんじゃないか?
やがてその景色にも飽きてきた。汗まみれで鉄橋の保線工事をしている方々お疲れ様です。
しばらくすると先ほど別れた相方が俺のところまで二人の女性と一緒に訪ねてきた。
相方
「 やべー。俺の切符の日時が明日になってる。今日、乗る人と席がかぶった。どうしよう。」
俺
「 俺のところ座りなよ。」
相方
「とりあえず、車掌さんに聞きに行くわ。」
そうすると彼は行ってしまった。それにしても彼にとっては起伏の多い一日だ。
俺はベッドの上で銀河鉄道の夜を読みふける。ジョバンニが銀河鉄道を目の辺りにするあたりで、眠くなる。ベッドの上で寝っころがりながら、ボーっとする。
そうしているといつの間にか空が暗くなっていく。21時の到着まであと2~3時間ほどだ。
俺が降車するニャチャンより先の終点ホーチミンに行く相方に最後の別れを言いに行く。
彼はどうしているのかな?
揺れている車内の中を上手にバランスを取りながら、彼のいるはずの号車まで歩いていく。
すいません、横を通ります。
彼の姿が見当たらず、心配になる。もう少し進むとリクライニング席に彼がいた。
俺
「 あと二時間くらいで、ニャチャンだから。お別れ言いに来たよ。」
今振り返ると青臭いなー。でもその時はマジで苦楽を共にしたパートナーである種の親愛の情も芽生えていたので、恥ずかしさを感じなかった。
相方
「おっす。車掌に頼んで、空席に座らしてもらったわ。隣のおっちゃんにベトナム語を少し教わっていた。今、そちらに行ってもいい?」
僕
「もちろん。」
そうして二人で揺れている車内を歩いていった。
俺の寝台車で隣同士に座った。
そして二人で今日のことを振り返った。
相方
「今日の俺は駄目だった。なんだか疲れていて、少しいらいらしていた。今日、駅の窓口で怒ったのもそれが影響していたかも。笑顔も無くなっていたし。
俺がもし怒らなかったら発券ミスはなかったかもしれない。
怒ったことで窓口の人の心象も悪くなり、間接的にではあるにせよ、ミスにつながったんだと思う。
やっぱ、元気でそして笑顔じゃないと駄目だと思う。
笑顔でいれば周りの人の警戒心も解けて、優しくしてもらえるようになる。そうしてやさしくされれば、周りにもそのやさしさを振りまくことが出来る。
でも疲れて笑顔じゃなくなると、顔つきもきつくなるし、警戒心も抱かれやすい。そうすると状況がうまく運ばなくなり、そしてさらに顔つきがきつくなる。
そうした負のスパイラルに落ち込む。やっぱり、疲れていたら駄目なんだ。」
俺もその意見には納得だった。俺の今までの経験からも疲れているときは往々に物事がうまくいかない。判断能力も落ちてミスも増える。また現地の人たちにも親切にしてもらいにくい。
一昨年の冬に訪れたイングランドがそうだった。その時の旅は出発前々日に夜中の3時まで仕事をしていて疲れを溜めながらのロンドン巡りだった。
本当に散々だった。道を聞いても、あてずっぽうの適当な道を教えられて道にも迷った。
しかもホテルで少し寝ていたら、余りの疲れのために寝過ごし、テムズ川沿いの新年のカウントダウンや花火を見ることが出来なかった。
そのときは本当にショックで、俺は何の為にわざわざロンドンまで来たのかを自問自答した。何のために仕事を頑張ってきたのだろうとも思った。
だから彼の言いたいことはよく理解できた。ロンドンの次に訪れたプラハでは大分体力が回復して、冷静な判断が出来るようになった。表情にも余裕が生まれたと思う。
フランス人の大学生とカフカ博物館でカフカについていろいろ話が出来たのも印象的だった。ロンドンで人と絡むことはほとんど無かった。
ホテルの人にも親切にされた。ホテルのフロントでチェックアウトをした際の別れ際にマスターが手を差し出してくれてgood luckと俺に声をかけてくれたときはすごくうれしかったのを覚えている。
なんだろう?こいつにはなんだか分からないが親切にしてやりたい。そういうオーラってやっぱりあると思う。それはやっぱり、その時の精神状態であったり、普段から周りの人に親切にしているかとか。
そういうことって人の表情や雰囲気にかもし出されるものだと思う。
彼の言う笑顔もそれに近いのじゃないかな。
彼のやっぱり笑顔じゃないと。その言葉は自省も含め、胸に留めておきたいと思った。
そんな会話をして、最後に日本に帰ったら連絡しようねと約束を交わし彼と別れた。
目的地ニャチャンはもうすぐだ。そして今日の宿のことを真剣に悩み始める。
彼女をずっと観察していたが、やはり怪しい人ではないようだ。
思い切って甘えることにした。彼女は携帯電話で話をつけてくれた。何とか二日間10ドルで宿泊できるように取り計らってくれたようだ。
けたたましい民族音楽の放送が流れ、いそいそと荷物をまとめ、デッキに向かう。ドアの前でニャチャンへの到着準備をしている女性の車窓が颯爽とした居住まいでなんだかかっこよく見えた。
電車がホームに滑り込む。ホーム沿いに連なる売店の光がにぎにぎしい。
祭りの屋台の中を電車が走っているような、そんな錯覚に陥る。
先ほど宿の手配をしてくれた女性と一緒に電車を降りる。やっぱり、熱いじゃねーか。
改札口に向けて歩を進める。横を見ると女性がいない。振り返ると重たい荷物を持ちながら、ゆっくりと歩いていた。
気がきかねーな。俺。彼女のところに戻り、荷物を代わりに持ってあげることにする。
重たい。重たい。Mineral waterが目いっぱい袋に詰め込まれている。
やっとのことで改札口へ。駅前にたむろっている客引きにも大分慣れた。彼女はまた宿に連絡をかける。
駅前に停車しているタクシーの運転手に声をかけて、今晩おれが宿泊する宿の住所を告げて、俺をそこまで連れて行ってくれるように頼んでくれた。
なんてやさしい子なんだろう。
俺はタクシーに乗り込む。タクシーは夜のニャチャンの繁華街を抜けて海岸方面へ。だんだん車窓からの風景が寂しくなる。
車が細い路地裏に突入した時、一抹の不安がよぎった。本当に宿へ連れていってくれるのだろうか?そんな不安に駆られていたら、先ほどの彼女がバイタクでタクシーを追い越していった。そこから彼女が宿の前までエスコートしてくれた。
不安が一気に晴れる。俺は人間不信なのではないかと自分を少し責める。
タクシーは無事宿へ。エスコートしてくれた彼女は宿のオーナーに俺をよろしくねと話を付けてくれた。
助かった。夜10時に宿を探すとなったら非常に面倒だ。人の優しさにふれた。何でそこまで親切にしてくれるんだ。
確かに日本はベトナムにODAによる支援をバンバンやったけど、俺は何もしてないぜ。
俺はそのころまでずっと学生でまともに税金払ってなかったぜ。
未だに彼女にお礼のメールが送れてない。思い立ったが吉日だ。彼女に感謝のメールを送ろう。
宿は民家を改造したような4階建てくらいで非常にこぎれいだった。
宿のおばさん御年70歳くらい。とても柔和な雰囲気をかもし出していた。俺を一階の部屋へ案内してくれ、鍵を渡し、ごゆっくりという言葉を残して自分の寝室に戻っていった。
早速シャワーを浴びる。その後ベットに寝転び、k今日無事に宿のベットで眠れることに安堵する。日の出は5時半くらいなので、早起きするぞと自分に言い聞かせ、歯を磨いて眠りにつく。