スマート駄目リーマンの忘備録

旅行記、キャリア論、世相分析など思ったことを書き連ねます

ヤバい営業(システム屋)

プログラムを書いたことが無い

 時々、受託開発でプログラムを書いたことも無い、プログラムを全く知らない営業さんからお仕事を頂くことがあります。エクセルマクロすら使ったことも無い人も多いです。

そもそもプログラムやシステムに興味が無い

 私がシステム屋の営業ならば、自分の知らないことを開発者に依頼する場合には最低限の知識を習得した上で開発者に依頼します。

 しかし、そうした事を自分で全く勉強しようともしないで、営業をやり続けている人が結構存在します。ちょっと信じられないですね。

開発者からの質問も上の空

 特に零細企業のシステム屋だと開発はアルバイトや業務委託に丸投げなんてもこともザラにあります。

 開発者が仕様について質問するも、このような意識の低い営業は何を質問されているかが、そもそも理解できず、質問内容のメモをとって、それを発注元に投げるだけ。

 システムを稼働させるために、ここの仕様を詰める必要があるから、お客様に確認しましょうと熱意を持って伝えても、暖簾に腕押し状態。

正社員だよね?!

 そもそも営業などの役職に関係なく、正社員なんだからアルバイトや委託先に責任を持って指示しなくちゃいけません。

 営業だから分かりませんと開き直る。請負先やアルバイトさんに指示を請うことに申し訳なさとか何も感じないのでしょうか?!

 しかもZOOM会議で、ZOOMの画面共有すら出来ませんでした。

(マジで大丈夫か?!)

取り扱っている商品に関心を持とう

 やっぱり営業ならば自社の商品や技術に関心を持ち、最低限の勉強はしてもらいたいですよね。さらにシステム屋の営業ならば基本的なIT機器の使い方には習熟しておく必要がありますね。(ZOOMの画面共有が出来ないとかマジ論外)

そもそも何故システム屋に入った?!

 これ、メーカーの事務員さんにも言えるんですけど、そもそもなんでその会社に入ったのっていう。

 扱っている製品とかサービスなんてどうでもよくて、とりあえずオフィスワークで専門知識も必要とされない楽そうな事務や営業を選んだのかなって、正直勘ぐりたくなりますね。

 それと同時にそんな甘い覚悟ならば、会社辞めたらって言いたいです。申し訳ないんですけど、自分が直接営業窓口の仕事も行って、仕様考えて、コード書いた方が速いなって思うんです。営業の存在が足かせなんです。

まとめ

 メーカーやシステム屋の営業窓口とか事務員さんの一部に製品やサービスに対する知識が著しく欠けており、そうした人の存在は開発者の役に立たないばかりか往々にして足かせになってしまいます。

 真面目にやらないと将来的にリストラされちゃいますよ。

 

 

 

 

高学歴の費用対効果

一流大学→一流企業→終身雇用→潤沢な退職金

 世間で一流大学に進む経済的な意義と言われたら、間違いなく上のルートが想起されるでしょう。

 1990年代までならば、塾、予備校、家庭教師などに教育課金しても上記のモデルコースに乗っかれば、十分に課金を回収することは可能だったと思います。

バブル崩壊→ITバブル崩壊リーマンショック東日本大震災→新型コロナ禍

 リーマンショックによる一流企業での超絶なリストラ、東日本大震災によって絶対潰れないと言われた電力会社の経営危機、新型コロナ禍で、JRなどの公共交通機関の収益低迷。

 安定だと言われたルートが少しずつ細くなってきています。当然ルートの幅が狭くなれば、一流大学を卒業してもそのルートからあぶれる人たちが大勢出てくるわけです。

 リーマンショックまでは、電力会社、鉄道会社はまだ安泰だと言われていましたし、実際そうだったと思います。安牌就職先の最後の砦として、人気を博していました。しかしながら、震災と新型コロナ禍で、その最後の砦もあっけなく崩壊しました。

高学歴であることの意味とは?!

 以上の事から、安定的なルートに乗るためのツールとしての高学歴の役割は大幅に薄れたと言って良いでしょう。

 新卒市場では学歴による足切りがあるので、新卒で大手に入社するための乗車券の足しに若干役立つかどうかと言ったところでしょうか?

 しかし、就職氷河期リーマンショックの翌年、東日本大震災の翌年は旧帝国大、早慶でもエントリーでガンガン切られました。

高度に思考したり、調査をするための訓練を積む

 難関大学に入学する意味は、これに尽きると思います。難関大学には能力が優れた学友が大勢いるので、そうした学友と議論を深めたり、大学の難しい課題に取り組むために文献を調査したりする過程で、思考訓練を行うことが可能です。そうした課題に取り組んだ結果を発表する場でプレゼン能力も養われます。

 こうした能力を学生時代に醸成した後に社会に出ると、難しい課題に直面した際にも自分自身で能動的に課題解決に取り組むことが出来ます。また、会議で議論を行う際にも周囲の人を説得して巻き込むことも上手に出来るようになります。

普通のサラリーマンをやっていたら豊かにはなれない

 このような高度な思考訓練を積んだのだから、サラリーマンとして成功出来るじゃないかという意見がありますが、今の時代ではどんなに大手に勤務していても普通のサラリーマンを漫然とこなしているだけじゃ豊かになれません。

 東大、早慶を卒業して一流企業に勤務して、毎月のローンの返済に汲々としながら、都心の高給マンションに住んでいると、なんか同じマンションで茶髪のヤンキー風の青年が高級車を乗り回して、美女を侍らす光景に遭遇することもあります。

 しかも時間にも余裕がありそうです。会社のタスクに追われている人達から醸し出される悲壮感は全く感じません。さらに許せないことに横に歩いている美女は自分の奥さんよりも数段可愛いい。

 「自分たちは一生懸命に勉強して、一流大学に入学して、一流企業に入社して、やっとこさ手に入れた高級マンションの生活。それを飄々とやってのける茶髪のヤンキー風の青年がいる。しかも彼女も可愛い。こんな矛盾ってあるかよ。なんであいつらは、自分達より学が無いのに自分達と同等の生活もしくは同等以上の生活を手に入れたのだと。」

 高学歴の優等生は訝ることでしょう。

成功するにはリスクを取るしかない

 その茶髪のヤンキー風の青年は、ラーメン屋を開業して一発当てたり、スロットの駆け引きや分析を株やFXに応用して一発当てたり、webシステム会社を立ち上げて大きな受注を当てたり、成功のプロセスは様々です。

 しかし、ただ一点共通していることがあります。彼らは起業や投資というリスクを取ったんですよ。横に侍らせている美女も渋谷でナンパしてGet。これもリスクテイクのなせる業。

リスクを取るか社会的な成功を諦めるか

 残念がらな高学歴優等生は、せっかく高度に思考する能力を持ちながらも、リスクを取ることが出来ずに、サラリーマン生活のラットレースから抜け出せずにいるんです。

 毎月のローンの返済と子供の塾代でアップアップです。当事者たちはそれほど幸福感を感じていないのではないでしょうか?

 じゃーこの苦しい状況から高学歴優等生が抜け出すにはどうしたら良いでしょうか?

①何らかのリスクを取って投資をしてFireするか、起業して一発当てるか、フリーランスプログラマー、海外エンジニアに挑戦して実力でのし上がる。

②都会の高級マンションの生活を諦めて、郊外の安い市営住宅に引っ越して、蓄財のスピードを上げて、プチFiresする。

 

リスクも取れない & 今の生活も捨てられないジレンマ

 高学歴優等生と言うのは幼少期の頃から親や先生の言う事を素直に聞いてきた人たちが多いです。リスクを取るというのはそうした親や先生の言う事とある意味で真逆を意味します。そして、失敗したらどうでしょうか?最悪今の生活を捨てることになります。そうなると中々リスクを取ることが出来ません。

 成功を諦めて、競争から降りるというのも受験競争で勝ち抜いてきた当事者たちにとっては受け入れがたい。

 すなわち、こんな状況じゃ駄目だ。正直苦しいと思いつつも現状維持に陥ってしまうのが現実だと思います。

まとめ

 豊かな暮らしがしたい、社会的な成功を手に入れたい、こうした動機で一流大学に進学しても、昔と違ってそれが報われるか不透明です。

 そうであるならば、勉強が好きで、知的好奇心を満たしたい、レベルの高い仲間に囲まれて知的な研鑽を積みたいという目的意識で、一流大学を目指すことをお勧めします。

 勉強が嫌いな自分に鞭打って、無理して勉強している人は自分が時間を忘れてのめり込めることを見つけて、それをマネタイズしてお金を稼げないか検討してみるのも一手です。

 ただし、一流大学を卒業しておくとグローバルな事業を手掛けている一流企業に入社出来る可能性は高く、そうした環境でグローバルな感覚を磨きたいのであれば、とりぜず一流大学を目指すのもありだと思います。

 あくまでも将来的なビジョンを持った上で、勉強することをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

東日本大震災を経て感じた自身のキャリアの教訓

震災発生当時

 東証一部上場企業の東北事業所で、電子部品の設計を行っておりました。新卒で勤務してから4年ほどでした。会社に不満はありましたが、転職するのも腰が重く、このままダラダラと働き続けるんだろうなと思っていました。

大きなパラダイムシフト

 震災に遭遇したことで、死というものが現実的なものとして意識されるようになりました。

 当時は会社に対する不満を押し殺して、自分をごまかしながら働いていました。しかし、会社のビルが仮に地震で倒壊して、会社のビルの瓦礫に生き埋めになって死ぬのは嫌だ。こんな会社は一刻も早く辞めたいという気持ちが表面化しました。

つぶしの効かない電子部品設計業務

 会社を辞めて、西日本に引っ越して、いざ転職活動をするも、電子部品の設計業務の経験は、震災当時に勤務していた会社でしか通用しない物で、その経験やノウハウを転職活動で評価してくれる会社は殆どありませんでした。

 前職の東証一部上場の電子部品メーカーでは、上司に罵倒されて、深夜に及ぶサービス残業をこなして頑張ってきました。それにも関わらず、転職活動で十分に評価して貰えなかったことに衝撃を受けました。

 被災する前までは、そうした事を意識せずに漫然と働いていたので、当然と言えば当然の帰結です。

専門性と汎用性が重要

 頑張ってきたことが評価されない絶望感で得た教訓は、転職市場ではスキルの専門性と汎用性が非常に重要だという事です。

 確かに電子部品設計業務には専門性がある程度ありましたが、ニッチなノウハウであり汎用性が欠けていたのです。本当にそのスキルを欲してくれる特殊な会社では評価されるでしょうが、それ以外はいまいちです。ただし、設計業務という業務プロセスは汎用性があるので、その部分は評価対象になります。

 逆にコンビニアルバイトの様などこでも、誰でも出来る仕事は汎用性はありますが、専門性がありません。よって、すぐに仕事は見つかりますが、給料は低いです。

 それを勘案すると医師、看護師、理学療法士のような医療職は専門性と汎用性の両者を有しており、転職しても給料が一定水準以上の仕事がすぐに見つかります。

 また、電気設備管理、電気施工の仕事をこなす電気主任技術者電気工事士も最低ラインの給与以上で、すぐに転職が可能です。

 さらには高度なスキルを有したプログラマーや金型技術者、材料エンジニア、建築士も該当するかと思います。

大学、専門学校進学の注意点

 自分が進学する学校で学べることが、上記の専門性及び汎用性を有したものであるかをきちんと見極めた上で進学することをお勧めします。

 例えば文学部の国文科はどうでしょうか?確かに日本の古典文学には専門性がありますが、それを必要としている会社はあるでしょうか?

 そうしたことを良く考えたうえで進学をしてください。

就職時の注意

 配属された部署の仕事を覚える際には、汎用的な知識を優先的に習得しましょう。例えば設計業務であれば、図面の読み方、CADの使い方、材料力学を用いた強度評価などを優先的に習得し、製品の名称とか図番台帳の管理とかは後回しです。それはその会社のみでしか通用しない知識だからです。

まとめ

 転職活動では、長時間残業に耐える根性や体力よりもスキルを重視します。何となく長時間働いていると頑張っている気になってしまいがちですが、長時間取り組んでいる仕事が他社でも評価されるものなのか冷静に振り返ることをお勧めします。

 

 

 

長い春休み(東日本大震災からの逃亡 親戚の家へ突撃編)

兵庫県へ向かう

 朝方、バンコクから関西国際空港に無事に到着した僕は電車で兵庫県の某市に向かった。そこには私の父親のいとこの方の旦那さんが社長をやっている会社があった。震災で被災し、関西で再出発したい旨を説明すれば、雇ってもらえるんじゃないかという淡い期待を胸に列車でそこを目指した。

アポなし突撃

 会社の最寄り駅へ到着し、その父親のいとこの方の家へ携帯電話で連絡するもつながらなかった。そこで、ノートにメモされていた住所を頼りにお家に突撃することにした。その方には10年前ほど前に祖母の葬式で会った以来だ。

 表札を確認し、インターホンを押し、東日本大震災に被災しどうか助けて欲しいと早口でまくし立てた。そうするとガチャリと玄関が開いて、そのおばさんが出て来た。

 とりあえず、中に案内されて、今までの経緯を話した。

10年の時の流れ

 10年前に祖母の葬式で出会ったときは、恰幅が良くイケイケな印象であったが、10年後に再会したときは痩せこけて、首には手術の後が見られた。

 そのおばさんはそこそこ高学歴な事もあり、被災してからの経緯を話した後は日本の国政談議に花が咲いた。

 私としては、何とかおばさんの旦那の会社で雇って貰いたい一心であったが、そこについては何となくはぐらかされた。

別れ

 とりあえず、今いる会社に戻って謝罪してこいと諭されて、戻ることにした。餞別として10万円を頂いた。

 最寄り駅まで車で送ってくれるとのことで、それに甘えた。別れ際に早世した父親の事を訥々と語ってくれた。

社会の偽善

 震災発生当時、日本のあらゆる会社のホームページのトップには震災で被災された方々へのお悔やみの文言が躍っていた。

 しかし、身内であっても10万円を渡されて、追い返されるとは何たる世の中の非常かと、心底落胆したものだ。

 お悔やみの文言なんていらねーから困窮した被災者を少しでも雇用しろよと言う恨み節が頭の中を駆け巡っていた。社会の偽善に痛く傷ついた。

六年後

 転職エージェント経由で、当時の社長から面接したい旨の連絡が入った。しかし、一番困窮していた時に手を差し伸べてくれなかった非情は忘れがたく、断固として断った。

 

 

 

 

夢を持つ必要も何者かになる必要も無い

君は将来何になりたいの?!

 これ、小学生に上がる頃には大人たちから必ず浴びせられる言葉。正直小学生ならば、おいしいご飯を食べて、ぐっすりと寝て、遊んでいられれば、十分に楽しい筈だ。今が十分に楽しい子供たちがほとんどなのだ。別に楽しい今から不透明な将来を考える必要など毛頭ないのだ。

 だからこそ、そうした楽しい日常を送っている子供たちは、大人たちから唐突に

「君は将来何になりたいの?!」と聞かれて面食らってしまう。

 

無理やり夢をひねり出す

 よって、男の子たちはサッカー選手、パイロット。女の事たちはケーキ屋さん、CAなど無理やり夢をひねり出す。大人たちの問いかけに回答するために。

 

夢を持てと子供を洗脳する罠

 大人になって気が付いたが、こうした将来何になりたいという問いかけは、大人たちが子供を躾けるための罠であったのではと思うのだ。

 将来サッカー選手になりたい→じゃあ、真面目に練習しようね。将来CAになりたい→じゃあ真面目に英語を勉強しようね。~になりたい→そんじゃー真面目に~しよう というパターン。

 こういった誘導を子供たちに仕掛けて、学校教育に従わせる。学校を始めとした先生に、このように問いかけられて、大人になっても働かずに炬燵でずっとゴロゴロして、ゲームやっていたいなどと回答出来る勇気のある子供がどれだけいるだろうか?

 

夢を持つ必要も何者になる必要も無い

 大人になって、周囲を見渡すと子供時代の夢を実現している人は千人に一人もしくは一万人に一人といった印象だ。

 今月の住宅ローンの支払いや家賃の支払いがまず第一優先で、それを実現するために最短な仕事を各々が逆算し、それを黙々とこなすことが精一杯な人達が圧倒的多数なのだ。

 真面目な大人は、子供の頃の夢と今の自分とのギャップに大いに打ちのめされるだろう。

何になりたいかでは無く、どうありたいか

 しかし、そもそも子供の頃に夢を持ち、何者かにならなくてはいけない前提自体がそもそも間違っているのではないだろうか?

 別に夢なんて必要ない。ずっと炬燵でゴロゴロして、ゲームしていたいなら、それで良いのだ。このように自分がどうありたいかから逆算して、それを実現させるにはどういったスキルが必要なのか洗い出すことが大切なのだ。

国や組織に縛られず自由に働き、好きな時に遊びたい

 私は本質的に自分一人の自由をこよなく愛する人間だ。子供の頃から、友達と一緒に遊ぶのは非常に苦手で一人が好きだった。また、学校という組織にも非常に窮屈感を覚えた。

 学生時代に海外旅行先で、自営業や投資家として時間的、物理的に自由な環境でお金を稼ぎ、自由に海外旅行している方々を心底うらやましいと感じたものだ。

 私は世間や親からの一流企業にずっとしがみつけという洗脳に抗い、現在は小規模な会社で在宅ワークメインでプログラミングの仕事を主にこなしている。

 プログラミングの仕事は、結果が全てである。10時間かけても、要件を満たせないコードしか書けない人もいる。その一方で2~3時間でさっさと要件を満たし、バグのないコードを書き上げて後はのんびりするか、受託で仕事を沢山こなして、多額の収入を手にする人もいる。

 学歴も年齢も関係なくコードという成果物で、個人の実力が可視化される。よって、一日2~3時間しか働かなくても仕様を満足するコードを書いていれば誰にも文句は言われない。

 さらに、プログラミング言語は万国共通なので、日本以外でも働くことが出来る。リモートのインフラが発達した現在では、日本に居ながらにして海外の仕事を引き受けることも可能だ。

 私は幸いにもプログラミングの適性がそこそこあったようで、与えられた課題をさっさとこなして、あとはマイペースに仕事をしている。元来プログラマーを志していた訳では無いのだが、自分自身の国や組織に縛られずに働けるスキルから逆算し、自分の適性を見極めてプログラマーという職業に行きついたのだ。

 そもそも国や組織の制約を受けずに働けるスキルとは何だろう。これはつまり国の文化や言語に影響を受けない非言語スキルという事になる。そうなると理系分野や職人の仕事が主になる。技術者、プログラマー、医者、料理人、農業、漁業従事者、マッサージ師などになるだろうか?

 私はそこから、先ずは技術者を選び設計の仕事に従事した。しかし、得意な強度計算だけでなく、細々した図番などの管理がどうも苦痛であった。そこで、次の候補としてプログラマーに辿り着き、たまたまそれが自分にとっては苦痛ではなかったという訳だ。そして幸運なことにプログラマーの仕事はテレワークとの相性も良く、会社に行かなくても仕事を完結できる場合が多い。

まとめ

 大人や世間からのあなたの夢は何?あなたは何者になりたいの?という呪縛から逃れて、自分はどういう状態にいることが心地よいのか自分自身に問いかけることが大切だろう。

 そして大人は子供に夢を問いかけずに、子供の好きな事や好きな状態をキープ出来るようにそっと裏からサポートしてあげることが、子供の将来の幸福にきっとつながるはずだ。

 

 

 

 

 

 

ドイツワールドカップ観戦記(フランクフルト→帰国)

ミュンヘンからフランクフルトへ

 ミュンヘンで準決勝を観戦した後はフランクフルトへ向かった。フランクフルトで二泊した後にルフトハンザ航空の成田行きに乗って帰るためだ。

 二日程度の滞在の為、遠出する訳にも行かず、ライン川の美術館に立ち寄ったり、ライン川沿いのカフェで本を読んだりして過ごした。観光では無く、一か月に渡る旅の小休止という言葉が適当だろう。

 初めての海外での長期旅行で、当初は不安も大きかった。しかし、現地で英語でのコミュニケーションが取れたおかげで、現地や海外の人と友達になれたし、それなりに深い話も出来た。

 しかしながら、滞在のほとんどが8人部屋のいわゆるドミトリーという事もあり、精神的な疲れが蓄積してきたことは否めなかった。

 やはり、日本人の性なのか、一ヶ月近くもドイツにいると温泉に入って、畳の部屋で寝ころびたいという欲求が高まって来た。

帰国

 帰りの飛行機では足を延ばしたかったので、非常口前の近くで、前に席が無い所にして欲しいとチェックインカウンターで懇願したところ、快く受け入れて貰えた。

 とにかく疲れがたまっており、帰りの飛行機ではずっと目を閉じて、ひたすら休んでいた。

 大学の夏学期期末試験前に無事に成田空港に到着した。携帯電話の電源をONにすると大学の友人から授業内試験の開催を知らせるメールが何通も届いていた。

 その科目は建築美術という一般教養であった。期末試験中に試験を行わず、最後の授業で試験を行っていたのだ。当然ドイツにいる私は受験できなかった。

 しかしながら、非常に親切な教授で、救済措置としてレポートを代わりに提出すれば単位を頂けるとのことだった。夏休み中にドイツで撮影したケルン大聖堂の写真をレポートに沢山盛り込んで、適当な考察を付けて提出したところAの評価が頂けた。

 

まとめ

 ドイツワールドカップ観戦の一人旅で、海外の一人旅の面白さに覚醒してしまい、社会人になってからも、長期休みを利用しては世界の様々な国を巡った。

 中学生時代、社会の授業中に先生の説明は上の空で、世界の地図帳を眺めては、ここは一体どんな場所でどんな景色が広がっているのだろうかと思いを馳せていた。

 そうした思いを実際の旅で確認して行く作業を大人になってからひたすらやり続けたのだった。

 もし、この旅で散々な目に遭い、二度と海外旅行なんて行くかボケ!!という気持ちになったら、その後の海外旅行での様々な思い出は無かっただろう。そうした意味で、初めての海外一人旅のドイツが楽しい思い出になったことは、私の中で非常に重要な意味を持っていたのだ。

 ここ数年、コロナ騒動による入国規制で思うように海外旅行が出来なくなっていたが、若い人は是非、日本の外の空気を思う存分堪能してきて欲しい。終わり。

 

 

ドイツワールドカップ観戦記(準決勝 ポルトガル対フランス)

アリアンツアレーナへ

 この前のフランス対ブラジル戦はブラジルの敗退という思いもよらない結果であった。次はポルトガル対フランスの準決勝を観戦するためにミュンヘンアリアンツアリーナへ。

 アリアンツアリーナは外壁のパネル部材に日本のメーカーの旭硝子(現在のAGC)製の特殊フィルムが使用されてることで有名である。

 宇宙からやって来たUFOの様な不思議な出で立ちが物珍しく、何度も写真を撮影した。

ja.wikipedia.org

キックオフ

 

 ブラジルの敗戦で、ドイツ大会の目玉選手であるロナウジーニョのプレーが見られなかったのは寂しかった。しかしながら、ポルトガルにもフィーゴ、デコ、クリスティアーノ・ロナウドなどの素晴らしい選手を抱えており、見ごたえは十分だった。

 とりわけ、クリスティアーノ・ロナウドミドルシュートの勢いには目を見張るものがあった、フィジカルモンスターと言われる所以も納得であった。

 ポルトガルの攻撃は勢いがあったが、フランスの鉄壁の守備がそれを寄せ付けない凄みを有していた。ゴール前の守備では、体を横からぶつけて、ポルトガルの選手を自由にさせなかった。

 試合はポルトガルの勝利であったが、フランスの勝因は上記の守備力だったと思う。守備的な中盤からディフェンスに高い身体能力の選手を揃えて、スピードで振り切られない事、フィジカルコンタクトで負けない事が徹底されていた。

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