スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

ロシアワールドカップ観戦記(スビヤズスク島)

 今日はカザンからスビヤズスク島への一日ツアーに出かける。地下鉄で、中心街のショッピングモールにある旅行代理店へ向かう。英語のガイドツアーに申し込み、バスでスビヤズスク島に向かった。しばらくバスに揺られると雄大ボルガ川の鉄橋に差し掛かった。写真を何枚か撮影し、それから小一時間ほどでスビヤズスク島に到着。

 ここは2017年に世界遺産に登録されたばかりで、まだ無名であった。しかし、観光客が少ないので、非常に開放的な気分に浸れた。アクセス手段は車しかないので、行きにくいというのも背景としてあるだろう。

 

 青空と白いロシア正教会コントラストが美しい。学術的にも非常に珍しい木造の教会も存在し、島内の見どころは尽きない。

f:id:yasuyankun:20210716213340j:plain

白い雲、白い教会、青い空

 同じツアーに参加していたイギリス人に話しかけると彼もワールドカップを観戦しに来たついでに参加したそうだ。日本とイギリスの予選リーグの順位如何では決勝トーナメントの一回戦で対戦することになるねなど他愛のないサッカー談義に花を咲かせた。ゴミ一つ落ちていない美しい風景、島を横切る爽快な風。身体も精神も心地よい。

 

f:id:yasuyankun:20210716214133j:plain

緑に映える白い壁面群

 ガイドの女性はスカーフをかぶっており、ムスリムのようだ。やはりここはイスラム教の影響が強いのだと改めて感じた。

f:id:yasuyankun:20210716213422j:plain

木造の教会

 お昼の時間になると一時間、昼食のための自由行動を許された。私は島内の露店でボルシチを食らった。隣の机の若者の一団が気さくに英語で話しかけてくれた。話が弾むとロシア政治にも話題が及び、プーチン首相の続投は本当に民意を反映したものか質問したが、あまり芳しくない回答だった。やはり複雑な背景があるようだった。

 

f:id:yasuyankun:20210716213543j:plain

気さくな学生さん達

 お昼休憩が終わり、島の周縁部を散策した後、バスで帰路についた。カザンに到着したのは17時半くらいだったろうか。その足でショッピングモールに向かい、寿司を食べた。内陸部の都市の割には、ネタも新鮮で悪くない味だった。寿司を堪能し、地下鉄に乗ってホテルに戻った。地下鉄のイラストはイスラミックなデザインでとても不思議な気分だった。西洋文化イスラム文化の接妙な配合。

f:id:yasuyankun:20210716213857j:plain

イスラミックな地下鉄コンコース

 今回はスペイン対イランの試合を見るためにカザンへ立ち寄ることになったが、街の分化や魅力的な世界遺産など観光資源が豊富にある素晴らしい都市であった。モスクワとエカテリンブルクの途中の駅で通り過ぎてしまう人が多いかもしれないが、もしロシアに観光に行く機会があれば是非とも立ち寄って欲しい街である。

 

f:id:yasuyankun:20210716214057j:plain

カザンクレムリン

 

 

ロシアワールドカップ観戦記(スペイン対イラン)

 翌朝8時、カザン駅に列車が到着。駅では地元のボランティアから熱烈な歓迎を受けた。

f:id:yasuyankun:20210710155813j:plain

Добро пожаловать(ようこそ)

f:id:yasuyankun:20210710155112j:plain

熱烈な歓迎

 ホテルに向かい荷物を預ける。ホテルのオーナーの息子さんが、日本人の私に興味を持ったようで、宿の近くを案内してくれた。カザンは本当に美しい町で、ドイツのライプチヒミュンヘンに匹敵する感動を覚えた。壮麗な建物と豊かな緑が見事にマッチしていた。

f:id:yasuyankun:20210710155333j:plain

美しい街並み

その後モスクワで出会った日本人にお勧めされたカザンクレムリンを訪れる。イスラム教徒が多い街であり、クレムリンもイスラミックなデザインであった。イスラム教国は基本的に灼熱で、雨が少なく水を崇める傾向が強い。それに倣いモスクには青を基調としたものが多い。カザンクレムリンもそれに倣い、青と白を基調とした大変美しい建物であった。

f:id:yasuyankun:20210710154039j:plain

カザンクレムリン

ドーム内のモザイクは金と白を基調とし、華やかさと清々しさが共存した不思議なデザイン。クレムリンの外観を写真に収めるが、あいにくの雨で、美しい外観が三割減といった印象。晴れた日にもう一度訪れることを決意し、クレムリンを後にした。

f:id:yasuyankun:20210710154112j:plain

内部の荘厳なモザイク

f:id:yasuyankun:20210710155228j:plain

アラベスク様式の窓

 観光をしているとちょうどお昼前になったので、中央アジア系レストランでお昼ご飯を食べることにした。旧ソビエト連邦の影響でロシア国内には今のウズベキスタンカザフスタンなどの中央アジア系のレストランが多くあり、日本人の口にも合う。ロシアは観光スポットの豊富さだけでなく、食事でも日本人にお勧めの国だと感じる。

西洋料理とケバブロールに飽きて、日本の食事が恋しくなってきた頃合いだったので、無我夢中で食べ進んだ。特に水餃子が絶品で、あの味は忘れ難い。

f:id:yasuyankun:20210710154151j:plain

中央アジア料理

 宿に戻り、16時半まで休息した。今日は夜からスペイン対イランの試合を見に行く予定なので、17時過ぎのバスでスタジアムに向かう。バスの発着場所はカザンクレムリンの近く。夕方になると青空が広がってきたので、バス停へ向かうついでにカザンクレムリンを訪れて、青空に映えるクレムリンを写真に収めた。

f:id:yasuyankun:20210710155513j:plain

青空に映える美しいクレムリン

 スタジアムの最寄りのバス停に向かうと既にそこからお祭り騒ぎ。顔に国旗をペイントしたり、楽器を演奏したり、皆が思い思いに楽しんでいた。

f:id:yasuyankun:20210710160131j:plain

キックオフ前からヒートアップ

 スタジアムに入場し、席に着くとピッチがすぐ近くで、興奮がこみ上げてくる。隣にはLGBの男性カップルが、仲睦まじくボディータッチをし、愛情と友情を確認し合っていた。二人とも本当に幸せそうだった。

f:id:yasuyankun:20210710154512j:plain

仲睦まじい、幸せそうなカップル。

 キックオフが行われると前に座っている観客は総立ちで、自分も立たないと試合が見れなかった。スペイン代表はイニエスタが注目の的だったが、21番のダビド・シルバの動きが目を引いた。ハードワークを厭わずに、チャンスの起点を作っていた。結果は1-0でスペインの辛勝。ゲームを見た感じ、決勝トーナメントをベスト4以上勝ち上がっていくのはきついと感じた。

 試合後にバス停に戻るとカザンクレムリンが夜空と照明に美しく映えていた。明日は世界遺産のスビヤズスク島に行く予定。サッカーの試合よりも観客の熱狂が印象的だった。

f:id:yasuyankun:20210710155603j:plain

熱狂的なイランサポーター

 

 

ロシアワールドカップ観戦記(あの絵画と思わぬ再会)

  快適なベッドで思い切り羽を伸ばし、いつしか朝を迎えた。今日は日本対コロンビア戦が開催される日だ。私は観戦チケットを持っていなかったので、午前中クレムリン内部を散策して、15時にスポーツバーかレストランに向かい、テレビで試合観戦をする予定だ。その後はプーシキン美術館に寄って、夜行列車でカザンへ向かう。今日も慌ただしい一日だ。

 朝の八時過ぎに地下鉄でクレムリンへ向かうと、入場券売り場は長蛇の列。クレムリンの他に武器庫への入場券が、大変人気なのだそうだ。骨が折れるが、並ぶことにした。列の隣に兵庫県高砂市在住で、旭硝子に勤務しているペルー人と仲良くなった。私は神戸市在住と分かり、お互い意気投合。連絡先を交換し、帰国後に一緒に飲もうと約束を交わした。一時間半ほど並び、何とか入場券をGET。列の横で、私の分もついでに買って欲しいとメキシコ人の女の子に頼まれる。すかさず、隣のアメリカ人が俺たちは一時間以上並んでやっと券を手に入れたんだから、お前らもちゃんと並べよとキレ散らかし、騒然とした雰囲気に。

 苦労して入場券を手にした思いもあってか、内部に入場した感動は一塩だった。武器庫は入場するのに苦労するが、それだけの価値はあった。その他にもロシア正教の教会、大統領府など荘厳な建物が随所に居並ぶ。クレムリンをたっぷりと堪能し、時計に目をやると既に14時を過ぎていた。

f:id:yasuyankun:20210702174115j:plain

大統領官邸

f:id:yasuyankun:20210702174242j:plain

アルハンゲリツキー大聖堂

 いかん、いかん。日本対コロンビア戦に間に合わない。大画面テレビがあるレストランに向かう。広い道路を渡った向かいにイタリアレストランがあったので、そこでピザを食べながら観戦することにした。

 店内は込み合っていたので、一人の私はアルゼンチン人の三人家族(50代の父親と30代の二人息子)と同席することにした。流石アルゼンチン人だけあって、彼らも皆サッカーフリークだった。

 30代の息子の一人は貿易関係の仕事で日本に駐在していたこともあり、私が日本人だと分かるとまたしても簡単に意気投合してしまった。

 50代の父親は本格的にサッカーに打ち込み、アルゼンチンのユース代表に選ばれた経歴の持ち主。信じられないが、あのマラドーナと一緒にユースでプレーしていた経験もあるとのことだ。意外と世の中は狭いのだ。

 私のピザと彼らが母国アルゼンチンから持ってきたワインを仲良くシェア。ワインを片手に英語でサッカー談義。気が付くと日本対コロンビア戦がキックオフしていた。

f:id:yasuyankun:20210702172628j:plain

ワインとピザを片手に楽しくサッカー観戦

 前半の立ち上がりで、コロンビア選手のハンドで得たPKを香川が落ち着いて決めて先取点。しかし前半終了間際に川島のもったいないセーブで同点に追いつかれる。2006年ワールドカップの日本対ブラジル戦の悪夢が蘇る。アルゼンチン人の彼らは、サッカーを見る目が肥えていて、長谷部のポジショニングを絶賛。

 後半も一進一退の攻防が続く中、後半約30分に大迫のヘディングゴール。まさかの展開にコロンビアが焦り出す。アルゼンチン人の彼らも「あいつら焦ってるぞ。落ち着いて守れば大丈夫」と声をかけてくれる。そして試合終了。正直ドローで勝ち点1が、取れれば大満足と考えていただけに、驚きと喜びの勝利だった。彼らと祝杯を挙げて、連絡先を交換してレストランを後にした。

 そういえばサッカーワールドカップのアウェーで勝ち点3を取れたのは、もしかするとこれが初めての事かもしれない。

 天気が下り坂の中、プーシキン美術館を目指した。17時過ぎに入場し、ルノアールマチスの絵画を堪能した。その中の数点の絵画は日本のプーシキン美術館展で、目にしたものもあった。思わず懐かしさがこみ上げる。

 日本で展示会を訪れたときは「ジャンヌサマリーの肖像」を大変気に入って、お土産にクリアファイルまで購入したのだった。

 人で込み合う裏からつま先立ちで、苦労して見た記憶がある。ところがどうだろう。本場のプーシキン美術館には今、私以外ほとんど誰もいない。

 しばし、「ジャンヌサマリーの肖像」の絵画の前で立ち止まり、じっくりと鑑賞する。その肖像画の微笑えんだ口元から、お帰りなさいという声が思わず漏れ聞こえてくるような気がした。

f:id:yasuyankun:20210702172435j:plain

ジャンヌ・サマリーの肖像

 そんな感傷に浸ると19時近くになっていた。今日は20時過ぎの夜行列車でカザンに行かねばならない。後髪を引かれながら、美術館を後にした。

 モスクワの中央駅にたどり着くとカザン行きの列車は既にホームに入線していた。パスポートと電子チケットを見せて、列車に乗り込む。四人乗りのコンパートメントの寝台に横たわりながら、次の目的地であるカザンへ思いを馳せる。モスクワの喫茶店で出会った日本人がカザンを既に旅していた。彼によるとカザンはイスラム教の影響が強く、世界遺産カザン・クレムリンはエキゾチックで見応えがあるとのことだ。目的地への好奇心と日本が勝利した興奮で、なかなか眠りにつけなかったが、いつしか日中歩き回った疲労が勝り、眠りについた。

f:id:yasuyankun:20210702173238j:plain

いざ、カザンへ!

新生活をお得に始めるならモッピー 新規申込・切替でポイントが貯まる!

 

 

ロシアワールドカップ観戦記(モスクワでの意外な出会い編)

 カリーニングラードを飛び立ったRussian航空は、モスクワ上空で何度か旋回を繰り返し、11時過ぎにヴヌーコヴォ国際空港に到着した。隣のドイツ人は椅子に腰かけているのが辛く、窓側に体をもたげていた。何度も旋回していたので、一瞬不安がよぎった。飛行機が無事に着陸すると皆が一様に拍手。私と同様の不安を乗客の皆も抱えていたのだろう。モスクワには6/17~6/19の三日間滞在し、6/19の夜行列車でスペイン対イランの試合を観戦するために、カザンへ向かう予定だ。

 とにかくお腹がすいたので、空港のレストランでサラダとボルシチを頼んだ。モスクワは近年の経済発展が目覚ましく、西ヨーロッパ的な雰囲気が漂い、旧東側諸国の趣は影を潜めていた。とりあえず空港から列車と地下鉄でクレムリンを目指すことにした。ロシアの地下鉄のエスカレーターの速度が異常に早く、気を付けないと降車時につまずきそうな勢い。地下鉄のホームは大変深く、エスカレーターでも時間がかかった。非常時には核シェルターとして利用できることを想定したものなので当然地下深くに越したことは無い。駅のホームには美しい壁画が描かれ、銅像が鎮座していた。今まで南米、東南アジア、西ヨーロッパなどを旅してきたが、こんなにも美しい地下鉄は初めてだ。冬の厳しい寒さが内面への充実を駆り立てたのかもしれない。地下鉄のドアはバタンと無造作に素早く閉まってしまうところなど、随所に旧東側諸国の面影が感じ取れた。

 

f:id:yasuyankun:20210702110545j:plain

秀麗な地下鉄コンコース

 地下鉄で赤の広場の最寄り駅にたどり着き、目的地まで歩く。途中でイルミネーションのようなものが道路一帯に飾られ、昼間でも道に彩りを添えていた。赤の広場には侍ブルーのユニホームを着た日本人サポーターも多く見かけた。明後日の日本対コロンビア戦の為に一度モスクワを中継したのだろう。何人かの日本人に声をかけ一緒に写真を撮る。

 

f:id:yasuyankun:20210701155556j:plain

駅から赤の広場まで

ワールドカップのアウェーまで応援に来る日本人には三種類いる。

①お金と時間があって、ほんの少しサッカーに興味がある50代以上。

 旅行の手配は代理店任せ。

②普段からサッカーを愛して止まないガチのサッカーフリーク。

 サッカー観戦専門の旅行代理店で手配。

バックパッカーでサッカーに興味があり、全て自分で手配してくる人。

 ちなみに私は②と③の間。

 

広場を一通り散歩したら、赤の広場の外壁を一周してみたい気持ちにかられた。実際に歩いてみると非常に広大で、夏の日差しが強く体に差し込んでくる。帝政ロシアが支配した広大な土地を象徴しているようだ。

f:id:yasuyankun:20210701160305j:plain

赤の広場

 

f:id:yasuyankun:20210701160335j:plain

美しい庭園

 散歩に疲れて、時計をのぞき込むと既に16時を過ぎていた。安いバックパッカーのドミトリーを予約していたので、そこに向かうことにした。しかし、地図で示された場所に宿が無かった。解体された空き地が広がっていた。そんな筈は無い。地元の人に尋ねても確かにそこだった。宿への連絡も通じず途方に暮れてしまった。仕方ないので、別の宿を予約することにしたが、ワールドカップ期間中はどこも満室で、空いている部屋は一泊三万円以上と高額だった。しかしながら、宿が無い以上背に腹は変えられない。仕方なく一泊三万円の宿をメールで予約した。タクシーでその宿に向かうと、たかが10分くらい乗っただけなのに4000円ほどぼったくられた。しかし、体は疲れ切っており、せっかく見つけた宿を逃すことも出来ないので、しぶしぶ金を払って宿へ。宿の受付で予約手続きを行おうとすると書面での手続きは出来ないので、expedia経由で予約してくれと頼まれ、受付でwifiの電波を拾って予約し直した。二泊で6~7万円くらいだった筈だ。

 部屋は個室で大変清潔だった。ここ三日間まともに布団で寝てなかったので、まさに極楽。シャワーを浴びながら、汗で汚れた衣服を洗濯して部屋に干すと清々しい気分になった。

i phoneの充電をしたいが、コンセントの規格が合わなくて充電できない。ちょうど宿の近くに電気屋があったので、変換プラグを購入することにした。

カウンターの兄さんにお勧めの変換プラグを紹介してもらい、それを購入。その時に君は日本人かと彼から尋ねられた。Yesと回答する。すると彼はチェスカ・モスクワの本田と対戦したことがある。自分は左サイドで彼とマッチアップしたときにサイドクロスに苦しめられたという。私の中では頭が?のままだ。しばしポカンとしていると隣にいる若い女性が彼はプロサッカー選手だと教えてくれた。サッカーで本田選手とマッチアップした人物と話をしていることと、そうした人物がワールドカップ期間中の今、電気屋さんで働いていること。この二つの事実を思うように受け入れることが出来ない。しばらくしてから、実感が湧いてきた。

https://en.wikipedia.org/wiki/Georgi_Tigiyev

 せっかくの機会なので、サッカーチケットにサインを書いてもらった。予約した宿が解体されて、跡形も無く消失していて、意気消沈していた気持ちが晴れてきた。

f:id:yasuyankun:20210701155408j:plain

Georgi Lvovich Tigiyev

人生塞翁が馬だ。思わぬ貴重な出会いに体から喜びが込み上げた。やはり旅はこうでなくちゃ。

新生活をお得に始めるならモッピー 新規申込・切替でポイントが貯まる!

 

 

ロシアワールドカップ観戦記(ナイジェリア対クロアチア)

f:id:yasuyankun:20210626150814j:plain

国旗

 翌朝はホテルのチェックアウト後に近くのマクドナルドに立ち寄って朝食を食べた。足袋の疲れがたまっているようで、口内炎が出来てしまい、オレンジジュースがしみて痛かった。庭のテラス席のがあるおしゃれな店であったのが、印象的であった。カリーニングラード行きの列車に乗るために駅に向かった。出発は40分後だが既に列車はホームに入線していた。

f:id:yasuyankun:20210627111127j:plain

f:id:yasuyankun:20210627111130j:plain

 列車に乗り込もうと跨線橋に登るが、列車が入線しているホームに下る階段は閉鎖されていた。おやおや困った。ホームに目をこらすと地下通路から人がホームに向かうのが見える。もう一度駅舎にもどり、地下通路でホームに向かう。ホームの下まで辿り着くが、ホームへ向かう階段が見当たらない。しばらく辺りを見渡すと荷物検査とパスポート確認をする出国審査場からホームに向かうようだ。私もそこへ向かう列に並び、審査を経てホームに辿り着いた。危ない、危ない。ホームに辿り着けずに電車に乗れなければ、今日のクロアチア対ナイジェリア戦を見れない所だった。

 列車に乗り込むと安堵して駅で買ったミネラルウォーターを飲み干す。しかし安堵もつかの間、リトアニアとロシアの国境審査を無事に抜けられるか不安が襲う。列車が出発して1~2時間経過した時であっただろうか。国境の駅に辿り着き、列車の中で入国審査が始まった。麻薬探知犬も乗り込み緊張が走る。私の番になるとロシアでの予定や目的を根掘り葉掘り聞かれた。パスポートが偽装されていないかルーペで入念に調べられる。パスポートの写真も撮影される。椅子の下に怪しいものが無いかも調べられる。とにかくこんなに緊張した入国審査は初めてだ。これが東側諸国なのか。何とか無事に審査が終わったが、疲労困憊だ。景色に目を配る余裕も無く、いつの間にかカリーニングラードに到着。ロシア国内の列車は時差はあっても、駅の時計はモスクワ時間。実際の時計との違いに困惑したが、時差の計算ミスによる間違いを防止するためには非常に合理的な仕組みであると感じた。

f:id:yasuyankun:20210627111417j:plain

カリーニングラード駅舎

 まだお昼くらいで、夜のキックオフまでまだ時間がある。とりあえず予約した宿へタクシーで向かう。しかし宿は駅からものすごく遠く、夜の試合が終わった後に無事に帰れるか自信が無い。宿のカウンターでキャンセル手続きを行い、試合終了後は空港で夜を明かすことに決めた。しかし宿主は英語が分からず、会話が成立しない。カウンターのPCでグーグルる翻訳を使い、こちらの意図を理解してもらった。タクシーを再度呼び、駅まで引き返す。

 駅前では試合前だが、両国サポーターの応援で盛り上がりを見せていた。駅で時間をつぶししていたが、サポーターの熱気に押されて、少し早いが試合会場に向かうことにした。会場へは無料のバスが走っていた。FAN IDというワールドカップ試合感染者のIDカードを見せて乗り込んだ。

 キックオフまでまだ二時間くらいあったが、周辺は盛り上がりを見せていた。ベンチに座っている人にどこから来たのか話しかけるとフィリピンからのアメリカ移民で、アメリカでは看護師をしているとのことであった。海外移住に興味があったので、どういう手段で移住しているのか質問すると看護師という技能移住の枠で移住したそうだ。自分がエンジニアだと伝えると、それならすぐにカテゴリーAの枠で移住が出来るよと応じてくれた。

隣の親子も楽し気。やっぱりワールドカップはお祭りだ。セキュリティチェックを行ってスタジアムに入るとピッチが夕日に照らされて美しい。紆余曲折を経ながら、何とかここに辿り着いた。疲労感と安堵が同時にこみあげてくるのを感じながら、冷たいコーラを飲み干す。

f:id:yasuyankun:20210627111211j:plain

 日が暮れて間もなくキックオフ、キックオフの前に簡単なセレモニーがありピッチ一杯に国旗が拡げられ、両国の出場を讃えあう。それが美しく、大きな感動を感じた。ここまで来た苦労を労ってくれているようだ。

 試合はクロアチアモドリッチとナイジェリアのモーゼスが攻撃を組み立て、激しい攻防を繰り広げていた。それにしてもモドリッチのアウトサイドの正確なロングパスには驚かされた。あんなに正確にアウトサイドをコントロール出来る選手を見たのは初めて。モーゼスのチャンス時は隣のナイジェリア人の雄たけびが響き渡った。そのたび毎に気を取られてしまった。試合は下記の画像を見てもらうので十分だろう。とにかく見ごたえがある試合だった。交通の便が悪いカリーニングラードじゃなかったら、チケット取れなかっただろうな。

 

 

 

f:id:yasuyankun:20210627111542j:plain

スタジアムのイルミネーション

 試合が終わると空港行きのバスに乗り込み、待合室で夜を明かす。クロアチアサポーターの一団は皆、深夜に空港を飛び立っていった。

 

 朝を迎えると空港の喫茶店で食事を済ませ、モスクワ行きの飛行機を待つ。セキュリティチェックを済ませて、空港の売店をプラプラしていると元プロサッカー選手の都並 敏史さんに遭遇。わー話しかけてみたい。左足を骨折しながらも、1994年アメリカワールドカップアジア最終予選に帯同し、精神面からメンバーを鼓舞してくれた。

遠目で都並さんを見ていると都並さんから私に歩み寄ってきてくれた。昨日の試合の感想など他愛のないことを話した。最後にノートにサインを書いてもらった。挨拶をして別れた後の後ろ姿を見て、生き様の凄みを感じた。やはりまだ左足の古傷が痛むのか、左足を庇う歩き方をしていた。ここまでボロボロになるまで、サッカーに打ち込んできたのか。

 サインの筆跡はとても力強く、まっすぐな生き方がヒシヒシと伝わって来た。そして自分の生き方を振り返ると都並さんのようにまっすぐ一つの事に取り組んできたのか突き付けられる。それからというもの都並さんのサインをしばらく見ることが、怖くて出来なくなってしまったのだ。

f:id:yasuyankun:20210626150258j:plain

ドーハの戦士(都並 敏史)

 

f:id:yasuyankun:20210626150923j:plain

楽し気な親子二人連れ

新生活をお得に始めるならモッピー 新規申込・切替でポイントが貯まる!

 

 

ロシアワールドカップ観戦(出発編)

f:id:yasuyankun:20210619125327j:plain

暮れ行くビリニュス市街地

 2018年6月18日 金曜日 朝六時前に起床。身支度を整えて六時半ころに宿のおばちゃんに挨拶をして空港に向かう。空港に着くとAirChina北京行の搭乗手続きがJALのの窓口で既に始まっていた。受付カウンターでは北京からベラルーシまでのチケットの発券に少し手間取っているようだ。補足でベラルーシからさらに乗り換えて、リトアニアビリニュスに空路で抜ける旨を説明する。(陸路での出国ではビザが必要)

 最終目的地を尋ねられるとビリニュスから陸路でロシアの飛び地カリーニングラードでロシアワールドカップを見に行くと回答した。それを聞いた周囲の女性地上係員も興味を示しだした。

「何戦を見に行かれるんですか?」

クロアチア対ナイジェリア、スペイン対イラン、日本対セネガルを見に行きます。最後はエカテリンブルクからシベリア鉄道で帰ります。」

「えーすごい。私達の分まで応援してきてください♡♡♡。」

 そうしたやり取りをするうちにチケットは無事に発券された。よし、みんなの思いを背負って、無事に行ってくるぞと決意を新たにした。

 九時に北京へ向けて出発。客席はボチボチ埋まっていた。大阪と北京の間は小型機で機内モニターが無く、映画が見れずに退屈であった。北京の空港でリトアニアで使用するユーロとロシアのルーブルを調達した。北京からビリニュスはパラパラ空席が見られた。運よく隣が空席だったので、疲れたら横にもたれることが出来た。非常に楽ちんだった。なんちゃってビジネスクラス。元ロシア外交官佐藤優さんの本を読もうとしたが、昨日までの激務で眠気が勝ってしまった。

 ビリニュスにも無事に到着。しかし、本を機内に忘れてしまった。急いで戻り、空港係員にお願いすると本を探して返してくれた。ビリニュスの空港は非常に落ち着きがあり、空港内に簡易宿泊スペースがあった。ベラルーシから空路で直接ロシアに行くのが可能であれば、是非利用したかった。実をいうとベラルーシ経由でのロシアの入国が面倒なことに航空券購入後に気が付いたのだ。購入前に知っていれば、モスクワ経由で空路カリーニングラードを目指しただろう。(しかしながらワールドカップ期間中は特例で、ベラルーシから第三国を経由しなくてもロシアに入国出来たようだ。在露日本大使館にメールしたが、普通に調べれば分かる表面的な情報を回答されただけで、少し腹が立っていた。こうしたイレギュラーな生の現地情報をきちんと旅行者に発信するのが大使館の役目ではないだろうか?)

面倒ではあったがミンスクビリニュス行きの航空券を発券。ミンスクからビリニュスは一時間ほどのあっという間のフライトだった。ドリンクと軽い軽食を食べている間にビリニュスに到達。バスに乗り中央駅へ。ホテルは中央駅の目の前で好立地。おまけにビリニュスの市街地の風景が非常に美しい。調べてみるとビリニュスの旧市街地は世界遺産に指定されているとのことだった。ホテルも非常に清潔。五階の部屋までの向かい、窓から市街地を眺めると夕日が映えていて非常に幻想的であった。夕日が長い旅お疲れ様とほほ笑んでくれているようだ。次回はリトアニアをじっくりと観光したいものだ。明日は行きの最大の難所である陸路でのロシア入国。胸のざわつきを押さえながら眠りにつく。

 

新生活をお得に始めるならモッピー 新規申込・切替でポイントが貯まる!

 

 

ロシアワールドカップ観戦(怒涛の強行突破編)

f:id:yasuyankun:20210611190914j:plain

Russian Girls Collection


有給申請
 5月のあくる日。とりあえず来月の有給届を提出しなくては! 6月の第2週初日のみ有給と記載し、そこから、7月第一週まで定規で矢印をピーっと引く。それを課長に提出。

課長「君、ちょっと待ってもらえないか? とりあえず、部長と相談するから、待ってて。」

 課長の顔が若干青ざめるのを感じた。しかし、それが何だというのだ。私は既に、飛行機もシベリア鉄道もホテルも観戦チケットを全て押さえ、お金も支払ってしまっている。退路はもはや無いのだ。やましいことをしている訳では無い。隠し事をしている訳でも無い。日本人として日本代表を現地で応援したい。ワールドカップの白熱した試合を見たい。ただそれだけなのだ。裸で体当たりだ。1週間後、何とか許可が下る。(俺は会社を代表して、自費で日本代表を応援しに行く。日本の会社人として、それもある意味立派な仕事だろう。)

 

仕事の洗い出し

 それから、今抱えている仕事を洗い出し、6月の第1週から現在までのスケジュールを逆算し、猛然と仕事に取り掛かる。自分一人で無理そうなものは、定年再雇用の嘱託社員さんに頭を下げて、仕事をねじ込ませてもらった。その方は船乗りの航海士から技術者に転じた異色の経歴の持ち主であった。ワールドカップに行くために協力して下さいと頭を下げると、分かったと応じてくれた。流石、海の男。器が大きい。youtubeの世界戦闘機シリーズ動画をエンドレスでかけ続けながら、仕事を悠然とこなす姿に、どことなく親近感を感じた。

 

最後のひと踏ん張り

 6月第1週。嘱託社員さんに頼んだ仕事があがってくる。歯車原動機が熱変形するために、断熱材をかます、非常に難易度の高い改造であった。感謝の言葉を告げて、検図と計算チェックは自分で行う。据え付けは40年以上前で、古い図面しか残っておらず、その図面に基づき改造図面が適切か確認する。滅茶苦茶、骨が折れる作業で泣きそうになる。その後何回か手直しを行う。そして旅立つ前日の日、午前中に図面を上長に提出。しかし、不備を何点か指摘される。本当は午後半休の予定だったが、昼飯も食べずに必死に手直しを行う。俺の邪魔してるんじゃないかという被害妄想に取りつかれそうになる。(実はまだ見積もり段階なので、そこまで正確な図面は必要なかったのだ。)その被害妄想と戦いぬいて、何とか午後3時に再提出。身も心もクタクタだ。

 

前乗り

 家に帰り、軽食を済ませる。それからマッサージに行き、疲れを癒す。その後に関西国際空港近くの宿に向かった。(あくる日の北京経由ミンスク行きの飛行機便は朝九時だったので、前泊する必要があったのだ。)夜の10時過ぎにりんくうタウン駅に降り立つが、民家を改造した民宿だったことと夜道であったので、宿を見つけるのに難儀した。宿に到着し、シャワーを浴びる。眠りに着こうとするが、別れたはずの元カノから何度も携帯電話に電話がかかってきて、なかなか眠りにつけなかった。しかたなく電話の電源をOFFにした。振り返るな。壮大なユーラシアの大地とロシア美女が俺を待ってくれている筈だ。

 ミンスクからはリトアニアビリニュスまで飛行機で乗り継ぎ、そこから列車でカリーニングラードに向かう。本当はミンスクからカリーニングラードに直接飛行機で向かいたいが、旧CIS諸国からロシアへ空路で入国出来ない規定があり、陸路で第三国を経由して入国しなくてはならない。うまく行くだろうか。一抹の不安を感じながら、眠りについた。

f:id:yasuyankun:20210611182105j:plain

Russian Girls Collection

f:id:yasuyankun:20210611182138j:plain

Russian Girls Collection

f:id:yasuyankun:20210611190929j:plain

Russian Girls Collection