スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

2019シチリア島の旅 ナポリ→パレルモ(フェリー)

フェリー乗船(ナポリパレルモ線)

予約 

・日本語対応予約

https://www.aferry.com/ja-jp/

・直接予約

 上記のサイトは高いので、英語が分かる人は下記のフェリー会社で直接予約することをお勧めします。

https://www.gnv.it/en/ferry-offers/sicily/apertura-prenotazioni-2023-sicilia

 私は念のため電子チケットの控えをプリントアウトして行きました。

港までの行き方

 地下鉄L1の Universita駅(フェデリコ2世ナポリ大学の最寄り駅)で下車して15~20分ほど歩いた記憶があります。

 地下鉄の駅の改札でポルテ(イタリア語で港の意味)と聞いて、どこの地下鉄出口から登るのが最も近いか教えてもらいました。

・地下鉄路線図

https://www.anm.it/images/stories/anm_mappa_web_2021__5.pdf

 

google mapの行き方

www.google.co.jp


乗船手続き

 電子チケットを持って、フェリー受付窓口に行き、乗船手続きをします。それぞれのフェリー会社の窓口で必ず乗船手続きを行うようご注意下さい。パスポートも勿論必要です。

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 出発の1時間~30分までに乗船改札をしてフェリーに乗り込みます。改札でかなり待たされて、疲れた記憶があります。フェリー内の駐車場の横の柵の通路から、乗船します。フェリー会社の乗船手続き窓口で指示された時間を守って下さい。出発の何分前から乗船できるかはフェリー会社によって異なります。

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船内

 改札を受けて、階段とエスカレーターを登るとホテルのように豪華な船内に驚きました。

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 バイキング形式のビュッフェで夕食を取り、安く済ませることも可能ですが、非常に込んでいたので、奮発してレストランに行くことにしました。

 日本円で1万円以上したと思いますが、せっかくの思い出だったので、奮発して良かったです。

 

到着

 前日の夜に出発して、朝に到着します。朝日が非常にきれいでした。

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 朝食がまだだったので、下のビルの一階のカフェで簡単な朝食を取りました。(今も営業しているかどうか注意して下さい。)

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 港の周囲はあんまり治安が良さそうな雰囲気では無かったので、フェリーを降りて特に用事が無い人はすぐにバスで市街地に行った方が良いでしょう。

107バスでパレルモ中央駅へ

 港の前の通りに107線のバス停があり、それに乗ると約15分でパレルモ中央駅まで行けます。googleで調べるとN5に乗るのが推奨されたりしますが、港から若干歩くので、多少待っても107で行くのがおすすめです。とりあえずどこに行ったら良いか分からない方はパレルモ中央駅を目指しましょう。

www.google.co.jp

パラティーナ礼拝堂

 比較的朝の早い時間(午前八時過ぎ)から入場可能なアラブ・ノルマン様式のパラティーナ礼拝堂を訪れました。人が少なくて、落ち着いてゆっくりと見学することが出来ました。パレルモ中央駅から歩いて15~20分ほどの場所にあります。

www.cappellapalatinapalermo.it

 アラブ文化とキリスト教の絶妙な折衷が何とも美しいです。


まとめ

 シチリア島へは、フェリーの他に飛行機や電車でも訪れることが可能ですが、ゆったりフェリーの旅も乙な物です。

 夜にフェリーのベッドに寝ている時の揺れ心地が非常に良く、遊園地の乗り物に乗っている夢を見ました。

 

 

2019イタリア マテーラの旅

マテーラとは

 ユネスコ世界遺産に登録されている洞窟住居群の事です。トルコのカッパドキアとは若干趣が異なりました。

ja.wikipedia.org

行き→バーリ国際空港からの直通バス

 バーリ中央駅からバーリ国際空港に向かい、そこからバーリ行きの直通バスに乗って向かいました。

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 帰りは列車ですが、バスの方が楽ちんな印象でした。バスターミナルの目の前が空港なので、バスが来るまでは空港内でゆっくりと待っていられることが一番のメリットですね。

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バスターミルから広場へ

 バスターミナルから10分弱歩くとマテーラの町の入り口の広場に到着します。ここには飲食店を始めとするお店が集中しています。

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街を周遊

 モノトーンの岩を掘り出して、住居にしているので、道に迷いやすいです。

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 青空とのコントラストが印象的です。青い空にクリーム色の壁が美しく映えますね。教会もさりげなく存在しています。

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レストラン

 観光地だからと言って特別高いわけでは無く、普通に量も十分でおいしかったです。Theイタリアというピザやパスタ料理よりもギリシャ料理に近い地中海料理がメインな印象でした。

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 街歩きに疲れたらカフェで缶ジュースを買って一服。

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洞窟ホテル

 どこも似たような色の家なので、google mapなどで探すのがお勧めです。

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帰り→電車の乗り継ぎ

 マテーラの地下にある駅で列車に乗り、途中で乗り継いでバーリマで帰ります。駅は観光地から離れているので、きちんと時間を調べてから乗車することをお勧めします。

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 車内は清潔でした。

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まとめ

 二泊三日の滞在でしたが、時間が許せば一週間くらい滞在したくなる街でした。イタリアの都市部よりも治安は良好でしたし、長旅に疲れてのんびり骨休めしたい人には是非ともお勧めしたいです。

 

 

2018 ポロブドゥール遺跡の旅

突然の思い付き

 2018年当時はプラント設備の設計の仕事をしていました。かなり忙しい日々を送っていたのですが、四月末から五月初旬のゴールデンウィークで一週間ほど休暇がとれそうでした。

 せっかくなのでどこか旅行に行こうと思い立ちました。候補に挙がったのは中国の黄山インドネシアのポロブドゥール遺跡、黄山ゴールデンウィーク中にあいにくの雨の予報だったので、インドネシアのポロブドゥール遺跡に決定しました。

キャセイパシフィック航空

 出発の二日前にskyscanerで航空券を検索し、キャセイパシフィック航空の香港経由で行くことにしました。


香港でのトランジット時間が短かったので、観光は次の機会にお預けとなりました。

スカルノ・ハッタ国際空港→市内中心部でボラれた

 飛行機は明け方に到着しました。市内へのバス乗り場がどこかも分からず、そもそも早朝にバスが運行しているかも分からなかったので、タクシーで市内中心部に向かうことにしました。

 しかしながら、日本円換算で4000円ほど請求されて、間違った選択をしてしまったと心底後悔しました。

 実は空港からモノレールと地下鉄で市内中心部に向かう方法もあるのですが、安く行きたい方はこちらがお勧めです。

www.indonesialove.com

ジャカルタジョグジャカルタは鉄道でアクセス

 ジャカルタジョグジャカルタの間にはオランダ植民地時代に敷設された鉄道があります。スカルノ・ハッタ国際空港で飛行機を乗り換えて、そのままジョグジャカルタに向かう方法もあったのですが、乗り鉄の私は敢えて鉄道を選びました。

 ホームでは既に沢山の旅人が列車の到着を待っていました。しばらく待っていると重厚感のあるディーゼル機関車に繋がれた客車が続々と入線してきました。

 市街地をしばらく走るとのどかな田園風景が一面に開けて来ました。

夕方にジョグジャカルタの駅に到着

 ホテルを予約せずに来たのですが、駅前にホテルがあったので、飛び込みで入ったら、一泊数千円のリーズナブルな値段で宿泊できました。

 長旅で疲れていたので、外には出歩かずホテル内のレストランで焼きそばみたいなものを食べました。

ホテルで観光ハイヤーを手配

 これは結果的に大正解でした。ホテルのコンシェルジェにポロブドゥ―ル遺跡やその周辺の観光地を巡る周遊ツアーが無いか尋ねたら、一日6000円ほどで、ホテルの運転手がハイヤーを運転して、遺跡や観光地を自由に廻れるよう取り計らってくれました。

ホテルからハイヤーで直行

遺跡周遊

 遺跡にはATMや売店も多いので、非常に便利でした。

遺跡の近くのATM

 エジプトのピラミッドとカンボジアアンコールワットを足しで2で割った印象でした。石に彫られたレリーフも原型を留めていました。


 ストゥーパも間近で見ると大迫力でした。

 それぞれの階層に回廊が一周張り巡らされており、グルグルを回って、彫刻やレリーフを楽しむのがお勧めです。

 遠目から見た全景も迫力ありますね。もう私の陳腐な言葉など不要ですね。

帰路

 ネットで帰りの列車を予約して、駅でIDを打ち込んだら切符が発券出来るような仕組みだったと思います。

 

 駅から空港まではデナリ社の乗り合いバスで向かいました。

まとめ

 インドネシアに行くならば是非立ち寄って欲しい観光遺跡です。カンボジアアンコールワットも壮大ですが、ポロブドゥールのように自由に登って遺跡の上を散策することは難しいです。

 遺跡の壮大さを体感したい人には是非とも訪れて欲しい観光スポットです。

 

 

ヤバい営業(システム屋)

プログラムを書いたことが無い

 時々、受託開発でプログラムを書いたことも無い、プログラムを全く知らない営業さんからお仕事を頂くことがあります。エクセルマクロすら使ったことも無い人も多いです。

そもそもプログラムやシステムに興味が無い

 私がシステム屋の営業ならば、自分の知らないことを開発者に依頼する場合には最低限の知識を習得した上で開発者に依頼します。

 しかし、そうした事を自分で全く勉強しようともしないで、営業をやり続けている人が結構存在します。ちょっと信じられないですね。

開発者からの質問も上の空

 特に零細企業のシステム屋だと開発はアルバイトや業務委託に丸投げなんてもこともザラにあります。

 開発者が仕様について質問するも、このような意識の低い営業は何を質問されているかが、そもそも理解できず、質問内容のメモをとって、それを発注元に投げるだけ。

 システムを稼働させるために、ここの仕様を詰める必要があるから、お客様に確認しましょうと熱意を持って伝えても、暖簾に腕押し状態。

正社員だよね?!

 そもそも営業などの役職に関係なく、正社員なんだからアルバイトや委託先に責任を持って指示しなくちゃいけません。

 営業だから分かりませんと開き直る。請負先やアルバイトさんに指示を請うことに申し訳なさとか何も感じないのでしょうか?!

 しかもZOOM会議で、ZOOMの画面共有すら出来ませんでした。

(マジで大丈夫か?!)

取り扱っている商品に関心を持とう

 やっぱり営業ならば自社の商品や技術に関心を持ち、最低限の勉強はしてもらいたいですよね。さらにシステム屋の営業ならば基本的なIT機器の使い方には習熟しておく必要がありますね。(ZOOMの画面共有が出来ないとかマジ論外)

そもそも何故システム屋に入った?!

 これ、メーカーの事務員さんにも言えるんですけど、そもそもなんでその会社に入ったのっていう。

 扱っている製品とかサービスなんてどうでもよくて、とりあえずオフィスワークで専門知識も必要とされない楽そうな事務や営業を選んだのかなって、正直勘ぐりたくなりますね。

 それと同時にそんな甘い覚悟ならば、会社辞めたらって言いたいです。申し訳ないんですけど、自分が直接営業窓口の仕事も行って、仕様考えて、コード書いた方が速いなって思うんです。営業の存在が足かせなんです。

まとめ

 メーカーやシステム屋の営業窓口とか事務員さんの一部に製品やサービスに対する知識が著しく欠けており、そうした人の存在は開発者の役に立たないばかりか往々にして足かせになってしまいます。

 真面目にやらないと将来的にリストラされちゃいますよ。

 

 

 

 

高学歴の費用対効果

一流大学→一流企業→終身雇用→潤沢な退職金

 世間で一流大学に進む経済的な意義と言われたら、間違いなく上のルートが想起されるでしょう。

 1990年代までならば、塾、予備校、家庭教師などに教育課金しても上記のモデルコースに乗っかれば、十分に課金を回収することは可能だったと思います。

バブル崩壊→ITバブル崩壊リーマンショック東日本大震災→新型コロナ禍

 リーマンショックによる一流企業での超絶なリストラ、東日本大震災によって絶対潰れないと言われた電力会社の経営危機、新型コロナ禍で、JRなどの公共交通機関の収益低迷。

 安定だと言われたルートが少しずつ細くなってきています。当然ルートの幅が狭くなれば、一流大学を卒業してもそのルートからあぶれる人たちが大勢出てくるわけです。

 リーマンショックまでは、電力会社、鉄道会社はまだ安泰だと言われていましたし、実際そうだったと思います。安牌就職先の最後の砦として、人気を博していました。しかしながら、震災と新型コロナ禍で、その最後の砦もあっけなく崩壊しました。

高学歴であることの意味とは?!

 以上の事から、安定的なルートに乗るためのツールとしての高学歴の役割は大幅に薄れたと言って良いでしょう。

 新卒市場では学歴による足切りがあるので、新卒で大手に入社するための乗車券の足しに若干役立つかどうかと言ったところでしょうか?

 しかし、就職氷河期リーマンショックの翌年、東日本大震災の翌年は旧帝国大、早慶でもエントリーでガンガン切られました。

高度に思考したり、調査をするための訓練を積む

 難関大学に入学する意味は、これに尽きると思います。難関大学には能力が優れた学友が大勢いるので、そうした学友と議論を深めたり、大学の難しい課題に取り組むために文献を調査したりする過程で、思考訓練を行うことが可能です。そうした課題に取り組んだ結果を発表する場でプレゼン能力も養われます。

 こうした能力を学生時代に醸成した後に社会に出ると、難しい課題に直面した際にも自分自身で能動的に課題解決に取り組むことが出来ます。また、会議で議論を行う際にも周囲の人を説得して巻き込むことも上手に出来るようになります。

普通のサラリーマンをやっていたら豊かにはなれない

 このような高度な思考訓練を積んだのだから、サラリーマンとして成功出来るじゃないかという意見がありますが、今の時代ではどんなに大手に勤務していても普通のサラリーマンを漫然とこなしているだけじゃ豊かになれません。

 東大、早慶を卒業して一流企業に勤務して、毎月のローンの返済に汲々としながら、都心の高給マンションに住んでいると、なんか同じマンションで茶髪のヤンキー風の青年が高級車を乗り回して、美女を侍らす光景に遭遇することもあります。

 しかも時間にも余裕がありそうです。会社のタスクに追われている人達から醸し出される悲壮感は全く感じません。さらに許せないことに横に歩いている美女は自分の奥さんよりも数段可愛いい。

 「自分たちは一生懸命に勉強して、一流大学に入学して、一流企業に入社して、やっとこさ手に入れた高級マンションの生活。それを飄々とやってのける茶髪のヤンキー風の青年がいる。しかも彼女も可愛い。こんな矛盾ってあるかよ。なんであいつらは、自分達より学が無いのに自分達と同等の生活もしくは同等以上の生活を手に入れたのだと。」

 高学歴の優等生は訝ることでしょう。

成功するにはリスクを取るしかない

 その茶髪のヤンキー風の青年は、ラーメン屋を開業して一発当てたり、スロットの駆け引きや分析を株やFXに応用して一発当てたり、webシステム会社を立ち上げて大きな受注を当てたり、成功のプロセスは様々です。

 しかし、ただ一点共通していることがあります。彼らは起業や投資というリスクを取ったんですよ。横に侍らせている美女も渋谷でナンパしてGet。これもリスクテイクのなせる業。

リスクを取るか社会的な成功を諦めるか

 残念がらな高学歴優等生は、せっかく高度に思考する能力を持ちながらも、リスクを取ることが出来ずに、サラリーマン生活のラットレースから抜け出せずにいるんです。

 毎月のローンの返済と子供の塾代でアップアップです。当事者たちはそれほど幸福感を感じていないのではないでしょうか?

 じゃーこの苦しい状況から高学歴優等生が抜け出すにはどうしたら良いでしょうか?

①何らかのリスクを取って投資をしてFireするか、起業して一発当てるか、フリーランスプログラマー、海外エンジニアに挑戦して実力でのし上がる。

②都会の高級マンションの生活を諦めて、郊外の安い市営住宅に引っ越して、蓄財のスピードを上げて、プチFiresする。

 

リスクも取れない & 今の生活も捨てられないジレンマ

 高学歴優等生と言うのは幼少期の頃から親や先生の言う事を素直に聞いてきた人たちが多いです。リスクを取るというのはそうした親や先生の言う事とある意味で真逆を意味します。そして、失敗したらどうでしょうか?最悪今の生活を捨てることになります。そうなると中々リスクを取ることが出来ません。

 成功を諦めて、競争から降りるというのも受験競争で勝ち抜いてきた当事者たちにとっては受け入れがたい。

 すなわち、こんな状況じゃ駄目だ。正直苦しいと思いつつも現状維持に陥ってしまうのが現実だと思います。

まとめ

 豊かな暮らしがしたい、社会的な成功を手に入れたい、こうした動機で一流大学に進学しても、昔と違ってそれが報われるか不透明です。

 そうであるならば、勉強が好きで、知的好奇心を満たしたい、レベルの高い仲間に囲まれて知的な研鑽を積みたいという目的意識で、一流大学を目指すことをお勧めします。

 勉強が嫌いな自分に鞭打って、無理して勉強している人は自分が時間を忘れてのめり込めることを見つけて、それをマネタイズしてお金を稼げないか検討してみるのも一手です。

 ただし、一流大学を卒業しておくとグローバルな事業を手掛けている一流企業に入社出来る可能性は高く、そうした環境でグローバルな感覚を磨きたいのであれば、とりぜず一流大学を目指すのもありだと思います。

 あくまでも将来的なビジョンを持った上で、勉強することをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

東日本大震災を経て感じた自身のキャリアの教訓

震災発生当時

 東証一部上場企業の東北事業所で、電子部品の設計を行っておりました。新卒で勤務してから4年ほどでした。会社に不満はありましたが、転職するのも腰が重く、このままダラダラと働き続けるんだろうなと思っていました。

大きなパラダイムシフト

 震災に遭遇したことで、死というものが現実的なものとして意識されるようになりました。

 当時は会社に対する不満を押し殺して、自分をごまかしながら働いていました。しかし、会社のビルが仮に地震で倒壊して、会社のビルの瓦礫に生き埋めになって死ぬのは嫌だ。こんな会社は一刻も早く辞めたいという気持ちが表面化しました。

つぶしの効かない電子部品設計業務

 会社を辞めて、西日本に引っ越して、いざ転職活動をするも、電子部品の設計業務の経験は、震災当時に勤務していた会社でしか通用しない物で、その経験やノウハウを転職活動で評価してくれる会社は殆どありませんでした。

 前職の東証一部上場の電子部品メーカーでは、上司に罵倒されて、深夜に及ぶサービス残業をこなして頑張ってきました。それにも関わらず、転職活動で十分に評価して貰えなかったことに衝撃を受けました。

 被災する前までは、そうした事を意識せずに漫然と働いていたので、当然と言えば当然の帰結です。

専門性と汎用性が重要

 頑張ってきたことが評価されない絶望感で得た教訓は、転職市場ではスキルの専門性と汎用性が非常に重要だという事です。

 確かに電子部品設計業務には専門性がある程度ありましたが、ニッチなノウハウであり汎用性が欠けていたのです。本当にそのスキルを欲してくれる特殊な会社では評価されるでしょうが、それ以外はいまいちです。ただし、設計業務という業務プロセスは汎用性があるので、その部分は評価対象になります。

 逆にコンビニアルバイトの様などこでも、誰でも出来る仕事は汎用性はありますが、専門性がありません。よって、すぐに仕事は見つかりますが、給料は低いです。

 それを勘案すると医師、看護師、理学療法士のような医療職は専門性と汎用性の両者を有しており、転職しても給料が一定水準以上の仕事がすぐに見つかります。

 また、電気設備管理、電気施工の仕事をこなす電気主任技術者電気工事士も最低ラインの給与以上で、すぐに転職が可能です。

 さらには高度なスキルを有したプログラマーや金型技術者、材料エンジニア、建築士も該当するかと思います。

大学、専門学校進学の注意点

 自分が進学する学校で学べることが、上記の専門性及び汎用性を有したものであるかをきちんと見極めた上で進学することをお勧めします。

 例えば文学部の国文科はどうでしょうか?確かに日本の古典文学には専門性がありますが、それを必要としている会社はあるでしょうか?

 そうしたことを良く考えたうえで進学をしてください。

就職時の注意

 配属された部署の仕事を覚える際には、汎用的な知識を優先的に習得しましょう。例えば設計業務であれば、図面の読み方、CADの使い方、材料力学を用いた強度評価などを優先的に習得し、製品の名称とか図番台帳の管理とかは後回しです。それはその会社のみでしか通用しない知識だからです。

まとめ

 転職活動では、長時間残業に耐える根性や体力よりもスキルを重視します。何となく長時間働いていると頑張っている気になってしまいがちですが、長時間取り組んでいる仕事が他社でも評価されるものなのか冷静に振り返ることをお勧めします。

 

 

 

長い春休み(東日本大震災からの逃亡 親戚の家へ突撃編)

兵庫県へ向かう

 朝方、バンコクから関西国際空港に無事に到着した僕は電車で兵庫県の某市に向かった。そこには私の父親のいとこの方の旦那さんが社長をやっている会社があった。震災で被災し、関西で再出発したい旨を説明すれば、雇ってもらえるんじゃないかという淡い期待を胸に列車でそこを目指した。

アポなし突撃

 会社の最寄り駅へ到着し、その父親のいとこの方の家へ携帯電話で連絡するもつながらなかった。そこで、ノートにメモされていた住所を頼りにお家に突撃することにした。その方には10年前ほど前に祖母の葬式で会った以来だ。

 表札を確認し、インターホンを押し、東日本大震災に被災しどうか助けて欲しいと早口でまくし立てた。そうするとガチャリと玄関が開いて、そのおばさんが出て来た。

 とりあえず、中に案内されて、今までの経緯を話した。

10年の時の流れ

 10年前に祖母の葬式で出会ったときは、恰幅が良くイケイケな印象であったが、10年後に再会したときは痩せこけて、首には手術の後が見られた。

 そのおばさんはそこそこ高学歴な事もあり、被災してからの経緯を話した後は日本の国政談議に花が咲いた。

 私としては、何とかおばさんの旦那の会社で雇って貰いたい一心であったが、そこについては何となくはぐらかされた。

別れ

 とりあえず、今いる会社に戻って謝罪してこいと諭されて、戻ることにした。餞別として10万円を頂いた。

 最寄り駅まで車で送ってくれるとのことで、それに甘えた。別れ際に早世した父親の事を訥々と語ってくれた。

社会の偽善

 震災発生当時、日本のあらゆる会社のホームページのトップには震災で被災された方々へのお悔やみの文言が躍っていた。

 しかし、身内であっても10万円を渡されて、追い返されるとは何たる世の中の非常かと、心底落胆したものだ。

 お悔やみの文言なんていらねーから困窮した被災者を少しでも雇用しろよと言う恨み節が頭の中を駆け巡っていた。社会の偽善に痛く傷ついた。

六年後

 転職エージェント経由で、当時の社長から面接したい旨の連絡が入った。しかし、一番困窮していた時に手を差し伸べてくれなかった非情は忘れがたく、断固として断った。