スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

ロシアワールドカップ観戦記(北京からの帰還)

 皆に別れを告げて、地下鉄の駅を目指す。感傷の余韻がやっと静まった時に、自分は中国元を持ち合わせていないことにふと気が付く。北京駅のコンコースのATMで中国元を引き出した。地下鉄の券売所に行くが、今度は空港の最寄り駅が分からない。困ったものだ。どうしよう。その時に足元に目をやると、地下鉄の路線図が落ちていた。これを拾い、ボールペンで飛行場と書き込み、券売所の係員にジェスチャーで飛行場に行きたいと伝える。係員は飛行場の最寄り駅を丸で囲み、そこまでの切符を売ってくれた。助かった。これで飛行場に行ける。

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地下鉄の電光路線図

 地下鉄に乗り込み、しばし安堵する。しかし、空港には第1ターミナルと第3ターミナルがあり、私が手配した全日空がどちらなのか分からず、混乱した。第3ターミナルでは下車せずに第1ターミナルで下車する。しかしながら、第一ターミナルは間違いだった。空港係員に第一ターミナルにはどうやって行くのか尋ねたところ、もう時間が残り少ないから、俺が連れて行ってやると回答してくれた。

 急いで係員の車に乗り込み第一ターミナルを目指した。しかしながら、乗用車からの下車の直前に日本円で7000円ほどの金額を請求されてしまった。ぼったくられた。空港係員だから大丈夫と安心した自分が甘かった。

 振り返ると旅のほとんどを現地の方の善意に助けられ、それに半ば甘えてしまっていた自分がいた。最後まで油断せずに、自分で調べなくてはいけない。周囲に甘えるのは最終手段なのだと自分を戒めた。

 何とか第3ターミナルに到着し、チェックインを済ませる。係員は日本人で、半分日本に帰って来たかのような錯覚を覚えた。ダメだ。油断しては行けない。

 出国審査では長蛇の列で、大分待った。出国審査を終えて、ANAの成田行きのゲート前のベンチに座り、やっと一息ついた。30分ほど時間雄余裕があった。

 搭乗期はボーイング787であった。初めて搭乗することに心が躍る。乗客の半分以上が日本人で、CAも日本人。安堵の気持ちが込み上げてきた。機長からのアナウンスは安全に成田までお連れしますという頼もしい一言。

 ボーイング787は昼下がりに無事に成田空港へ到着した。

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ボーイング787

 普段は成田空港から普通列車で帰るが、さすがに疲労困憊だったので、京成スカイライナーで、京成上野駅まで向かうことにした。

 上野駅で乗り換えて東京駅から新幹線で新大阪まで向かった。新大阪から大阪駅に行き、阪急線で最寄り駅へ。とうとう自宅のアパートに戻って来れた。一週間近くまともにシャワーを浴びていないので、体が軽くべとついた。早くシャワーを浴びたかった。

 家に戻るとシャワーを浴びて、旅で使用した服を洗濯機にかけた。洗濯物を物干し竿に干して、旅が終わったことを実感した。

 近くのセブンイレブン冷やし中華とおにぎりと梅サワーを買ってきた。冷やし中華と梅サワーの酸味が、疲労した体に染み入った。

 それから親と職場の上司に無事に帰ったと連絡した。最後にデジカメのSDカードに記録されている写真データをPCに保存した。そして泥のように眠り込んだ。 

 終わり

 

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シベリア鉄道の乗車券

 

 

ロシアワールドカップ観戦記(満州里→北京)

 日本対ポーランド戦をワンセグで見終わってしばらくすると、北京行きの発車のアナウンスが報じられた。客車に乗り込んでしばらくすると、列車は発車した。列車はホーム脇にある「一帯一路」の赤いネオンの横をすり抜ける。市街を抜けると車窓は漆黒の闇。今日は国境審査で精神的にヘトヘトであり、すぐに就寝した。

 中国国内の線路インフラの整備が進んでおり、列車はかなりの速度で中国国内を快走した。おそらく最高時速は120kmくらい出ていたのではと思う。揺れも少なく、快適に眠ることが出来た。

 翌朝は昼前に昨日一緒にサッカーを見た一同が食堂車に会して、ビール片手にひたすらポーカーに興じた。

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中国の車窓とビールとポーカー

 メンバーにはペルー人医師の他にはマカオのカジノディーラーの女性、ロンドンのキングスカレッジでコンピューターサイエンスを学んでいる学生などがいた。聞くところによるとロンドンから鉄道だけを乗り継いで来たとのことだ。ロンドンからモスクワまでは楽に行けたが、やはりシベリア鉄道には難儀したとのことであった。

 ポーカーはカジノディーラーの一人勝ち。流石である。ポーカーを終えた後はそれぞれのお国事情や自身の生い立ちなどの話で盛り上がった。

 私はロシアと日本には未解決の北方領土問題が横たわっていることを話題にした。日本では何かと話題が及ぶ北方領土問題であるが、日本以外では縁遠い問題で、国際的な関心は低い印象を受けた。皆、そうした問題が日本とロシアの間に存在すること自体、今日初めて知ったとのことだ。

 日本もロイターのような国際的なマスコミを有し、日本が抱える国際問題を世界に発信し、国際世論を味方につける必要がある。北方領土問題は香港の共産党支配、台湾海峡問題と同じくらい大切な問題である。

 しかしながら、サハリンの天然ガスパイプラインプロジェクトシベリア鉄道での国際貨物運搬プロジェクトなどロシアは日本の国益にプラスにもなることも事実。北方領土問題でロシアを過剰に刺激して、日本の国益を損ねてはならない。日ロ間の複雑に絡み合う利害が、この問題を難しくしている。

 コンピューターサイエンスを専攻している男子学生とペルー人の皮膚科医師の間で、皮膚疾患の画像診断アルゴリズムの話にも花が咲いた。実際にアプリを起動して、改善点やアイデアをぶつけ合う。

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画像診断アプリ

 澳門のカジノのディーラーからは先ほどのポーカーの戦略について、手ほどきを受けた。コンピューターサイエンス専攻の学生はセンスが良く、その戦略の有効性について瞬く間に理解を示した。私は、理解が追い付かず何度も説明を受ける。彼らは快く身振り手振りで、私が納得するまで説明してくれた。

 私たちの座るテーブルの端にはいつしか空のビール瓶が、十本近く溜まっていた。昼間からビール片手にポーカー三昧。それに飽きたら、雑談に興じる。今日はずいぶん贅沢な時間を過ごしたものだ。

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heinekenビール

 飛行機でひとっとび出来るこのご時世、ワザワザ列車で一週間近くかけて行くのだ。しかも料金は飛行機よりも高い。個性の強い物好きな人が多いのだろう。ビールの酔いが回ったのと、会話に頭を使い、疲れたので早めに就寝した。

 翌朝は社内のアナウンスで目が覚めた。北京まで一時間ほどで到着するとのことだ。列車の長旅もあと少し。シベリア鉄道の車窓に飽きる時もあったが、社内での素敵な出会いのおかげで、充実した時を過ごすことが出来た。旅を彩どってくれた出会いに心から感謝した。

 車窓から臨む道路、ビルの様子から大都市北京が近いことを実感する。やがて列車は速度を落としながら、北京駅のホームへ滑り込んだ。

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北京までもう少し

 エカテリンブルクから列車で北京まで本当に辿り着いたのだ。地理の学習でアジアとヨーロッパはユーラシア大陸で陸続きであるのは勿論知っている。しかし、ヨーロッパからアジアを包括するユーラシア大陸の広大さ、多様性は、シベリア鉄道を乗ることでしか体感出来ないだろう。

 

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ロシア国鉄の客車が鎮座するホーム

 客車に常駐し、掃除や身の回りのお世話の手伝いに従事してくれた車掌さんに挨拶をし、北京駅のホームに降り立つ。漢字の構内表示、横で飛び交う北京語。改めて中国に来たのだと実感を嚙み締めた。

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北京駅舎

 昨日からのメンバーと一緒に改札を抜けて、駅の玄関に向かった。最後に皆で記念撮影をして、ここまでの苦労を労いあった。

 皆はこの後レストランで食事をするが、私は3時間後に東京行の飛行機に乗らねばならず、後ろ髪をひかれる思いで、皆と握手を交わし、お別れの挨拶をした。

 みんな、本当にどうもありがとう。

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皆さんお疲れ様でした。

 彼らに別れを告げて、振り返らずに、私は地下鉄の駅を目指した。彼らを振り返ったら、戻ってしまいたい衝動に駆られそうだ。複雑にうごめく、それぞれの人生がシベリア鉄道で一瞬交わり、また遥か彼方にバラバラに散らばっていく。

 

 

 

 

 

ロシアワールドカップ観戦記(シベリア鉄道後編)

 クラスノヤルスクから母親とその小さい娘さんが乗ってきた。娘さんはまだ4~5歳というところ。娘さんはすぐに車窓に飽きてしまいノートPCのDVDでアニメ鑑賞に興じ始めた。バックスバーニーの昔のアニメで、思わず既視感を感じてしまった。途中の駅で、貨物列車に戦車が何台も積み込まれている様子に思わず圧倒されてしまった。モスクワやエカテリンブルクなどのヨーロッパ圏のロシアと違い極東ロシアには旧ソ連の重苦しい雰囲気が色濃く感じられた。

 やはり戦闘兵器が手を伸ばす所にすぐ存在する部分に日本との大きな相違を感じた。エカテリンブルクでもサッカーの代表選手が乗り込むバスには自動小銃を持った兵士が随行していた。バスの扉が開くと、自動小銃のセーフティーレバーが解除され、その音を聞くと思わず緊張感が走る。

 親子連れは中国語の製品名の雑貨やティッシュなどを携行していた。彼女達と同じ駅から乗車した客も見渡すと同様に中国語の製品名の雑貨や飲み物を保有していた。近年高まった中国との強い経済的な結びつきを感じ取れた。極東ロシアに差し掛かってから、ロシアの多面性を感じ取れるようになった。

 先日と同じく、とにかく緑色のタイガが延々と車窓に続く、暇なときは親子ずれと一緒にアニメを見たりして時間をつぶした。

 一晩経過したところで、列車は順調にイルクーツクへ差し掛かる。その親子連れはイルクーツクで降車するとのことだ。母親が座席の下に格納したスーツケースを取り出す。スーツケースが満杯で、座席の下で引っ掛かる。私も手伝って、力任せにスーツケースを引っ張り出した。母親は私より10歳ほど若いが、母親であることの責任感や自負といった力強さをを感じた。

 駅に差し掛かると引き抜いた大きなスーツケースを私が代わりにホームまで運んであげた。ホームには彼女の母親が迎えに来ていた。迎えに来ていた祖母が、中腰になり小さな孫と抱擁を交わす。私は母親とお別れの挨拶を交わした。

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до свидания (さようなら)

 そして、列車は次の大きな目的地であるウランウデに向かって走りだす。列車から望む先ほどの親子を目で追った。ウランウデはバイカル湖沿岸警備隊に従事する軍人の目的地である。彼の国籍はロシアだが、人種はモンゴル系で日本人に顔つきが良く似ている。日本の任侠や侍に興味があるらしかった。ロシアでも日本のコンテンツが一定の認知度を有しているようだ。

 列車は半日から一日走ったであろうか。そんな彼ともいよいよお別れである。列車がウランウデのホームに停車した。ホームへ降りて彼とお別れの挨拶を交わした。そして最後に記念撮影をした。そしてすぐに出迎えた家族の群れに吸い込まれていった。シベリア鉄道の非日常から日常へ彼が吸い込まれていく、彼の姿を目で追い、寂しさが込み上げてきた。

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記念撮影

  数時間後、列車はチタに差し掛かった。ここから私の乗る客車は切り離されて、中国の国境の町である満州里を目指す。切り離された客車は2~3両ほどだっただろうか。急に心細さを感じた。切り離された客車は中国との国境の駅に向けて南下を始めた。

 ザバイカルスク駅に差し掛かるとこれから国境検問が始まり、しばらく列車は停車する。列車のトイレはその間使用出来ない。このようなアナウンスが流れた。列車で知り合ったペルー人医師と一緒に国境の駅で降車し、入境審査を待つことになった。

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国境駅の待合室

駅の喫茶店でパンを食べ、コーヒーをゆっくりと飲んだ。売店もあったので、残り二日分の食料と水を買いそろえた。

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国境駅の売店

 しばらくすると国境審査の案内が為された。ロシア人でも中国人でもない私達二人は自動小銃を携えた、いかつい軍人と英語を話す審査官に別室へ来るように案内された。

まずはペルー人医師から、パスポートとビザのチェックが始まった。ロシアワールドカップ期間中はFANIDがビザの代わりになり、自由にロシア国内を観光出来るはずだが、それが極東ロシアまで周知されているか怪しかった。ペルー人医師はビザについての説明を補足し、審査が無事に終了した。

 問題は私であった。パスポートとIDの確認が終わると、英語を話す審査官から、ロシア入国時から現在までの行動履歴が分かる資料を全て提示して、それを説明しろと言われた。若干、頭が混乱するが、紙にプリントアウトされたホテルの予約の控えと、飛行機と列車のe-ticketの紙の控え、サッカーの観戦チケットを時系列に並べ、現在までの行動履歴を詳細に説明した。これで開放されると思いきや、身長計の前に立たされて写真撮影までされた。これでは、私は犯罪者ではないか。審査官の英語もパーフェクトではなく、不信感が一層つのる。(もちろんペルー人医師はそのようなことは一切要求されていない。)

  それだけではない、指紋の採取までさせられた。しかも親指だけではない。上腕部全体の型を取られた。ペルー人の彼はただならぬ気配を感じたのか、自分は審査を終えたから列車に戻って良いかと審査官に申し出て、列車に戻ってしまった。別室には私一人だけだ。孤独感がこみ上げる。背後には自動小銃を構えた兵士。審査官に怒りがこみあげてくるが、ここで絶対に感情的になってはならない。落ち着けと自分に言い聞かす。サッカーの試合は面白かったなど、コミュニケーションの合間にサッカーの試合のことを織り交ぜて、審査官の警戒心を緩和する試みを積極的に行った。

 それと並行し、国境検問を通過出来ずに、どこかへ連行された時の最悪のシナリオにどう立ち向かうか考え始めた。ここから最も近い日本領事館はハバロフスクだ。なんとか連絡が取れても、ここにたどり着くまでに二日はかかるだろう。そもそも連絡の機会を与えてもらえるのか?収容所には英語を話す者はいるのだろうか?賄賂を要求された時は、財布にあるロシアルーブルを全部払おう。お金はペルー人医師に借りよう。そう心に決めた。

 終始いぶかしげな審査官であったが、私に疑うべき点が無いため、紙の旅程資料などを差し出せば、国境の通過を許可するとの回答してくれた。おとなしく、旅程の控えを提出し、私は何とか列車に乗り込むことが出来た。なんとか最悪のシナリオは回避できたが、気が付くと体中から汗が噴き出ていた。学生時代から英語を勉強してきたが、私にとって英語を勉強してきた意義は、おそらくこの国境の検問を突破するためにあったと言っても良い。もし中途半端な英語で、旅程や旅行の目的を説明できなかったら、収容所に連行されていたかもしれないところだった。

 審査場を出て、走って列車を目指すと乗り込む口からペルー人医師が顔を覗かせて、私を待ってくれていた。彼はすぐにコーヒーを用意し、私の苦労をねぎらってくれた。そして、審査官の態度に怒りをにじませた。

’It was uncomfortable'「不愉快だ。」

その言葉が、私の怒りと不信感を全て代弁してくれた。モスクワは経済発展を遂げ、自由主義経済の恩恵も受けて、半分西ヨーロッパのような感覚だ。しかし、極東ロシアは旧ソビエト連邦の感覚を持って対峙した方が良い。

 しばらくすると列車は中国国境に向けて、動き出した。三両編成の客車は、ステップの草原地帯をゆっくりと走った。中ロ国境が明確に分かる壁はなく、ステップの草原が両国の緩衝地帯のような役割を担っていた。道路はなく、列車しか移動手段が無いので、それで十分なのだろう。

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緩衝地帯

 2時間くらい乗ったところで、中国の国境駅である満州里駅に到着。中国への国境検問は非常にスムーズに進んだ。女性審査官の英語が分かりやすく、コミュニケーションの問題も一切ない。ロシア側の国境審査とは打って変わって非常に拍子抜けした。

南下したため、日の入りが早くなったせいもあり外は暗くなり始めていた。私が乗るシベリア鉄道の客車は中国国内の客車と連結した後の深夜に発車するとのことだ。

 駅の土産物屋を一瞥し、ホームに降り立つとペルー人医師が香港人と中華料理弁当の晩餐会を開いていた。彼が列車で知り合ったマカオ人と台湾人が、駅の柵伝手に弁当の出前を頼んだとのことだ。お前も来いと手招きされて、弁当を頂くことに。入境審査を済ませてしまっているために、駅の外に出れず、まともな夕食を諦めていた自分にはとっては正に渡りに船。ほぼ三週間ぶりにアジア飯。大変おいしかった。

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即席晩さん会

 その後はスマホワンセグで、日本対ポーランドの試合を皆でビール片手に観戦した。一緒に夕食を共にした彼らは、日本を必死に応援してくれた。

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頑張れニッポン

 ラスト10分の時間稼ぎのパス回しでは、カットされないか冷や冷やしたが、何とか1-0でしのぎ、勝ち点と得失点差でセネガルに並んだが、警告カードの枚数が少ない日本が決勝トーナメント進出の切符を手にした。

 ここまでが、ロシアワールドカップシベリア鉄道の記録である。満州里から北京までの中国国内の移動と北京から日本への帰還は次の最終章に譲ることとする。

 

 P.S  中ロの陸路での国境越えは、可能な限り回避することを推奨する。大使館が近くに無く、いざというときに頼りに出来る公共機関もない。また現地の機関の職員の英語力も怪しく、コミュニケーションの祖語も生じやすい。

 

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ロシアワールドカップ観戦記(シベリア鉄道中編)

 ノボシビルスクからは、青年とその母親がコンパートメントの向かいに乗り込んで来た。話すところによると彼はレスリングでロシアのナショナルチームに所属しているとの事だ。体付きが屈強なのはそうした理由があるのか。 

 お昼ご飯の時間を迎えると、青年の母親が下から手招きしてくれて、一緒に食べようというジェスチャーをした。かたじけないが、お言葉に甘えることに。肉やニンニクを大葉で包んだ料理とゆで卵を食べ切れないほど頂いた。終始、善意に感謝しっぱなしである。自分で乗車前に色々食料品を買い込んだが、善意の綱渡りをやり続けたら、自分で用意する必要がないんじゃないかとすら思えた。 

 エカテリンブルクから一緒の沿岸警備隊の軍人。隣のコンパートメントのペルー人も輪に加わり、即席の国際宴会場に早変わり。ペルー人は現在スペインの病院の皮膚科で働く医師で、ロシアワールドカップを見て、せっかくの機会なのでシベリア鉄道を堪能するのだそうだ。

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おばちゃん 御飯ご馳走してくれてありがとう

 せっかくの機会なので、スペインの医療事情をインタビュー。スペインの公立病院の整備は十分ではなく、予約から診療まで月単位を要するとの事だ。そのペルー人医師の彼は皮膚科医である。彼は現在皮膚疾患を患者がスマホで撮影し、それを医師に送る事で迅速な診断をするプロジェクトに参画しているとの事だ。カメラの光加減やアプリケーションなど、疾患以外に検討課題が山積みだが、なんとか普及させて医療難民の削減を成し遂げたいと語ってくれた。ペルーには日系人が多いせいもあり、私に対して親しみを持って接してくれた。嬉しいことにポケットwifiの電波を貸してくれて、読書に飽きた時にはネットサーフィンに興じる事が出来た。

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タイガの風景

 読み続けていた「失敗の本質」も佳境に入る。インパール作戦の無茶振りっぷりに頭を抱えたくなった。上官の温情で部下の無茶な作戦にgoサインを出し、万単位の命を犠牲にした。一体、軍人の意識は何処に向いていたのか? 部下の命を守ることよりも、保身や立身出世が大事なのか?考えさせられる事が、大いにある。そうであるにも関わらず、学校の歴史教育で深く取り上げられていない事に不甲斐なさを感じた。

 長旅に疲れで、横になる。車窓が常に明るく、体内時計が完全に狂ってしまった。そのため常に眠たい。社内の給湯器で作ったインスタントコーヒーを飲んで、眠気を覚ます。日本の緑茶が恋しくなってきた。社内で食べるインスタントラーメンの味にも飽きて、カップヌードル赤いきつねを食べたくなってきた。

エカテリンブルクを発ってから3~4日経過したが、ずっとシャワーを浴びていない。日本から持ち込んだデオドラントシートで、体をふいてごまかす。日本の温泉が恋しくなる。歯磨きは一日に一回社内のトイレで短時間で済ましていた。毎食後に磨きたいのが本音である。

 シベリア鉄道は快適に旅を楽しむというよりも、地球の大きさを体全体でかみしめる修行というか儀式に近い。快適さを追求するならば、飛行機に乗った方が良いだろう。しかし、私はシベリア鉄道に乗ることを選択したのだ。

 列車はやがてクラノヤルスクに差し掛かる。レスリンナショナルチームの彼と彼の母親はそこで下車して行った。

 最後にお別れの挨拶を交わした。シベリア鉄道では毎日、出会いと別れがひっきりなしに交錯する。人生に出会いと別れは付き物であるが、それが短い時間に凝縮される。出会いによる驚きと喜び、別れのモノ悲しさ。

機関車の付け替えで少し時間があったので、ホームに出て機関車を撮影した。青い機関車と青空。

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機関車

 鉄道の旅もここから終盤に差し掛かっていく。これから先はロシアのチタと中国の満州里間で中ロの国境検問が立ちはだかる。リトアニアビリニュスとロシアのカリーニングラードの国境検問に難儀したこともあり、一抹の不安がよぎってくる。事前に日本語のインターネットサイトで情報収集を行ったが、チタと満州里の国境越えについての記事は情報は皆無であった。

 どうか無事で楽しく旅を終えられますように!列車をけん引する機関車に思わず願いを込めた。

 

P.S

 しかし残念ながら、不安は的中したのであった。一足早くお伝えするが、日本人が陸路での中ロの国境越えをする事はお勧めしない。TOEIC900(英検準一級、IELTS6.0~6.5)以上の英語力、交渉力などが必要である。バックパッカー検定があるとしたら、上級レベルと言って良いだろう。北方領土問題が絡み、ロシア極東地域は日本人に対して強い警戒感を抱いている。私はその後、国境検問所で人権を踏みにじられる屈辱を味わうことになるのであった。

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ロシアワールドカップ観戦記(シベリア鉄道前編)

 私が乗り込むのは四人の向い合わせのコンパートメント寝台の上段である。向かいの寝台と私のすぐ下の寝台には既にモスクワからの先客がいた。向かいはモスクワでの兵役を終えて、帰郷する男性とそのパートナー。下の寝台には普段はバイカル湖の沿岸警備をやっていて、モスクワでのロシア対エジプト戦の試合を観戦して、帰る軍人。彼らは大変フレンドリーで、長旅のお供として、大変心強い存在であった。

 とりあえず、私は日本対セネガルの試合観戦の興奮も冷め止まない中で、体を休めるために眠りについた。ドローで良かった。これで決勝トーナメントへの望みが繋がった。八時間ほど睡眠をとっただろうか。むくっと起きて、寝台の上でエカテリンブルク駅で購入したパンをほおばった。油田で有名なチュメニなどに停車し、列車は順調に疾走する。

 あくる日はオムスク駅で長時間の停車があったので、ホームに降りて食料を買い込んだ。若干肌寒い中、温かいボルシチパンがありがたかった。

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緑色の駅舎が印象的だったオムスク駅

 お昼はボルシチパンと列車に備え付きの給湯器で作ったインスタントラーメンを食した。それから、車窓をずっと眺めながら本を読みふけった。読んだ本は「失敗の本質」という太平洋戦争での日本軍の敗因を分析した本だ。

wifiがほとんど繋がらなかったので、風景に飽きた時は本を読むしかなかったのだ。本の内容は固いものだったが、日常生活ではインターネットなどの誘惑が多く、なかなか読み進めることが難しい。こういう環境だからこそ、読了出来たのだと思う。それにしても太平洋戦争で露呈した日本人の欠点は(論理を無視した根性主義、内輪での派閥争いで本来の大目的を見失う)、未だに日本の企業社会のはびこっており、これが1990年代以降の企業競争力低下を招いたことを改めて痛感した。未だ教訓を生かせず、袋小路でもだえる日本に非常に幻滅したのであった。

 緯度の高さと、東周りに時間が進む方向に列車は進んでいることもあってか、なかなか日が沈まない。体内時計の感覚が狂いそうだ。本を読んで、飽きたら横になることを繰り返していたら、いつの間にか夕食の時間になった。一緒のコンパートメントに乗り合わせていた彼らが、下の寝台で手招きをして一緒にご飯を食べようと誘ってくれた。

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ビール片手に楽しい晩餐

 ビールを片手に、サラミとパンで乾杯。身の上話やモスクワでの思い出話に花が咲いた。モスクワでの兵役を終えた彼は最後に大砲を発射するセレモニーの動画を見せてくれた。

 お腹も一杯で、ほろ酔い気分。景色にも読書にも飽きていたが、こうした出会いが、単調になりがちに鉄道旅に彩を添えてくれた。声をかけてくれてありがとう。日付や時間の感覚が次第に麻痺してきたが、ビールが回ったので、就寝した。

 次の日も単調な風景が続いていたが、やがて大都市に列車が差し掛かった。ロシアで兵役を終えた彼が彼女と一緒に身支度を始めた。どうやらかれはここが故郷のようだ。昨日にビール片手に語らった思い出がよみがえってくる。

 やがて列車はノボシビルスク駅のホームに滑り込む。ホームに降りて一緒に記念撮影をした。

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お幸せに!

 「Good luck !」

  「You too」

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ロシアワールドカップ観戦記(日本対セネガル)

 6/24 本日は運命の日本対セネガル。絶対に負けられない戦い。キックオフは現地時間の20時。その後は夜中のシベリア鉄道で北京まで行くという慌ただしい予定。帰りの荷物をパッキングして、ホテルをチェックアウトする。別れ際にホテルの受付のお姉さんと記念撮影をした。

 午前中は市内を散策し、ショッピングモールでお土産をいくつか購入した。日本戦が開催されるだけあって、日本人を多く見かけた。お昼になるとエカテリンブルクで知り合った日本人の男性会社員の方と一緒に中央アジアレストランを訪れ、そこで昼食を食べた。水餃子が絶品で、西洋料理に飽きた舌を優しく癒してくれた。その日本人男性の方はOMRONに勤務されているということで、私も電子部品業界に勤務していた経験もあったので、そのことで話が盛り上がった。

その方と別れた後はデザートを食べにカフェに向かった。午前中は荷物が満帆のバックパックを背負いながらの散歩だったので、若干疲れてしまっていた。そのままカフェのテレビで他会場のサッカーの試合を見て休むことにした。

サッカーの試合を一通り見て、17時過ぎくらいに試合会場に向かうことにした。既に青いレプリカユニホームに身を包んだ日本人サポーターも列挙して試合会場に向かっていた。今回の観戦旅行を通じて初の日本戦。周囲の日本人サポーターを見て、日本人としてのアイデンティティの強さを垣間見た気がした。

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KENDO

 会場に到着して荷物を預ける。会場近くでは日本人とセネガル人サポーターが、お互いに記念撮影をし合う和気藹々とした温かい光景があった。剣道着を着ている日本人サポーターは、皆の記念写真で引っ張りだこであった。お面と防具をわざわざ異国の地ロシアに持って行く気合に圧倒された。

18時過ぎにスタジアムに入場。日本サイドのバックスタンドには既に大勢の日本人サポーター達。セネガル人サポーターの一団も民族楽器を打ち鳴らし、既に盛大な盛り上がり。

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セネガル人サポーター

 しばらくすると両チームの選手がアップを開始。更に盛り上がりが高まる。

 19時過ぎにはそれぞれの国の歌謡曲が流れる。日本は「勝利の笑みを君と」を皆で熱唱。次第にボルテージが高まっていく。日本人の団結力もまんざらじゃないと感じた。

 20時にキックオフ。アフリカ独特のリズムと身体能力に押されて、中々リズムを作れない。早々と先制を許してしまい。ちょっと厳しいかと思った。しかし、乾のゴールで同点に追いつく。日本のバックスタンドは熱狂に包まれる。前半に追いつけて良かった。後半30分に再度リードを許すも、最後は本田が同点に追いつく値千金のゴール。やっぱり持ってる男本田。ちょうど本田がゴールした間近の席だったので、ゴールシーンを手に取れるように見納めた。試合はドローで決着。1勝1分けで決勝トーナメントへの光が見えてきた。

 試合後は日本人サポーター恒例のスタジアムのゴミ拾い。私も飲み物のカップなどを広い集めた。日本人のマナーの良さが勝利をもたらしてくれたのかもしれない。ずっとこれを伝統にして続けて行って欲しいと思った。こういう小さな積み重ねが日本人の信用に繋がっている。事実日本のパスポートがあれば、ほとんどの国と地域にビザなしで渡航できる。日本人が信用されていることの証左だ。

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試合後の温かい交流

 片づけを終えて勝利の余韻に浸っているのも束の間。夜中の夜行列車で北京に向かわなくてはならない。地下鉄で駅に向かう。

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ボランティアの皆さん、ありがとう

 試合中はまだ明るかったが、さすがに夏のロシアでも深夜になると日が暮れて行く。今日でロシアワールドカップの観戦旅行も事実上最終日であることに、一抹の寂しさを感じる。そして薄暮が、その寂しさに一層拍車をかける。

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ウラジオストック行き

 北京までは約六日間の旅。駅の売店で食料と水を買い込む。電光掲示板に目をやるとВладивосток(ウラジオストック)の文字が光る。ユーラシア大陸は広大な陸続きである実感が立ち込めた。

 私が乗り込む車両はチタで切り離されて北京行きへ分流する。(チタまではウラジオストック行きに連結される)ホームへの行き方が分かりにくかったが、親切な係員さんが案内をしてくれた。

 当初はロシアという国に恐ろしさも抱いていたが、個人というミクロなレベルで見ると親切な方々は沢山いるのだ。個人というレベルで分かり合えても、国として分かり合えないことに寂しさ、もどかしさ、もの悲しさを抱えて、列車に乗り込んだ。

 

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ユーラシア大陸を疾走

 

 

ロシアワールドカップ観戦記(カザン→エカテリンブルク)

 6/23 本日は昼過ぎの列車でカザンからエカテリンブルクへ向かう。午前中はカザン市内をすることにした。朝食を喫茶店で食べて、目抜き通りのバウマン通りを散策する。その後、教会の塔の展望台に上り、市内を一望。

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Epiphany Cathedralの塔

遠目にカザンクレムリンを望む。

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塔からカザン市内を一望

 塔で景色を堪能し、散歩を続けているとに喫茶店のオープンテラスで、見覚えのある顔が目に入った。あの方は元清水エスパルスの澤登選手だ。ドーハの悲劇の時に日本代表として現地で死闘を繰り広げた、時代の生き証人。

迷惑かもしれないことを承知で、思い切って声をかけた。

「あのーお休み中にすいません。元サッカー日本代表の澤登選手ですよね?」

そして、サッカーチケットを取り出して、そこにサインをしていただけないか頼んだ。

澤登さんは、快くサインをしてくれた。ほんの二言、三言会話を交わしてくれた。そして最後に、手を差し出して、固い握手を交わしてくれた。その手の大きさ、握力の強さは今でも決して忘れえないものだった。

 都並さんの時も感じたことだったが、一流選手には特有の眼力の強さがあった。一つのことに打ち込み、真摯に努力してきた姿勢。ぶれない信念など。眼力からあふれる何かを感じた。

 澤登さんにお別れの挨拶をして、散歩をしばらく続けた。時計に目をやるとお昼近く。駅に向かい、列車を待つことにする。駅に着くとfree wifiを拾い、expediaでエカテリンブルクのホテルを予約した。売店でチョコレートソフトクリームを買って、味を堪能した。ロシアは冬でもアイスクリームが人気なアイスクリーム大国なのだそうだ。それも影響してか、市販のアイスクリームも非常においしく、思わず唸ってしまうのであった。

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キンキンのチョコレートアイス

 列車がホームに入線し、乗り込む。寝台列車だが、今日中にエカテリンブルクへ到着予定なので、寝台は用いない。向かいの席には50前後の女性が座っていた。英語が堪能なので、非常に会話が進んだ。

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審査機関に勤務する女性

 その女性は製品審査機関で働いており、製品認定審査のための出張でエカテリンブルクへ向かっているとのことだ。フィギュアスケートの羽生選手のファンで親日家。大変賢く、頭に浮かんできた疑問や思考プロセスを逐次ノートに記録しているとのことだった。

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思考ノート

 会話が弾みすぎて、いつの間にかロシアの医療制度にまで話が及んだ。ロシアにも医療保険制度はあるが、日本と比べて非常に限定されているようだ。地域ブロック毎に利用できる公立病院が限定されている。よって選択の余地は無い。医者や病院を選ぶためにはお金を余計に支払って、私立の病院に行かねばならない。

 ロシアの社会制度のことまで突っ込んだ会話が出来て大変満足。大学時代に無理して英検準一級を取得しただけの甲斐があった。

 エカテリンブルクに着いたら、どうするのか質問されると、とりあえず予約したホテルに向かうと回答した。そうすると隣に座る女性に声をかけて、私をホテルまで車で乗せて連れて行ってもらえないか頼んでくれた。大変喜ばしく、ご厚意に甘えることにした。

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ホテルまで送ってくれた女性

 エカテリンブルク駅に到着するとお別れを言って、横に座っていた女性に私を託してくれた。駅前の空は少し雲がかっていたが、透き通るような青空が広がっていた。人々の透き通るような温かい気持ちにまるで形容しているかのような青空。

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エカテリンブルク駅前の青空

15分ほどかけて、車でホテルまで乗せてもらった。ホテル前で、何度もお礼を言って記念写真を撮影させて貰った。

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Спасибо(ありがとう)

 次の日6/24は観光。6/25は日本対セネガル 大一番の試合を観戦予定