成果主義
日本でもグローバル競争に打ち勝つために2000年代から謳われ出した成果主義。年功序列ではなく、成果によって等級や給与を定めて、社内に健全な競争を生み出し、企業の底上げを目指しました。
2020年代でも、いまいち浸透していない
上記のスローガンのもと成果主義が推進されてきましたが、20年後の2020年代の今現在どうでしょうか?率直に言って、それほど浸透していないのが実情ではないでしょうか?(一部の外資系企業や証券会社などを除く)
明治維新、太平洋戦争の敗戦などの大事件が起きない限り変わらない
私の見立てでは、成果主義が謳われても、日本の中小企業を含めた末端まで日本で成果主義が浸透することは、よほどの天変地異が起きない限り、おそらく無いだろうと思います。
つまり、高齢の既得権益者が物理的に排除されるという外的なパワープレイが無いと基本的に無理という事です。
なぜ欧米では成果主義が浸透しているのか
それでは、同じ人間なのに何故欧米では成果主義が浸透しているのでしょうか?元来、欧米では、移民が一般的で社会の中に多民族が混在していることが一般的でした。そうした他民族の人たちが一緒に働くには、分かりやすいルールが必要です。(他民族間ではお互い分かり合えない事が大前提にあるのです。)
また、アメリカは訴訟社会なので、成果に対して適切な対価が支払われないと、すぐに裁判沙汰に発展します。
こうしたことから、導入されたのが数字や成果物による評価です。これであれば、人種や民族に関わらず、公平な評価が可能です。
日本は単一民族が大前提
翻って、日本では単一民族が大前提にあります。つまり、お互いが一応分かり合えているよねという前提で、仕事が進みます。だからこそ、日本には就職時に職務契約書(job description)など有ってないようなもので、会社の為ならば、様々な仕事をさせられます。当然ながら、仕事の評価基準も曖昧になってしまいます。
1990年代まで暗黙の了解で存在していた終身雇用制度も別に書面で正式に謳われたものでは無いにも関わらず、企業はそれを労働者に保証していたし、労働者もそれを信じていました。
また、日本人は農耕民族なので、自分の獲物だけ確保出来ればそれで良しとは行きません。大きな獲物をしとめたならば、それをコミュニティ全体で分かち合わないと村八分にされてしまいます。そうなると獲物をしとめた一番の功労者は、大しておいしい思いを出来ずに終わります。
しかし、コミュニティの力が強固だった為に、おいしい思いにあずかれなかった功労者は、今度、別の者が獲物をしとめた際に、そのおこぼれを拝受することが可能でした。こうして、コミュニの絆は安定的に維持されてきたのでした。バブル崩壊までは・・・。
バブル崩壊で相互扶助も崩壊
1990年代のバブル崩壊で、日本が弱体化しつつある中で、過去に獲物を分け与えた功労者は、別の功労者のおこぼれにあやかれるチャンスが激減します。
そうなるとどうでしょうか?それじゃ、俺はコミュニティを出て行って、自分一人で狩りをして、獲物を独り占めしてやるという人が現れてきます。コミュニティも弱体化しつつある中で、弱い人たちの面倒を見ることも出来なくなってきます。
しかしながら、過去に獲物を獲得できた強者も現在は獲物を獲得できる力が衰えると、コミュニティにしがみつき、過去にコミュニティに提供した対価を得ようとします。
まとめ
日本で成果主義が進まない理由は、以下の通りとなります。
①分かり合えていることが大前提の社会で、ルールを明示しなかったこと。
②農耕民族のために、一人だけ得をすれば良しという観念が浸透しにくかったこと。
③暗黙の了解で、獲物を提供していた功労者に終身雇用という見返りがあった事。一部の強者を除き、過去の功労者の多くが、過去の見返りを得ようとして、コミュニティにしがみついている事。