スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

浦和高校 古河マラソンの思い出

埼玉県立浦和高校の名物行事

 毎年11月に埼玉県立浦和高校では、浦和高校から古河第一小学校までの50.2kmを7時間以内で踏破する強歩大会という行事が開催される。

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全部歩いていたら間に合わない

 強歩なんだから、歩けばいいんでしょ?!

→成人男性の歩行時速は平均で時速4~5km

→7時間歩いたら、28kmから35km

→全部歩いていたら間に合わない

→かなりの部分を軽いジョギング程度のスピードで走らないといけない

 

高校の一般的な強歩大会

 20~40kmを歩くだけ。制限時間も特にない。走りたい人は勝手に走る感じ。

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入学時から走り込み

 実は五月に新入生歓迎マラソンという行事があり、入学してすぐに体育の時間では走り込みがなされる。

 それが終わると七月の臨海学校に向けて、五月のまだ少し寒い時期から泳ぎこみ。

二学期に入ると、十一月の強歩大会に向けて、体育では徹底的な走り込みがなされる。一周800mのグラウンドを八~十周走る。

ある体育教師談 

「一生懸命勉強して、東大行っても、身体が弱くて、病気になって死んだら、意味ねーからな。だから身体を鍛えろ」

魔のチェックポイント

 浦和から古河に向かう行程の途中に休憩所とチェックポイントが設置される。

浦和→岩槻→白岡→久喜→幸手→栗橋→大利根(ゴールから数km手前の利根川を渡り、埼玉県から茨城県に差し掛かった地点)

 それぞれのチェックポイントに制限時間以内に到達できないと、その時点で失格となる。そのため、チェックポイントの制限時間と現在地点を勘案しながら、ペース配分する必要がある。(チェックポイントでは紙にスタンプが押される)

 

浦和→岩槻(10.3km)

 正直楽勝。足の疲労も無く、チェックポイントでは軽い水分補給をしただけで、ほとんど休まずに次のチェックポイントである白岡に向けて走り出す。

 

岩槻→白岡(11.5km 総計21.8km)

   岩槻までの勢いが少し衰えて、若干疲労が滲みだしてくる。特に御成街道がつらい。果てしなく続き風景も単調な道で精神的に辛くなる。ここが、前半の山場といっても過言でない。ここまでで、約22kmの行程で、全行程の半分弱。上位を狙う人たちは、ここまででどれだけアドバンテージを稼げるかが鍵となる。

 チェックポイントでは、水分補給とともにバナナやチョコレートなどのエネルギー補充が重要である。

 

白岡→久喜(8.4km 総計30.2km)

  白岡を過ぎ、全行程の半分を過ぎた達成感と自信で、精神的な疲労感は薄らぐ。しかしながら、足の筋肉痛が襲い始める。例年制限時間内での完走率は七割程度だが、脱落者のほとんどが、久喜のようだ。

 久喜のチェックポイントでは足のストレッチをしたり、足にサロメチールを塗るなどのケアが必要になってくる。

 

久喜→幸手(3.5km 総計33.7km)

 チェックポイントの中で一番短い距離であり、休憩はほとんどせずに、栗橋に向かう。

 

幸手→栗橋(8.7km 総計42.4km)

 ついにフルマラソンの距離を凌駕する。東北新幹線を横手に見て走るが、新幹線の速さに圧倒される。新幹線に乗れるもんなら乗りたい気持ちがこみ上げる。個人的にはこの区間が一番きつく、精神的、肉体的な疲労がピークに達する。

 

栗橋→大利根準関門→古河(7.8km 総計50.2km)

 栗橋に制限時間内で到達した時点で、古河までの足切りは、ほぼクリア。精神的に一服できる。栗橋では足をつる人が続出し、足を引きずりながら古河を目指す人も。

 利根川の橋を渡ると茨城県という看板が目に飛び込んでくる。ゴールまでもう少し。自分の脚でここまで来れたことに感動を覚え、涙が出そうになった。大利根準関門(利根川を渡り茨城県に入って直ぐの所)で最後のスタンプをもらう。

 利根川沿いに長く、単調な景色の河川敷が最後の難関。疲労感が最大のピークに達するが、歩いたり走ったりを交互に繰り返し、ゴールの古河第一小学校を目指す。遠目に河川敷を降りて市街地に入る姿が見えると、本当にゴール間近。

 市街地に差し掛かると地元の人たちからの暖かい声援に迎えられる。そして、ゴールに到着。

 

一年次

 初めてで、戸惑いと不安を感じながらも300番台の順位で何とか走破。予備の靴など余計な荷物が多かった。ゴールから帰宅時にJR宇都宮線に乗ったが、三十分ほどであっという間に大宮駅に到着。六時間程度かけて苦労して走った道のりも、文明の利器ではあっという間であるのだと感慨にふけったものだ。

 

二年次

 一年次の教訓を生かし、荷物は最小限。チェックポイントの休憩所ではダラダラ休まずに次のチェックポイントに向けて歩きながら休憩することを心掛けた。その結果一年次よりも順位を上げて、200番台でのゴール。

 

三年次

 部活を引退し、体力が衰える。受験も控えて、精神的にも肉体的にも最もつらかった。400番台で何とか走破。ふと後ろを振り返ると一緒に走っていた友人が、姿を消していた。何と途中で倒れてしまったとのことだ。

 

振替休日&後日談

 確か、マラソンの開催は日曜日で、月曜日が振替休日だったはず。高一時代は、夕方に帰宅し、風呂に入って軽食を済ませるとすぐに寝床に入り、日曜洋画劇場の「陽の当たる教室」を見るために夜九時に目覚ましをかけた。

 確か`午後八時半くらいに勝手に目が覚めた。しかし九時にテレビを付けても一向に映画が始まらない。おかしいと思って新聞を見たら、月曜の新聞。

 つまり、私はあれから、ご飯にもトイレにも行かずに24時間以上睡眠していたわけだ。それほどまでに過酷な強歩大会。

 

県立浦和高校だからこそ成せる行事

 埼玉県のトップ進学校として君臨し、埼玉県庁、埼玉県警、沿道の自治体職員、埼玉県教育委員会にOBを送り込んでいるからこそ成せる行事であるとつくづく思う。日曜とは言え、一般道路を一部ふさいでコースを設営する、沿道の公立学校の敷地を使用してチェックポイントや休憩所を設営する。こんなこと普通は絶対に無理。何か陰で大きな力が働いているとしか思えない。

 

一生の思い出に

 今日は11/16。毎年11月にはふとあの時の思い出がよみがえる。なつかしさ、苦しさがよみがえる。

 

大阪で終電を逃し、大阪から神戸の自宅まで歩いてみた

 大阪で高校時代の友人と飲んだ時に自宅のある神戸までの終電を逃してしまった。距離は20~30km程度。さすがに走ることはできずに、徒歩オンリーで自宅に帰った。走らなかったが、非常に辛かった。明け方六時に神戸の自宅に到着。これが古河強歩大会だったら、制限時間外で失格。改めて、高校時代はすごいことをしていたんだと実感した。

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